「それで、どう戦うの? 相手は顔だけを海面に出して進行している。泳いでいるようにも見えない」
ニーアは海面に顔だけ出して迫ってくる異形の者たちを指さす。
彼女の指摘はもっともで、相手はそもそも泳いでいない。魔力のようなもので推力を得ているのか、それとも見えていない部分に魚のような尾ひれでもついているのか定かではないが、ともかく俺たちはどう戦うべきなのか?
相手が数体だけなら、陸に上がってくるのを待って地上戦を挑むのもアリだろう。むしろその方が安全だ。数体だけなら、たとえ上陸を許したとしても見逃すことはない。そいつらが木に近づくのを防げればそれで良い。
しかし今回の相手は集団。数十体は確実だ。そんなアイツらを上陸させてから、一体も逃さずに殲滅するのは至難の業だ。
だから今回は水中戦。それも慎重に動かなければならない。相手の見えている部分は人型の頭部のみ。その下がどうなっているかは、まったくの未知数なのだ。
「ニーアはここに残っていてくれるか?」
「え!? どうして?」
ニーアは不思議そうな顔をする。
「俺たちは全員海に潜る。全て撃ち漏らさずに始末するつもりだが、万が一の場合もある。上陸した敵に俺たちは気づけない。だからここに一人見張りが欲しい」
「そんなの第三師団の内の一人でも……」
「ダメだ。相手の能力が未知数な以上、第三師団の新兵が一人で対応できるとは限らない。そうなれば圧倒的な”個”の強さが必要だ。そうなればニーアしかいない」
「はぁ……分かったわよ。ハンスの口車に乗ってあげる。実際、新兵たちを導きながら戦うなんて、私のやり方に合わないしね」
ニーアは渋々陸での見張り番を引き受けてくれた。俺とニーアが一対一でやりあった場合、勝てるかどうかは五分。つまりそういう事だ。第一師団所属というのは、国の軍事力の中心を意味する。
俺はニーアに別れを告げ、レフレオと共に海に入っていき、俺の到着を待っていた部下たちの先頭に位置する。
「一度深く潜る! 空気を目一杯吸い込め!」
俺の指示で隊員たちは、口を大きく広げ酸素を大量に肺に送り込む。竜騎士の身体能力の向上は、単純な打たれ強さや脚力や腕力だけに留まらず、肺活量にも影響する。一回息を吸い込めば一〇分くらいはもつだろう。
「潜水開始!」
俺は号令を出すと同時に、レフレオのわき腹を軽く蹴って潜水する。
後ろを見れば隊員たちも続けて潜水していた。とりあえずは水中から、敵の全容を見ないことには話にならない。
部隊は、俺を先頭にグングン速度を上げて敵に接近する。水の中で目を開けて、異様に透き通った綺麗な海水の奥を睨むと、敵が人型という認識は崩れ去っていった。
敵が人型なのは海上に出ている頭部と剣のように伸びた両腕のみで、その下はというと、完全に化け物のそれであった。胸から下はほとんどタコのような軟体で、複数の触手が足のように蠢き、海水を蹴って移動している。
俺は一度上を指さし、海上に顔を出す。
「ハンス隊長、どうしますか?」
隊員たちの一人が不安そうな表情を浮かべている。気持ちは分かる。想像よりも化け物然としている。特に下半身が厄介だ。もしもタコのように絡まってこられたら、圧倒的に不利だろう。そうなったら一つしかない。
「敵部隊の側面から、二人一組になり、全速で泳ぎながら一撃で離脱する。まともに鍔迫り合いなどしようものなら、あの触手に捕まって海の藻屑だ! 良いな? 絶対に一撃で離脱しろ! 敵にはほとんど知性が無い。何かやり方を見つけたら、それを繰り返せば良いだけだ!」
「ハイ!!」
「行くぞ!」
俺たちは再び潜水する。俺と隊員の二人で、一斉に速度を上げる。敵の左側から、先頭を進む異形の者に接近しつつ剣を構える。俺たち竜騎士の腕力であれば、水中でも問題なく剣を振れる。
レフレオたちドラゴン側も全力で泳ぎ、俺たちを敵に近づける。俺が首を狙い、部下が敵の剣を抑える。速度を上げた水流が全身を刺激する。自身から発せられた気泡が彼方に飛ばされ、敵とぶつかる刹那、部下の剣が敵の両腕を抑えたと同時に、俺の剣が異形の首を切り落とす!
澄み切った海水に赤黒い色が広がり、視界を曇らせる。俺たちは突進したそのままの勢いで離脱し、一気に隊員たちの待つ海域に戻ってきた。
「流石です!」
隊員たちは口々に俺ともう一人の仲間を褒めたたえるが、本番はここからだ。俺たちを敵だと認識したアイツらがどう動くか、それによって今回の任務の難易度が違ってくる。
「ハンス隊長! あれを!」
喜びに湧く騎士団の中で、一番冷静に敵を観察していた者が声を張り、敵の方角を指さした。
そこに視線を向けると、さっきまで隊列らしい隊列を組んでいなかったのに、今度は二体が横に並ぶように隊列を組み直し、陸地ではなく俺たちの方に向かって前進し始めていた。
「そんなバカな!」
俺は驚きの声を発した。
異形の者はほとんど知性を持たない。これは今までの歴史が解明した事実だ。神話に伝わる種族の木から生み出された化け物ということで、絶対的に信じていたわけではないが、これまで遭遇した数多の異形の者たちに知性は無かった。
「どうしましょう。あれでは横からの一撃離脱はもう……」
部下の嘆き通り、もうあの手段は使えない。一人を斬り伏せても横にいるもう一体に掴まって殺されるのがオチだ。
最適な手段が思いつかない。頭の中でいくつもの作戦が浮かぶが、彼ら経験の浅い隊員たちを率いて使える戦法では無かった。
ここにニーアを呼び二人で一気に始末するというのも考えたが、それでは成長しない。ここは彼らにも”殺し”の経験をさせることが肝要だ。
「俺の”屈折”を使う! 合図をしたら飛びこめ!」
俺は左胸に片手を当てて目を閉じた。
使うのは久しぶりだな。
俺は心の中で念じる。光をイメージする。思い描くは敵の集団、そこに降り注ぐ太陽の光。恵みの光。しかし俺のイメージはそれを許さない。あんな化け物共に光は勿体ない。光は俺たちの、いや、俺の物だ! アイツらが浴びるなど許されない!
「龍技”屈折”……」
俺は姿勢を低く構え、剣を鞘に沿わせて力を抜く。
「
剣を敵に向けて唱えた瞬間、太陽の向きが変わった。それまでこの地上に平等に降り注いでいた光は、その矛先を絞った。正確には異形の者たちの周囲に、一切の光が届かなくなった。
全くの暗闇。
まだ早朝だというのに、光は異形の者たちから奪われた。異形の者たちの周囲一〇メートル程に渡って、暗闇が続いている。異形の者たちの進行に合わせて、その暗闇のスポットライトも移動を続ける。
「敵は何も見えていない! 突っ込め!」
俺の号令と共に第三師団の面々は一斉に海に潜り、一撃離脱戦法を再開した。
効果はてきめんだった。
敵は急に暗闇に襲われ、何の前触れも無く迫りくる刃の嵐に、なす統べなくそのまま死に絶えていく。
死体が海上に浮かんでくる。徐々にその数は増え続け、ものの十数分足らずで、異形の者たちは全員死滅した。
綺麗な海は異形の者たちの血と肉で汚されたが、それもしばらくすれば大いなる海の自浄作用で消えていく。浄化されていく。種族の木が生み出した一つの異形がいま、海の藻屑となったのだ。
「殲滅完了しました!」
「よろしい! 各自ラジックタワーに戻り、休養を。負傷した者はタワーの医務室へ急げ!」
「了解!!」
俺の解散の合図で、各々が今日の戦いを話しながら引き上げていく。彼らにとってみれば今回の戦いは初めての命のやり取りだったはずだ。
竜騎士団には第一から第三まで、三段階の階級が存在する。第三師団以下は訓練兵となる。今回俺の部下となったのは、第三師団になったばかりの新兵たちだ。
彼らの主な仕事は見張りや雑用、たまに今回のような第一師団がリーダーを務める作戦への参加であって、基本的に命のやり取りを迫られるのは第二師団になってからだ。
今回は、俺とニーアの二人が面倒を見る程に危険な相手だ。第三師団が戦うには、相手の情報が無さすぎる。
それだけ人手不足なのも確かだが、それ以上に竜騎士団の成長を急いでいる節がある。これは頭の片隅にいれておかなくてはならない。
「お疲れ、ハンス。ハンスが”屈折”を使うなんて珍しいよね。てっきり私を呼んで暴れろって指示してくるのかと思ってた」
「最初はそれも考えたさ。だけど今回の任務のメインはおそらく、彼らに殺しの経験をさせること。それだったら俺の”屈折”で比較的安全な空間を用意する方が良いだろうと考えただけだ」
「私もあれをくらったら勝てないだろうな。……ちょっと気になったんだけど、あの能力ってさ、異形の者たちの周囲だけ光を無くしたんだよね? だったらどうして皆は的確にアイツらを殺せたの?」
ニーアは不思議そうな顔をしている。確かにそう思うのも無理はない。俺の”屈折”をああやって使ったのは見たことが無いだろうから。
「あれは異形の者たちの周囲の光を喪失させたのと、竜騎士たちの瞳に光を授けるのを同時にやったんだ。光の加護を彼らの瞳に宿らした」
「やっぱり意味が分からない能力だよね。それに厭らしいし」
「別に厭らしくはない」
「そうだぞニーア。別に”屈折”は厭らしい能力じゃない。単純に、ハンスの奴が厭らしいんだ」
途中で口を挟むのは、ずっと黙っていたオオトカゲ。
俺たち第一師団のメンバーが操る能力は、全てパートナーのドラゴンに由来するものだ。だから厭らしい能力と言われるのが面白くなかったのだろう。ドラゴンと言ったって心の狭さはトカゲ並だ。
「ハンス。何気に失礼なことを考えてただろう?」
「いやいやとんでもない。偉大なレフレオ様」
「そこまで
レフレオ様は俺の隣に立つニーアに話を振る。
「そうかな? 私もハンスと同じ気持ちだよ? 偉大なレフレオ様」
「こいつらカップルは本当に!」
「「カップルじゃない!!」」
オオトカゲによると、俺とニーアはカップルに見えているらしいが冗談じゃない。確かに見た目も性格も良いが、辺り一帯を焼け野原にするような女、俺の趣味ではない。
「ちょっとハンス。私べつに辺り一帯を焼け野原にしたことなんて、たまにしかないんだけど?」
「たまにでもあるのが問題なんだよ。というか二人そろって俺の心の声を読み取るの止めてくれないか? プライバシーの侵害だぞ?」
「何を昔の人間みたいなこと言ってるのよ。プライバシーなんてあってないようなもんじゃない」
ニーアは腰に手を当てて仁王立ちだ。レフレオはレフレオで、明後日の方角を見ている。この二人はまったく……まあでも良しとしよう。
俺はこの世界の行く末を見届けたい。それはこの二人にも話している。二人とも俺の考えに同調してくれている。彼らの協力無くして、前には進めないのだから。
「それじゃあ報告を終わらせて飲みにでも行こうか!」
ニーアは俺の手を掴み、本当に女なのか疑わしい程の腕力で、俺をグイグイ引っ張っていく。助けを求めてレフレオを見るが、レフレオは頑張れと言わんばかりの顔で、連れ去られる俺を見送る。
助けを諦めた俺が海岸に視線を向けると、地上にまでやって来た異形の者の死体が五、六体ほど転がっている。何も言わないが、ニーアはニーアでしっかり役目を果たしていたようだ。
「仕方ない。一杯だけだぞ?」
そう言って本当に一杯だけで終わったためしはない。滅茶苦茶に飲みまくった後、俺の家にやって来て一緒に寝るまでがセットなのだから。