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Chap.1 - EP2(3)『ゼーラン王国 ―王都クヴンハウ―』

 ゼーラン王国は、大陸の南に突き出した半島国家だ。


 それに蓋をする形で北にあるのがダンメルク王国。つまりジャンヌとホランドの出身国である。


 ゼーランと大国のダンメルクの両国は、長い間争ったり友好的になったり、はたまた支配したりされたりといった歴史を繰り返して今日こんにちに至る。特にここ近年のダンメルクは、三年前に出現した新たな聖女クローディアの力を背景にした侵略を多方面で行っており、ゼーラン王国も事実上の従属国家となっていた。


 つまりゼーランが平和でいられるのも国が栄えているのも、あくまで隷属となった事への引き換えであり、火種はずっと燻り続けている。それどころかダンメルクからの近年の締め付けは最早完全な支配のそれと変わりなく、いずれ忿懣の炎が上がるのも時間の問題だと言えた。

 いや、そうならないようにぎりぎりの駆け引きをしてきたのが、今のゼーラン王であろう。


 だがそれも限界に近い。


 諸侯の反発、ダンメルクからの一方的な搾取や朝貢の強制。

 直接的な支配地になってないだけで、そんなものは形だけのものだと、国中が知っている。



 だからこそ数多の国民から、聖女フローラの出現が強く望まれたのである。



 ダンメルクの支配からの脱却――即ち、ダンメルク聖女クローディアと対等に渡り合う、新たな聖女があらわれるのを。


 だがそれは、出来る限りダンメルクには知られずにいたかった。


 ゼーランにも聖女があらわれた――といち早く知られてしまっては、どのような手段で介入してくるか分からなかったからだ。

 そのため、中央教会からの派遣も通常ならばある程度は歓待してするものを、人知れず目立たぬように行ったのである。

 聖女調査を、ダンメルクから遠い位置になるオゼンセの街にしたのもそれが理由だった。


 けれどもその思惑に反して、聖女の出現はかなり大きな事件となってしまったのが、現在である。


 何せ候補者調査の中で片方が暴走し、挙句、聖女兵器アルマ・フロス同士の戦闘を起こし街にも被害を齎すという大惨事になってしまったからだ。

 二〇メートルの巨人が暴れ、しかも超常の力で街の一区画を凍らせたり巨大な蜘蛛の巣を展開させたりしたのだから、目撃者もその口止めも不可能なのは当然だろう。こんな事態になった経緯の説明も含め、かなりの急ぎ足でジャンヌとホランドが王都へ招かれたのは、当然の事。


 馬車を乗り継ぎ船にも乗り、一週間未満で王都クヴンハウへ辿り着くという強行軍。


 しかし王都に到着したからといっても、一息すらつけない。

 旅の疲れと垢をとるなどと言っている場合ではなく、到着と同時に国王へのお目見えもなされる事になったのである。




 市街を見下す高台にあるのが、王の住まうゲーリック城だった。


 さすが長年に渡りこの国を支えてきた象徴の城だけあり、佇まいは力強く誇らしい。


 城へと続く坂道が緩やかに続き、城門まで来れば、王都が一望出来る。

 途中には無骨にも思える外観を華やかに飾ろうと庭園が坂道沿いにあり、ゲラニウムやハナウドといった多年草の他、人工樹形トピアリーに作られたバラのアーチなどが、この城を多面的に飾り付けていた。


 城へ入ると、案内に導かれるまま荘厳なホールを抜け、朱色に壁が塗られた玉座の間へと通される二人。


 中では数十人以上の貴族らが、列をなして待っていた。


「聖女様と聖女調査官様のご到着です」


 案内係の宣言と共に、諸侯貴族らが動きを合わせて踵を返す。

 玉座に座っていた王も、立ち上がり声を発した。


「長旅ご苦労であった。聖女殿、聖女調査官殿、ささ、どうぞ近くへ来てください」


 王の招きに応じる二人。



 ゼーラン国王パウル・ウルフは、当年で五一歳になる。


 穏やかで温和な風貌からは懐の深さが滲んでおり、為政者にありがちな高圧さを感じさせない優しげな人物に見えた。

 それでありながら、年齢の割にそこまでだらけていない体型もしており、彼がかつては王国一の騎士であり、守護士ガードナーであった事を窺わせた。

 だが、かつてと言うように、ある戦いの傷が元でパウル王は戦場に立てなくなったと聞いている。確かに先ほど立ち上がった際には、片足を引き摺るような挙動があった。


「お初にお目に掛かります、国王陛下。中央大教会より罷り越しました、一等司祭、聖女調査官のホランド・ジャンセンと申します。こちらが今回の調査で、正式に聖女フローラと認めさせていただきました、ジャンヌ様となります」

「初めまして陛下。ジャンヌ・ジャンセンと申します」


 オレンジ色のドレスをつまみ、優雅でたおやかに一礼するジャンヌ。


 臆する素振りもなければ気構えた様子など一ミリも感じさせない。実に堂々とした、誰がどう見ても立派で愛らしい貴族の淑女であった。


 周囲の貴族からも「ほお」という溜め息が、漏れ聞こえてくる。


 まだ挨拶をしただけなのに、彼女の華麗さと明るさが城内を満たしていくようにすら感じさせた。


「うむ。息子のアクセルオより聞いておる。紛れもなく聖女フローラであるとな。私も其方を目の前にして、一目で確信した。力を目にするまでもない。其方こそ待ち望んだ、我が国の聖女フローラである」

「勿体ないお言葉にございます」

「いやいや、礼を申すのはこちらの方だ、ジャンヌよ。――呼び捨てで構わんかな?」

「勿論です」

「知っての通り、我が国では先の聖女フローラを失ってからかれこれ十数年も聖女が出ておらん。そのため国は疲弊するばかり。だからこそ新たな聖女フローラが出てくるのを今か今かと待ち望んでいた。そうして其方があらわれた。これぞまさに神と神霊フロースの恵み。我が国はまだまだこれからだという啓示に他ならん。なればこそ、其方を花のように誠心誠意厚くもてなしたいと思っている故、是非ともこの国のために力を尽くしてほしい」


 前評判は聞いていたが、やはり人格者の王であるとジャンヌは確信した。


 人柄もよく、政治手腕は有能。軍事や国事もそつなくこなす間違いのない名君。

 ここに聖女さえいれば、この国の困窮は有り得なかったであろう。


 それだけに自分の本性を偽って国ごと利用しようという自分に、ほんの僅かでも申し訳なさを感じないわけではなかったが、そんな感情は一瞬で心の水底に沈めてしまう。

 優しさは美徳かもしれないが、復讐においては足枷にも成り得る。だからほんの少しでも、心の水面に浮かび上がらせたりはしない。

 そう自分に言い聞かせた。


 それにだ、そもそもこの国も、ダンメルクの支配を憎しと思っているのは言うまでもない事。自分はそれをちょっとだけ煽ってやるだけであり、利害は一致している。


 ――つまりクローディアへの復讐は、この国にとっても望ましいはず。

 ――そうに決まっている。


「重ね重ね有難きお言葉にございます。パウル陛下のため、そしてこの国の更なる繁栄のため、この身をもってお仕えさせていただきたく存じます」

「うむ。その言葉、私も実に嬉しい。――ところで調査官殿」

「はい」

「報告は既に受けているが、その後の仔細も含め、調査の際に起きたあらましを、貴公からも直接聞きたいが、よろしいか」

「勿論です、陛下」


 そうして聖女調査のはじまりから顛末、そして事後処理に至るまでをホランドは説明した。


 ちなみに不完全な聖女兵器アルマ・フロスを顕現させて争いを起こしたもう一人の聖女候補であるマーセラだが、彼女はジャンヌに敗北はしたものの、命を落とすまでには至らなかった。そうなるよう、加減をして戦ったのだと後になってジャンヌが告げている。


 そして戦いの余波で気絶していたところを捕えられ、後は中央教会によって裁かれるのを待つだけとなっていた。


「調査官殿の見立てでは、そのマーセラ嬢は魔女堕ちフォールンであったという事か?」


 パウル王の質問に、ほんの少しばかりホランドは返答を躊躇った。


 出来損ないの聖女兵器アルマ・フロスを顕現させる――。


 大雑把にそれを魔女堕ちフォールンと言うのは、間違いではない。

 出来損ないというのが、比喩的表現であるのならば。


 通常、不完全な力では聖女兵器アルマ・フロスは呼び出せない。呼び出されたとして、それは神霊に近い別の霊的存在、または邪霊の類いになるはずであり、例え依代に宿った力が神霊のものでも、それが力として不完全な聖女以外であると聖女兵器アルマ・フロスを顕現させる事は不可能なのだ。


 従ってあのアザウザは邪霊、もしくは似て非なる紛いものでなければならなかった。


 しかしホランドがマーセラから感得した神霊力フロース・ウィースは、質も量も紛れもなく聖女のもの。神霊についてもそうだった。

 更にあの白い羽根のアザウザという聖女兵器アルマ・フロス――もどきとされた巨人――も、邪霊、または神霊紛いの別種のそれとは、明らかに違った。


 つまりマーセラが魔女堕ちフォールンであるかどうかは、正確には分からなかったのだ。


 ただし、いつものホランドならば色々な事を勘案し、そうだろうと思いますと返事をしただろう。

 が、それを少しでも躊躇った最大の理由は、ここに来る道中でジャンヌが具象化した神霊ラグイルの一言にあった。

 馬車の中で、ラグイルはこう言った。



 ――アザウザみてぇな力も弱ぇ、底辺の神霊フロース



 つまり他ならぬ本物の神霊が、アザウザも神霊だと認めているのだ。

 仮に言い間違いであったのなら、それだけの話だ。それに神霊と邪霊を間違うという事例も、過去にないわけではない。

 だがあくまでそれは人間側の問題であろう。

 果たして神霊が邪霊と自分達の眷属を間違う事など有り得るのだろうか?


 そういう事もあるさとラグイルなら言いそうだし、その判断はつかない。


 そして最大の疑問というか不審な点はもう一つあった。

 それは、崩れ落ちたマーセラに対し、ジャンヌが何かを話しかけた事である。

 あの時マーセラは、驚いたように顔を引き攣らせていた。

 しかしあれによって、直後にマーセラが暴走する最後の一押しになったのは間違いないと思っている。



 とはいえこれに対する証拠は、何もないも同然。考えも全て、彼の憶測でしかないのだ。

 神霊からの証言とてかなり曖昧であり、そんな不確かな推測を軽々しく口にするものではないのは、言うまでもなかった。


「……その可能性が、最もある一つかと。いずれにしても、彼女はこれから中央教会の詳細な調べを受け、その後で浄化の儀式を受ける手筈となっております。しかし調査官でありながら彼女の本性を見抜けずに事態を悪化させたばかりか、多くの人々に被害を与えてしまったきっかけは、紛れもなく私にございます。謝罪で済む話ではございませんが、責任と補償については私が必ず行います」

「いや、アクセルオからの報告も受けているが、全てを調査官殿の責とするのは、さすがに横暴に過ぎると思っておる。そこまで私も言うつもりはないし、今回の件については教会からのより詳しい調べもあろう。それを待って、正しく判断をしたい」

「寛大なお言葉、勿体のうございます」

「しかし調査官殿も、それで済ませてはいささか気も引けよう。であらばだ、もし貴官がよろしければ、しばらくの間この王都に滞在し、教会との橋渡しになってはくれないだろうか。有り体に言えば、今回の件について、こちら側から人を派遣する手間を省けるというのもある。それ以外の時には教会との交渉事や、神事、祭事などに協力していただく他、聖女フローラ聖女兵器アルマ・フロスの調べについても調査官殿がいれば実に有り難いのだがな。どうだろう?」

「私に否やはございません。陛下の御意のままに、お力添え致したく存じます」


 むしろそれはホランドもそうだが、ジャンヌにとって願ったり叶ったりの申し出だった。


 王がそれを言わなければ、ホランドが自らそのように願い出る事になっていたし、二人にとってはまさに渡りに船というべきだろう。


「うむ。それではこの話はひとまずここまでとして、新たな聖女フローラの歓迎の催しを、まずは開きたいところなのだが……お二人も存じておるかと思うが、我が国の窮状は何かと差し迫っておってな。いや何、催しが出来ないわけではないが、それよりも取り急ぎ聖女殿を迎え入れる体制を整えたいのだ。つまり、聖女守護士フローラ・ガードナーの選定を、早速にでも行って貰いたいのだが、如何であろう」



 聖女守護士フローラ・ガードナー



 または略称で、守護士ガードナーとも呼ぶ。



 文字通り聖女を守護する戦士、護衛の騎士の事であるが、もう一つの役割として、決戦兵器である聖女兵器アルマ・フロスを顕現させる際の、触媒の役目もあった。


 完全顕現には相応の神霊力が必要になる。

 そのため、強力な神霊力の持ち主を媒介にしなければ、完全な力を持った聖女兵器アルマ・フロスを出せないのだ。

 また、単に強力な神霊力を持っている者なら誰でもいいというわけではなく、聖女と力が常時紐付いている者でないといけなかった。身も蓋もなく言えば、安定した力の供給源の役割が聖女守護士フローラ・ガードナーであった。


 ただしその見返りとして、守護士ガードナーとなった者は聖女兵器アルマ・フロスから力を借り受ける事が出来た。


 具体的には、その聖女兵器アルマ・フロスが持つ固有能力の一部を、自分の異能として扱えるのである。ただし、聖女兵器アルマ・フロスのものと比べれば非常にスケールダウンしたものにはなるが、それでも個人戦やある程度の集団戦ならば、超人に近い存在となれる。


 畢竟、守護士ガードナーは個々の国における最高武力となる傾向が強く、聖女と並んでその国にとって欠くべからざる武力的存在と言えるだろう。


 そしてこの聖女守護士フローラ・ガードナーになるには、当然ながら聖女の力との相性のようなものが重要となる。だからこそ聖女に選ばれて守護士ガードナーとなる事を、教会では〝契約〟と呼んだ。


「かしこまりました」

「旅の疲れもあろうに、すまぬな」

「いえ、構いません」


 柔らかな笑みを浮かべ、ジャンヌに対し気遣いを見せるパウル王。

 それを受けてジャンヌも、マリーゴールドの頬笑みで返した。

 年齢差もあってか、両者のやり取りはどことなく理解のある優しい父親と娘のようにも見えた。

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