「それで、まさかとは思うけどエタンセルとの国境沿いってことは……」
キース通り入口付近、ニーアは思い出したかのように口にした。
「そのまさかだよ。あの谷だ。ダニール谷だ。だから俺はニック指令に言ったんだ。今回はニーアじゃなくてもって。でも司令官はどうしてもお前たち二人組じゃなくちゃダメだって……」
「ニック司令官の判断が正しいわ。今一番の懸念事項が、エタンセルとの関係なのだとしたら、下手に他の隊員を送って判断を間違えたら面倒よ?」
ニーアはそれだけ言い残し、足早にキース通りの雑踏の中に消えていった。
「急にどうしたんだ? アイツ」
レフレオは納得がいかないと言わんばかりに首を傾げる。それも仕方がない。レフレオはニーアの事情を知らないのだから。
「ダニール谷の悲劇については知っているだろう?」
「何それ?」
本当に知らなそうな顔で俺を見上げるレフレオ。
ダメだコイツ。全く世間に疎い。
「一〇年前のあの悲劇だ。守護竜様の張っている結界だって、常に完全ではない。たまに空のドラゴンがやって来ることがある。それによって多数の死者を出したのが、ダニール谷の悲劇だ。巡回中だった竜騎士、三〇人ほどが殉職した、ここ数十年で最悪の事件……。ニーアのご両親は、そこでドラゴンに殺されたのさ」
「親をドラゴンに殺されたのに、竜騎士団に入ってドラゴンとタッグを組むのか?」
レフレオは不思議そうな顔をしている。確かにそう思うのも分かる。だけどニーアには、そういう諸々を度外視してでも達成したい目的がある。
「それが組むのさ。目的のためなら何だってする。ニーアが騎士団に入ったのは、自分の両親を殺めたドラゴンを殺すため。あのダニール谷の悲劇では、ニック司令官をはじめとした、第一師団の精鋭たちが侵入したドラゴンを撃退した。ニーアが狙っているのは、その時に両親を殺したドラゴンさ」
「復讐のために、嫌なドラゴンともタッグを組むんだな」
「まあニーアの中では、空のドラゴンと竜騎士団の地上のドラゴンは別物と認識しているみたいだから大丈夫さ」
「そうでなくっちゃ!」
珍しくレフレオは上機嫌となり、心なしか足元が軽い。
「ハンス! 滞在中の俺の飯は肉で頼む!」
「分かったから、ここから先はあまり喋るなよ!」
俺は肉を求めるレフレオのためにキース通りの中へと足を踏み出す。
結構な出費になる。あとから騎士団に請求すれば帰ってくるのだが、一旦はこっち持ちなのが憎い……。それはそうと、ニーアと合流しなければ! 俺はニーアの面影を探しながら、商店街を練り歩いた。
「そっちは買えた?」
「こっちは揃ったわ。ハンスは……なんでそんなデカい肉ばかり買ってるの?」
俺たちはキース通りで合流し、お互いが何を買ったのか確認をしている最中だ。
必要な物に漏れがないか、不必要な物を買っていないかのチェックだ。そしてそのチェックに俺の持つ巨大な肉片が引っかかったらしい。
「これは……」
「これは俺の飯だ! 何か文句でもあるのか!」
俺の言葉を遮り、レフレオがニーアに食って掛かる。
「大ありよ! 勿体ないじゃない! 別に他のでも食べられるでしょう?」
ニーアの言うことは一理ある。というより一理しかない。実際食料にかんしては、そこまで買いこまなくても大丈夫だ。現地で調達できるし、仮に買うとしてももっと安くて小さい携帯食料で十分なのだ。
「ほう~では、そのバックの端から覗いている瓶の先端はなんなのか説明してもらおうか?」
「こ、これは……」
「まさか勤務中にお酒を仰ごうなんて考えてないよな~??」
レフレオはここ最近で一番の笑顔を浮かべ、ニーアを煽る。こんなに嫌らしい表情のドラゴンを見ることは、後にも先にもないだろう。そもそも笑顔のドラゴンってなんだ? とも思うのだが、笑顔は笑顔なので否定できない。
結局ニーアはそのままレフレオに言い負かされ(嘘だろ?)、レフレオの肉を認める代わりに酒も良しとするか、それともどちらも禁止するかの二者択一に追い込まれ、どちらも許すというありえない結論に至った。
まあ俺としては、ニーアが酔っていようが素面であろうがその強さに差異が無いことは分かっているし、レフレオの機嫌をとる役割を肉に丸投げできるのなら、そっちのほうが楽なので、割と両方持っていくというのは気に入っていたりする。
「そろそろ出るか?」
「そうね。じゃないと到着が夜になりそう」
「フレイヤは今何処に?」
「イザバナの一番外側にある宿舎に移動済みよ。行きしなに拾えるわ」
俺たちは大量の荷物を背負い(尋常じゃない量の肉はレフレオの背中に括りつけてある)エタンセルとの国境沿い、ダニール谷を目指す。
「ここから半日程か?」
「そうね……気が重いわ」
ニーアの気が重い理由は、単純に距離なのだろう。今はほとんどダニール谷について思うところは無いのだという。
ダニール谷の悲劇の件は、間違いなくニーアの人生を狂わせた。元々活発な性格の彼女だとしても、女性で第一師団所属の精鋭にまで上り詰めるのは、決して楽な道のりでは無かったはずだ。
彼女をそうさせたのは、両親を殺したドラゴンへの復讐心。
復讐なんて何も意味が無いと言う人がいるが、それは自分が当事者ではないから言えるのだ。そしてそいつらの否定した復讐を糧に生まれたのが、ニーア・ストラウト。レフレオ共和国の誇る第一師団所属の精鋭、炎を司るこの国最強の女騎士は、間違いなくこの復讐心から生まれたのだ。