俺たち二人と二体は無事にナルム平原を突破し、ボルト樹林に入る。
ここの木々たちは随分と変わっていて、枝がほとんどない。ひたすらに真っすぐ空に向かって伸びるのみで、その頂上に人の頭ほどの黄色い果実が実る。この果実は時折何故か黄色く光り、その閃光が雷に似ていることから、ボルト樹林なんて呼ばれていたりする。
ボルト樹林を構成するのは、ほとんどがその鳴り響く木々たちで間違いないが、この樹林の名物といえば今まさに俺たちの上空を飛んでいる鳥だろう。
「なによあれ」
ようやく元気を取り戻したニーアが空を見上げている。
「何って、鳥じゃないか」
俺は当たり前のように当たり前に答える。だってあれは鳥だもの。一応……。
「鳥に手って生えてたっけ?」
「鳥にもいろんな事情があるんだよきっと」
俺は適当に答える。ニーアだってボルト樹林に来たことぐらいあるだろうに。
「初めて見た」
「え!? ここに来たことないの?」
「私の龍技覚えてる?」
「ああ……そうか。失礼」
そうだった。こんなところにニーアを派遣して龍技、炎罪でも使われたらたまったものではない。ボルト樹林が全部灰になってしまう。
それにボルト樹林で土着の異形を見たという目撃情報はほとんどない。つまりただの巡回程度の任務しか発生しない土地だ。
俺みたいなタイプならともかく、戦闘特化のニーアがここに派遣されることなどないのだ。
「それで、あの鳥はなんで手が生えてるわけ?」
ニーアの指さす先には、枝が無いために比較的飛びやすいボルト樹林を、件の鳥が悠々舞っている。
「知らないよそんなの。俺は学者じゃないんだ」
鳥に手が生えている理由なんて知るわけがない。ただ見たことがあるだけだ。
「あれはこのボルト樹林にしか生息していない鳥で、怪鳥とか呼ばれている」
急に答えを提示してきたのはレフレオだ。意外な知識を持っているオオトカゲだ。
「ここの木々には枝が無いだろ? だから枝に止まって休むことができないのさ」
「なるほどね~それで手が生えてるんだ」
ニーアは納得して歩き出す。
なるほど。普通の鳥のようには休憩できないこのボルト樹林で生き延びるためには、手を生やして木に直接掴まるしかないわけか。
「なあレフレオ。だったら地面に降りて休憩すればいいじゃないか?」
俺は至極まともな疑問を呈するが、それを聞いたレフレオは軽く鼻で嗤った。
「だから言ったろう? このボルト樹林には巨大ネコがいるって」
「地上に降り立つと食われると?」
「そうだとも」
レフレオの解説を聞いた俺は空を見上げる。あの鳥は、羽を広げれば全長一メートル以上はありそうなものだが、あれを襲う巨大ネコってどれだけデカいんだ?
「なあレフレオ、その巨大ネコってどのくらいデカいのさ?」
まあレフレオが好物って言っているんだから、危険なサイズではないだろうが。
「うーん……お前くらい?」
「マジ?」
「マジ」
これは驚いた。巨大なんてもんじゃない。ネコかどうかも疑わしい。文献によると、昔ネコはペットと呼ばれる愛玩動物だったらしいが、昔の人間は恐ろしい生き物を飼っていたんだな。
「遭遇したらどうするんだ?」
「勿論ぺろりと頂くさ!」
「その時は私たちに見えない所で食べてよね」
話を聞いていたニーアが釘をさす。
うんうん。全くもって同感だ。同感しかない。
「分かってるよ! 頼んだって分けたりしないからな!」
「いらないわよ!」
俺も巨大ネコの肉はいらない。
というか俺ぐらいのサイズのネコもペロリと頂けるのか、レフレオは。流石守護竜の末裔だな。
そして理解した。レフレオは俺もペロリしようと思えばできるのだ。今後気をつけよう。
「それにしても今回の旅はお前の食生活が赤裸々になるな」
「本当だよまったく! ドラゴンには人権はないのか?」
「そりゃドラゴンなんだから”人”権はないだろ?」
何を当たり前のことを言っているんだコイツは。そうでなくとも、他の竜騎士のドラゴンより待遇良いだろ、お前は。
「まあ良いさ。今にお前たちは俺を見直すことになる」
レフレオはそう言って鼻をピクピクさせる。
「どうした?」
何か危険が迫っているのだろうか? 見渡す限り閃光が走るこのボルト樹林に、異形の者の姿はない。
「噂をすれば巨大ネコだ!」
叫んだレフレオは、俺たちをおいて一気にダッシュして樹林の奥に消えてしまった。
「どうするのよ、あれ」
「いいさ放っておこう。とっととこの樹林を抜けるぞ」
「大丈夫なの?」
「平気さ。いつものことだ。ボルト樹林の外で待っていれば、俺の匂いを辿って、腹をパンパンに膨らませたオオトカゲが追ってくるから」
首を傾げるニーアに合図して、俺たちは先を急ぐ。遠くでネコの断末魔が響いた気もするが、きっと気のせいだろう。
「やっと抜けたわね」
ニーアと俺はようやくボルト樹林を抜けることに成功していた。
空はもうすっかり暗くなっていて、後ろを振り返れば、ボルト樹林の頂上に位置する果実が黄色い閃光を走らせ、樹林を上から神々しく照らしている。
「それにしたって凄い樹林。どういう進化を辿ったらこうなるのかな?」
「さあね。神話の通りなら、もうこの星の生態系は壊れているんだろう?」
俺は神話を持ち出す。レフレオ共和国の国民全員が知っているあの神話。最後に光の後継者うんぬんかんぬんという、余計な一文が書かれているあの神話だ。
「そうね。だから絶海の孤島に種族の木があって、そこで異形の者が生み出され、このユーリシア大陸に押し寄せる。空にはドラゴン、海からは新たな生命が攻めてくる。冷静に考えれば、危機的状況だと思うけど」
「それでも国民はこの偽りの楽園がいつまでも続くと考えている。空と海を除けば、同族内での戦争が無い以上、自分たちを襲うのは土着の異形ぐらいで、それらは俺たち竜騎士に任せれば良い。だから病気か寿命でしか死なない」
「でもそれって本当に奇跡のバランスで成り立っている楽園よね? いつ崩壊したっておかしくない」
ニーアのいう通り、いつ崩壊してもおかしくない。だけど国民はそう思っていない。俺たち人間は、人類は、失うことに鈍感だ。危機に鈍感だ。失ってようやく、失われた事柄の重要性に気がつくのだ。
「だから俺たちがいるんだろ?」
「まあそうだけど……なんだか、やるせないわね」
ニーアは夜空を見上げる。
彼女は今、何を思う?
国を守るため、この先に待ち受けるダニール谷にて空のドラゴンに立ち向かい、そして殉職した彼女の両親。
それを知らずに、もしくは知りながらも、命知らずのバカ者だと竜騎士をバカにする国民。
やるせなくて当たり前だ。俺だってそうなのだから。彼女はなおさらだろう。
「いや~お待たせ~」
数分後、固い空気に風穴を開けたのは、見違えるほど丸々と太ったレフレオだった。おそらく巨大ネコを丸々一匹食ったに違いない。鱗が生えているくせに、そんなに表面積が広がるのかってほど膨らんでいる。
「はぁ。レフレオを見ていると、なんだか真剣に考えているのがバカらしくなるわね」
ニーアは自身の相棒であるフレイヤを撫でながら呟いた。