「ちょっと、嘘でしょう?」
ニーアは目の前の現象に驚く。俺も同感だ。嘘であってほしい。
二体になり不利を悟ったクリーマは、静かに音もなく地面に溶けていく。体の色がこの坑道と一緒だったのには、そういう意味があったのか?
やがて全身が見えなくなった後、この坑道内に静寂が訪れる。
「気配はこの空間から消えていない。つまり隙を窺っているわけだ。気を抜いたらやられる」
俺は一度深呼吸をして目を瞑る。見えない敵を目で追うなど愚の骨頂。いっそのこと視界を消して、第六感に頼った方が現実的だ。
「来たぞ!」
俺は目を閉じたまま、真下に剣を向ける。すると読み通り真下から鋭いかぎ爪が俺を襲うが、無事に切り払う。地面から劈くような悲鳴が聞こえ、やがてゆっくりと浮上してきたクリーマにとどめの一撃を加える。
ニーアは俺から少し離れたところで、全方位に炎の円環を創り出し、迫ってきたクリーマを焼き尽くしていた。
「相変わらずおっかないな」
「なによ! ちゃんとハンスから距離は取ったでしょう?」
「まあそうだけど」
やはりニーアは強い。
どのような状況、どのような環境であれ、その力をしっかりと行使できる。個人戦術の万能さにおいて右に出る者はいない。唯一の欠点が、集団戦ができないことぐらいか……。これは彼女の技が、全方位タイプだからだけではない。
彼女が人に合わせて戦おうとすると、それはもはや炎撃のニーアではなくなってしまう。ニーアが全力を出しながらそれに合わせて戦えるのは、現状俺ぐらいなのだ。
「それにしても……」
俺は自分の足元に転がっている死体を観察する。
体表は土や砂と同じ色をしているばかりではなく、触ってみると驚いたことに手触りが坑道の壁とそっくりなのだ。
カーリルト村で遭遇したクリーマは雨に溶け込み、今回のクリーマは坑道に溶け込む。どちらも特異すぎる異能。通常の生物の定義では考えられない能力を有している。
「これが、神が優遇する種族か……」
俺は出発前のレフレオ様の言葉を思い出す。
相手は新人類。神の加護はあちらにある。
我々人類だけでなく、どのような生物だって、クリーマたちのような異能は持ち合わせていない。それこそ本当に神が、後ろ盾として存在していなければあり得ないことだ。
「ねえハンス。これ掘り出せそう?」
声のする方に目を向けると、ニーアが岩壁に半分埋まった光を発する機械を引っ張ろうとしていた。
「無理じゃないかな?」
俺は機械を眺めてそう判断する。
仮に多く見積もって、見えている部分が全体の半分ほどであったとしても、見えている部分だけでニーアの二倍ほどの横幅と縦幅を誇っているのだ。人の力で掘り起こせるわけがない。
「ギルドに戻って報告しよう。ここまで掘ってあるんだから、それの存在だって知ってるだろう? 後は彼らに任せようじゃないか」
ちょっと悔しそうなニーアを引っ張りながら、来た道を戻っていく。
「たまには発見とかしたいな~」
「なんだよそっちにも興味あったのか?」
諦めたニーアは、その代わりに願望を垂れ流す。
ここから坑道の入り口まで三〇分はかかる、多少は付き合うか。
「ほら私って、壊すことに特化した女じゃない?」
「ああそうだな」
同意と同時に俺は屈み、ニーアの裏拳を華麗に躱していく。
「チッ」
「いや、チッじゃねえだろ。殺す気か?」
「裏拳一発で死ぬようなハンスじゃないでしょ!」
「いやいや。お前の裏拳たまに炎を纏ってるじゃないか」
というより死ぬか生きるかよりも、そもそも大前提として裏拳など食らいたくない。
「さっきのは否定してほしかったんだけど」
「さっきって、あれか? 壊すことに特化したってくだりか?」
「他に何があるのよ!」
「だって言った直後に俺を壊そうとしたじゃないか!」
あんな物騒な裏拳をかましておいて、何を言っているのだろうかこの女は。
「それはあまりにも即答だったからつい……」
ついで裏拳かますのかコイツは……。
「わかったから、俺が悪かったから話を先に進めてくれ」
俺は渋々引き下がり、ニーアに話の先を促す。
「私は壊すばかりで、何かを創り出すことが無かった。だから発明とか発見とか、何かを見つけたり作ることに憧れがあるのよ」
そう語る彼女の瞳は真っすぐで、これが本気で言っていることなのだとすぐに分かった。
確かに彼女を有名たらしめてるものは、全て破壊の実績だ。何かを生み出してのものではない。憧れるのも無理はない。炎を司る彼女にとって、それは夢でありロマンであり、目標なのだろう。
「ニーアならいつかできるさ。炎は破壊の象徴。だけど、炎を通して作られるものだって一杯ある。焦らなければ、いつか何かを創り出せるさ。発見も同じだよ」
これは俺の嘘偽らざる本心。
さっきは茶化したが、俺は彼女の能力の高さを買っている。しかし何より俺が彼女を信頼している理由は、その向上心にある。
最強の竜騎士と呼ばれながらも鍛錬は怠らず、誰よりも努力し続ける彼女を俺は知っている。だから信頼するのだ。たとえ俺たちの進む道が違ったとしても、共に上を見続ける限り、またどこかで合流できると信じているから。
そんなこんなで坑道の入り口まで戻ってみれば、何やら騒がしい。レフレオたちに何かあったのか?
嫌な予感がしてレフレオたちの元へ駆け出すと、そこにいたのはレフレオとフレイヤ、それに職人街ギルドの伝達担当だった。
「一体どうしたんですか?」
俺はただ事ではないと悟って事情を尋ねる。この後俺たちは職人街ギルドに戻って報告し、それからイザバナへ帰還する手筈で、それはギルド側も承知しているはずだ。それでもここまで来るということは、相当緊急性の高い要件に違いないのだ。
「ご報告申し上げます! 先ほどイザバナより伝令あり! ハンス・ロータス、ニーア・ストラウト両名は、ギルドでのクリーマ討伐の後、至急ダニール谷の国境付近に向かわれよ! これは緊急案件であり、全ての事情に優先される! 以上となります」
ギルドの使者は簡潔に手元の文章を読み上げる。
つまり危惧していた事態が起きたということだ。
こうしてはいられない。
「ここのクリーマは無事に討伐し終えた。中に入っても安全だ。それをギルドに伝えてくれ」
俺の命令を受けた使者は、深々と一礼をすると、そのまま急ぎ足でギルドに向かって走っていった。
「ハンス。いよいよだぜ?」
レフレオはいつになく真剣な顔で俺を見上げ、自身の体を揺する。
俺はレフレオの合図に従い、彼の背中に跨る。
ニーアもフレイヤの背中に乗って、地図を広げている。
「ここから一日程度かしら」
「分かった。とりあえず急ごう。何が起きているかは書かれていなかったが、大体予想はできる」
俺たちはそのままの足で、急ぎダニール谷へと向かって走り出した。