「
足を組んで座るジャンヌが、あっさりと言い放つ。
いやいやちょっと待ってと、ホランドは揺れる座り心地に、舌を噛みそうになりながら反論した。
二人は今、馬車の中。
向かい合う恰好で座っていた。
車内はそこまで狭くなくむしろ広い方であったのだが、丁度今通っている路面が悪路なのだろう。時折自分の尻が跳ねては、勢い余って天井に頭を打ちそうになるほど。
そんな中にあっても、ジャンヌとホランドの二人は対照的だった。
ホランドは馬車酔いで気持ち悪くなりかける寸前だったのだが、ジャンヌは全くもって平然としたもの。これほどの揺れの中でも、舌を噛む様子すらなかった。
「女の人じゃないと子供は産めない。その
「い、いや、いくら君が
「でもここにいるじゃん。僕が」
「そ……それは……」
どう返すべきか、ホランドは反論する言葉を失っていた。
有り得ないのは有り得ない。
それは、天地が引っ繰り返っても、である。
ではそんな有り得ないがいると主張する矛盾を、どう説明したらいいのか。
「ま、教会が勝手に決めつけてるっていうのは、ちょっと言い過ぎだったかな。その前にも言ったけどさ、僕は答えを知ってるんだよ」
「だから何をどう、知ってるっていうんだ」
二人が馬車に乗っている理由。
それは、ゼーラン王国の王都へ向かうためである。
聖女調査官の調べで聖女が認められれば、当然ながらその聖女は国の最高権力者の元へと向かう。これは常識の話である。
万が一国が拒むような事があれば(まあそんな事例はほとんどないのだが)、拒否された聖女は教会が管理する事となるのだが、今回は当然ながら王国が聖女を招く事となった。
形式的な話をすると調査官の役目はここで終わりとなり、場合によれば聖女との同行すらしない調査官も少なくはない。だが、今回のホランドはそうもいかなかった。
何せ
これはかつてない、かなりの大事であり、何より戦いの場となったイェンセン教会はもとより、街にも被害が大きく出ている。幸いにも立会人であったアクセルオ王子をはじめ、命を落とした者がほとんどいなかったのが奇跡であったが、だからと言って、それではい終了というわけにはいかない。
事件の詳細な説明と併せて、当事者としての証言などもせざるをえず、結果、ジャンヌの王都行きにホランドも同行するのが強制的に決まったのであった。
二人が馬車に乗っているのは、そのためである。
「単純だよ。本人に直接教えてもらったんだ」
「本人?」
「
片手で円字を切り、その指先を頭の少し上に掲げるジャンヌ。
円字を切るとは、テルス教の信仰のサインであった。
やがて、掲げた指先に光が灯り出す。
そして――。
音もないのに音がしたように、光が弾けた。
まるでシャボンの泡が弾けるのに似た軽やかさで。
宙に残った光の残滓が、蕾の形になる。
蕾のように見えたそれは、目覚める優雅さで花びらを開いていくと――
「これは――」
オレンジ色の小さな人型へと変化した。
ホランドが絶句するのも当然。つい先頃、これと同じのを目にしたばかりだが、再び見る事になるとは。
「
手の平大、小鳥のような大きさのそれは、まるで花と虫の意匠を掛け合わせた妖精を思わせる姿。
太陽の欠片のように眩くて明るいオレンジ色の全身は、異能の巨人兵器を彷彿とさせはするが、同じ女性的な肢体ながらもまるで雰囲気が異なっている。あの巨人からは畏怖と神々しさを強烈に感じさせられたが、目の前に出現した太陽の妖精は、親近感というか愛らしさのような感情を抱かせてくれる。
より人の姿に近いというのもあるだろう。
「そんな……「
小鳥サイズの花の精は、ジャンヌの指先からくるりと身を翻す。
そしていきなり蜂のような素早さで、ホランドの顔面スレスレに近付いた。
「おい、まさかこんなダセぇトーヘンボクのために、オレを呼び出したんじゃねーよな?」
オレンジ色の神霊が、見た目の愛らしさとは真逆の酷い男言葉で吐き捨てた。
いきなりの急接近に加えて、予想もしてなかった神霊の言動に、指をさされたホランド自身はただただ声を失うばかり。
「そうだけど別にいいじゃない。どうせヒマしてたんでしょ」
「てめえ、ンなクソしょーもねぇ理由でいちいちオレを呼び出すんじゃねえ。ただでさえ昨日の強引な顕現で疲れてるっつーのによー」
「もうほんとに口が悪いなぁ。ほんとに君、
「バカかてめえ。こんな愛くるしくって清らかな見た目なんだぞ。誰がどー見ても
「ちょ……ちょっと待ってください……!」
ジャンヌと神霊の罵り合いに、ホランドが強引に割って入る。いや、入らざるをえなかった。
「儀式でもないのにこんなにあっさり
呆気にとられるホランドに、ジャンヌが少しばかり得意気に返した。
「でしょ? だから言ったんだ。これで聖女じゃなきゃ魔女だって」
具象化とは、
その場合、目の前の妖精のような姿としてあらわれる場合が多い。
神霊の顕現ならば、
つまり力だけ、姿だけが
反対に精神のみがこの具象化であった。
ホランドが言ったように、具象化の出来る聖女は極めて稀である。ましてやここまで自由意志を持った形で呼び出せる聖女となれば、最高位の聖女に匹敵すると言えるかもしれなかった。
「有り得ない――とは言わないけど……それでも凄い。凄すぎるよ。神霊との対話は聖女でも最高位の使徒聖女級ぐらいしか叶わないって聞いてる。まして聖女以外の人間も聞き取れるような、対話式の意思疎通を可能にするなんて……。これってもう、すぐにでも教会中央へ報告しなきゃいけないくらいの事例だよ」
「へっ――。こいつがスゲぇんじゃねーぞ。このオレがスゲぇんだ。何せオレは、最強の
小さい体で目一杯に胸を反らせる、神霊ラグイル。
どこからどういう風に聞くべきか――ツッコむべきか――悩ましすぎるホランドだったが、何よりも神霊とはこんな口調で喋るものなのかという驚きが、この場合最も強かったかもしれない。
「そ……その……ラグイル……様?」
「何だ、トーヘンボク」
「ラグイル様……というか、神霊様はみな、そのような話し方でいっらしゃるのですか? 何というかその……」
分かる、分かるよと、ジャンヌが向かい合う座席で頷いている。
「ああ? オレの喋り方はオレ様だけのものだ。世界に一つだけの花的なオレの個性だ。それがどーしたってんだ? それが悪ィって言うのかよ、ええ? トーヘンボクの分際で」
「い、いえ、その……悪いだなんて申しませんが、何と言いますか……ちょっと思っていたのと違うといいますか。そ、そういう語り口調なんだなぁと思いまして」
「もっと神妙でかしこまった話し方だって言いたいんだろ。ったく、てめーらニンゲンが勝手にオレ達のイメージを作って、こうに違いない、きっとこうだ、なんて決めつけんじゃねーっつーの。大体、こっちの世界でオレ達
「はいはい。そこまでにして。話が進まないでしょ」
止まらない愚痴のようなものに、ジャンヌが待ったをかけて遮った。
「僕が言いたかったのは、今の人間が勝手に決めつけた事じゃない? って事だから。君、言ったよね、ラグイル。
そうだ。そもそもジャンヌに宿っているその理由を、ジャンヌ自身の手で証明しようとしてラグイルは呼び出されたのだ。
「んな事言ったっけ?」
宙空にひらひらと浮かびながら、ラグイルは惚ける。
「ちょっと、出会った最初に言ったじゃん。オレは宿主が女の子じゃなくても誰かに宿る事が出来るって。オレが宿ったのは、お前の生命そのものだとか何とか」
「だったっけ? んな前の事、忘れちまった」
「っとにもう……。どこまでいい加減な
いや、それは有り得ない――。
聞いた直後、即座にホランドは説明の全てを心の中で否定した。
聞いた限り、話の筋は通っているように思える。
神霊とここまで対話出来る事そのものが、歴史的快挙とも言えるのだ。つまり神霊存在についてはまだまだ未知の部分が多いのも事実。ジャンヌの言葉を否定したものの、実は全部間違ってました、なんて事も有り得なくはないだろう。
その意味においてなら、そういう事もなくはないと言える。
が、それは神霊を宿す以外の事柄についてなら、だ。
神霊は男にも宿る事が可能――それについてのみ、今の説明は嘘だと断言出来た。
根本的に不可能なのだ。
また、そうでなくては聖女ではないし、魔女ですらない。そのどちらでもない新たな〝何か〟、現在の知識では説明の出来ない全く別の存在であるならば、それもあるだろう。
しかし聖女であるならば、命そのものに宿る事で男にも可能とする――それだけは神に懸けて信仰に懸けて、有り得ないのだ。
だがその事を、ホランドは口にする事が出来なかった。
そんな彼の心中を見透かしたかのように、またラグイルが、彼の鼻先スレスレに急接近する。
ジャンヌといいラグイルといい、相手との距離が近いところは一緒だろうか。
「ふうん……。しょーもないトーヘンボクのボクネンジンかと思ってたけど、お前、案外面白い奴だな」
「え……?」
「自分で言うのもアレだけどよ、オレの態度でこのエセ聖女野郎は、オレが本当に
「は? はい?」
「分かってんだろ? お前はさ。それとも
琥珀のような複雑な色をした大きな瞳が、ホランドを凝っと見つめた。
「ま、いいわ。それならそれで面白ぇからよ」
何を言っているのか、ホランドにはまるで分からない。いや、分かっているのだろうか?
とにかくこの話題を続けるよりも、まだまだ聞きたい事、尋ねたい事が山ほどあるし、まずは一つ一つをちゃんと教えてくれと、彼が告げる。
「そうだね。そもそも僕が聖女だっていうのは、君が認めたんだしね」
どうやら過去と正体を知るホランドの前でのみ、ジャンヌは一人称を「僕」にし、口調もより男っぽいものに戻っているようだった。
「三年前のあの夜、君は巻き込まれて死んだと思ってた。でも生きていた。そこから全部、聞かせてくれ」
ホランドの言葉に、ジャンヌはいつもの初夏の日差しを思わせる微笑みではなく、翳のある冷たい夕闇のような微笑を浮かべる。