「周囲が騒がしいな」
イザバナを出て数刻、レフレオが異変を察知する。
「相手は人間か?」
「いや違うと思う」
レフレオが人間ではないと断定するということは、きっと本当にそうなのだろう。彼がこういう場面で間違えたことなどない。
「じゃあ土着の異形ってわけね」
ニーアは俺に荷物を渡し、腰に差した剣に手を添える。
「おいニーア、それだったら俺が」
「いいからハンスはそこで見ててよ。海岸防衛戦の時は、私が見てる側だったんだから、今回は私が殺る」
ニーアは気合十分といった様子で俺たちの前へ躍り出る。そのまま目を瞑り、耳を澄ます。
「左からね」
ニーアはそう言って剣を抜く。ニーアの剣には刃の中央に赤い紋章が縦に刻まれており、彼女の技に呼応するように光るのだ。
「アイツらが……」
ニーアの前方には、五体程の異形の姿があった。それらは自然とそこにいたかのように、シンとして突っ立っている。
姿形は基本的には人型で、手足には鋭い爪、指のあいだには水かきがついており、種族の木がある孤島から海を渡ってきたのをうかがわせる。額には比較的大きな一角が生え、深緑色の皮に紫色の血管が浮き出ている。背丈は常人の二倍ほどで、その両腕は馬の脚ののように筋肉が発達している。
「ハァ!」
ニーアは剣を構えたまま走りだす。その速度はおよそ人間のそれとは思えず、瞬く間に最前列にいた異形に肉薄する!
「ギョ!」
異形はあまりの速度に反応できず、無様な声をあげただけでニーアに切り捨てられてしまう。
ようやく状況を飲み込めたのか、他の四体の異形は耳をつんざくほどの奇声を放ちながらバラバラにニーアに襲い掛かる。
最初こそ奇襲で一体を仕留めたニーアだったが、それ以降は敵の数とその強さに圧され、徐々に不利な状況に陥っていく。
ニーアがようやく二体目を切り捨てた時点で、彼女の息はかなり上がっている。バラバラに不規則に剛腕を振り回す異形たちの攻撃を、ギリギリで躱しながら反撃の刃を刻んでいく。
しかし中々致命傷には至らない。急所にでも当たらない限り、上手いこと殺すことが叶わない。
それに引き換え、異形たちの剛腕は凄まじい威力を誇っていて、ニーアが躱した際、背後の岩に拳がぶつかったが、人一人分程度の大きさの岩に、見事な風穴を空けている。あれでは一発もらっただけで死んでしまう。
「俺も加勢する!」
俺が荷物をフレイヤの背中に置き、ニーアの元へ走りだす。
今回は彼女の言う通りに見守ろうと思っていたが、正直敵が強すぎる。俺が先日海岸防衛戦で対面した、異形の数倍は強い。
騎士団の巡回中でも時折、土着の異形との交戦記録はあるが、竜騎士の方が多い状況にもかかわらず、どれも苦戦していた。
土着の異形たちは、運であれどうであれ、我々の海岸防衛ラインを突破したことを意味する。
海から上陸した異形は、この大陸の木々の根元に自身の命を捧げることで土着の異形と大地に記録される。
「ハッ!」
俺は剣を振るい、近くにいた異形に切りかかるが躱されてしまう。
「ハンス! 下がってて! 龍技を使う!」
ニーアは俺に再び下がるように指示を出す。龍技を使うと言われたら、俺も下がるしかない。
彼女の龍技、炎罪は周囲の味方もろとも巻き込んで放つ大技。今回のように相手が集団であり、なおかつ容易には倒せない場合にもっとも有効だ。
普段彼女が龍技を使う場面というのはあまりない。それだけ今回の異形が強いということなのか、それとも来たる未来に備えてここで使っておこうということなのか、判断が難しい。
だが普段の彼女なら容易には使わずに、俺に共闘を指示するだろう。
「龍技”炎罪”……」
彼女が剣を鞘の隣に這わせ、腰を低く構える。その構えは抜刀術に似ている。
彼女を中心に空間の温度が上昇しているのを感じる。肌にピりつくような熱波が押し寄せる。
徐々に彼女の刃の紋章が赤く染まる。その色は炎の赤にも血の赤にも見えた。
隙ができたと勘違いしたのか、異形の者たちが一斉にニーアに飛びかかるが、それが彼らの死を決定づけた。
「
彼女が叫びながら剣で空間を水平に薙ぐと、自身を中心とした半径五メートル四方の空間全てに炎の波が走り、悉く周囲を炎獄と化す。
空気は焦げ付き、大地は焦土と化し、熱波と共に放たれた斬撃は異形の者たちを灰に変える。
これがレフレオ共和国最強の女騎士、ニーア・ストラウトの龍技、炎罪。
竜騎士は数多くいれど、彼女ほど瞬間火力に秀でた者はいない。
”炎撃のニーア”……竜騎士団の中で彼女はそう呼ばれている。
「ニーア! 大丈夫か?」
俺は炎が収まったころを見計らって、その場に
いつ見ても心臓に悪い。過去に何度か見たことはあるが、何度見ても慣れない。とても人間一人が繰り出すには巨大すぎる力、まるで自身の命を燃やしているようで、見ているだけで毎度毎度不安になる。
いつか彼女がこの技を使い続けている内に、本当に燃え尽きてしまわないかと、毎回心が震える。心配になる。
「私は……大丈夫よ……」
彼女は息を必死に整えながら、消え入るような声で返事をする。
その目には明らかに疲労の色が見て取れる。
「あんまり大丈夫そうには見えないけどな……」
俺は彼女をお姫様抱っこして立ち上がる。
「ちょっと」
「良いから、黙って寝てろ」
恥ずかしがる彼女を制して、俺は慎重に彼女を抱きかかえ、フレイヤの元へ向かう。フレイヤの背中に乗せた方が回復は早いはずだ。
彼女の龍技、炎罪には他にもいくつか技がある。その中で今回彼女が使ったのは、特に範囲と威力に特化した技で、体に跳ね返ってくる反動は並のそれではない。
だからニーアの相棒であるフレイヤの背中に預ける。
俺たち竜騎士は、相棒の側にいる時に一番回復が早くなる。これは体力でも精神力でも傷でもなんでもだ。
「それにしても……」
俺はフレイヤの背中に、疲労困憊のニーアの乗っけて先ほどの戦闘を思い出す。
やはり彼女はいつもより力んでいた気がするのだ。あの場面であの技の選択は普段ならしない。反動が大きいから、この後に控える任務を考えたらあまり合理的な選択ではない。
それでも彼女があの技を、自身の全力を出しきった。これには合理的な判断とは別の理由があるに違いない。
その理由の一端に、これから向かうダニール谷が関わっていないことを願うばかりだ。