「今国難とされているのが、結界の弱体化だ」
「結界の弱体化……」
ダースゴールの言っていたことは本当だったのだ。結界が弱まっているがために、ダースゴールのような、レムレース空域の者が地上に降り立ってしまった。
「そうだ。結界が弱まっているため、範囲を狭めて結界の濃度を高めるしかなかった。それによって結界の範囲から弾かれたのが、ダニール谷だ」
「ということは、ダニール谷はもうすでにドラゴンが降り立つ地であると?」
「いや、そうではない。範囲から弾かれただけで、完全に結界の効力が消失したわけではない。空の強力なドラゴンはまだやってはこられない」
ニック司令官の説明は、ダースゴールの説明とほとんど同じだった。ダースゴールは自分のような弱い者しかまだやってこれないと言っていた。そう……”まだ”だ。
「まだということは、いずれはそうなると?」
「我々はそう考えている。守護竜レフレオ様は、なんとか結界を維持し続けると仰って下さったが、正直何とも言えない。このレフレオ共和国の国土だけなら、レフレオ様の意志だけで守れるかもしれないが、国土以外の部分となると、他の守護竜様たちとの兼ね合いがある。他の守護竜様たちがどの程度結界を維持できるのかは未知数だが、我々はこの結界が近い将来消えてしまうのではないかと危惧している。本当の意味で、偽りの楽園は終焉を向かえるかもしれない」
ニック司令官は一気に語り終えた。
俺とニーアは呆然としている。あまりにも話のスケールが大きすぎて武者震いしてしまう。
結界が弱まっている事実と、ダースゴールのような者の存在を聞き出そうと思っていたが、まさか結界の消失にまで話が及んでいるとは思わなかった。
「そこで隣国、エタンセル王国の動きですか……」
「そういうことだ。彼らとは昔から国境付近でのいざこざが絶えなかったが、先日のように、本気の騎兵隊を繰り出してくることなどなかった。それに今回だって、レムレース空域の竜騎士に殺されていたとはいえ、完全武装の騎兵隊をよこしていたのだ。何かしら怪しい動きはある」
今の国難は結界の弱体化と言ってはいたが、それと同じくらい、隣接する国家であるエタンセル王国の動きは危機となり得るだろう。
国の成り立ちや構造からして全く違う国だ。考え方や価値基準も違う。それにエタンセル王国の国王は、全てを支配していると聞く。国民は虐げられているとも……そんな国の考えなど予想できない。友好的とは限らないのだ。
「最後に一つ聞きたいのですが、ダースゴールのような竜騎士の存在を、国の上層部は知っていたのですか?」
要はここだ。この可能性を捨てきれないから、俺とニーアを国境警備に向かわせたと予想しているのだが、果たしてどうなのだろう?
「その遭遇したとされるダースゴール。レムレース空域の竜騎士……。知らなかったといえば嘘になる。存在は知っていた。ただ存在を知っているだけで、どういう存在なのかは知らない。本当に人間なのかも分からない。神話ではレムレース空域には人間は存在しないはずだが、実際に現れたのは見た目が人間と変わらない竜騎士。そういうことだ」
「つまり知っていたけど、何者かは不明と?」
「そうなるな。一〇年前のダニール谷の悲劇の際にも戦ったことがある。あの時、奴は名乗らなかったが、もしかしたら同じ騎士かもしれない」
うん? おかしい。ダニール谷の悲劇はドラゴンによる襲撃事件だったはず。そう記憶しているし、国報でもそう記録されているはずだ。そこに竜騎士がいたなんて一切……。
「不思議そうな顔をしているが、ハンス。あのタイミングでドラゴン側に
つまりは国民のパニックを抑えるために情報操作をしたということだ。それ自体は責めることはできないだろう。実際、俺の周りも楽園が終わるのかどうかの話題で持ちきりだったのだから。
「それに言っただろう? 結界は弱まってはいるが、空の強力なドラゴンはまだやってこられないと」
そうだ。確かに言っていた。それはニック司令官も、ダースゴールも言っていた。まだ空の強力なドラゴンが降り立つことはない。
では……ダニール谷の悲劇とは一体……。
「じゃ、じゃあ、あの事件で私の両親を殺したのは……」
話すニーアの声は震えていた。唇をキュッと結び、何かを強く我慢している。彼女も答えは分かっているのだ。ダニール谷の悲劇とは、何だったのか。報道されていた情報と、事実は全く違うものだということを……。
「そうだニーア。君の両親を、私の同僚を殺したのは、竜騎士だ。それがダースゴールだという証拠はないが……。ダニール谷の悲劇とはドラゴン襲撃事件ではない。レムレース空域の竜騎士による襲撃事件だ」
ニック司令官は昔を思い出したのか、目尻が濡れていた。
「……」
俺たちは司令室を後にして、ラジックタワーの入り口で待つレフレオたちの元へ戻る。
俺もニーアも言葉はない。情報が多すぎて、何を考えればいいのか整理が追いつかない。口に発することすら難しい。
特にニーアはそうだろう。己の人生を一八〇度変えた、あのダニール谷の悲劇。両親を失ったあの事件の犯人が今になって違うと言われたら、誰だっておかしくなる。
彼女の一〇年間は、あの悲劇から始まっているのだ。
復讐の対象がドラゴンなのか竜騎士なのか、分からなくなってしまった。けれど……。
「相手がドラゴンだろうが竜騎士だろうが関係ない。私の敵は空にいる。その事実に変わりはないわ!」
そう宣言するニーアの覇気は復讐に憑りつかれたかのように、鬼気迫るものだった。