儀式が――契約者となる一人を決める儀式がはじまる。
方法は単純である。
聖女の神聖なる力――聖女認定の際に行ったのと同じ聖餐果の創造を、そこに候補者も神霊力を注いで共に行うというもの。そして生み出した果実の出来具合で裁定する。
いたって簡単なものだった。
より適合している相手と作る果実の方が、芳醇で甘やかな実が出来る。力に優劣があればあるほど、それは如実にあらわれるのだ。
契約者選びを庭園で行うのも、そのためだった。
というより、どの国のどの王城にもこういう庭園が存在するのが当たり前で、それにはこういった意味もあった。
候補者として選ばれた順で、儀式は進んでいく。
まずはレオナルドから。
長身で長髪。背丈は三人の中で一番高く、年齢も一番上。
王族以外で言えば、間違いなく彼が選ばれるだろう。
彼と共に作られた聖餐果を、ギルダがその場で切り分けて配る。全員が果実を口に入れ、味や香りなどを確かめた。
次にアクセルオ。
彼と生み出した果実を口にした途端、誰もが目を見開いた。
レオナルドのものと比べると、明らかに味が違うからだ。
風味は強く、香りも爽やか。そして甘味は今まで味わったどの果物よりも、強い糖度が感じられた。それは噛むたびに己の体内に力が漲っていくようで、まさに選ばれし果実の一つであると断言出来る。
皆が目を合わせ、頷き交わす。
これは――と。
その様子を見ていたアクセルオが、ジャンヌに顔を近付けてそっと耳元で囁く。
「まだ兄上だと決まったわけじゃないからね」
聖餐果で契約者を選ぶのは、これの出来不出来が、そのまま
恵みを齎す創造の力が強ければ強いほど神霊力がより強力な証となり、それは戦いに必要な力と比例する。だから儀式での収穫を確かめれば、聖女の力を引き出せるのがどちらか、自ずと分かるのだ。
ちなみに今は聖餐果をほいほいと生み出しているが、それは一個ずつ果実を実らせているから可能なのであり、本来この聖餐果の創造には、かなりの力を必要とした。
なので普段から聖餐果をどんどん量産して――とはならないのである。
そしていよいよ最後の番。オヴィリオであった。
候補者選びの際、一番光を強く出した者。
果たして二人が作り出す果実は。
ジャンヌの手にオヴィリオの手が添えられた時、彼の手が少しばかり震えているのが分かった。候補者選びの時と同じだと、ジャンヌは――いや、ジャンヌだけが気付く。
小さく、誰にも聞こえないように、
「大丈夫だよ」
と呟いた。
生み出された果実をギルダが切り分けた時だった。
「うひゃ」
素っ頓狂な声を彼女が上げたのも当然。
それは今までの二つと比べものにならないほどの甘くて爽やかな香りを庭園一杯に広がらせたからである。
あまりの瑞々しさに、誰もが見ているだけで生唾を呑み込むほど。
口にすると最早説明不要となった。
味そのものがまるで別次元。
ただし、甘味はむしろアクセルオの時の方が強かったようにも思える。しかし後味というか清涼感がまるで違った。酸味があって喉越しもするりとしているのに、熟成された料理のような複雑さもあった。
何より、与えてくれる力が違った。
食べた後に全身に行き渡る充足感は、これもアクセルオの時と変わらない。
だが、不思議と心の中が満たされていくような、多幸感が湧き上がってくるのだ。
美味しい料理をフルコースで食べた時のような、生まれたばかりの我が子を抱いた時のような、嬉しさのあまり涙が自然と溢れてくる――そんな幸せな気持ちが、皆の心を満たしていた。
「これ……!」
切り分ける際にあまりの瑞々しさに果汁が零れたのだが、その滴が落ちた地面に気付いたギルダが、また声を上げる。
だが場違いなギルダの言葉を、誰一人咎めはしなかった。
神聖な儀式の場で無闇に声を上げるのではないと、注意もしない。
何故ならその滴の落ちた地面から、新たな草花が今まさに咲こうとしていたからだ。
それはまさに奇跡。
まごう事なき聖女と神霊の奇跡だった。
最早誰の目にも明らかであった。
王が大司教に頷き、次いでホランドにも同じようにする。
「我々は、契約者をオヴィリオ・ウルフと定める。聖女ジャンヌ・ジャンセンよ、如何か」
ジャンヌはあのマリーゴールドの笑みを浮かべ、恭しく応じた。
「謹んでお受けいたします」
次に王は、オヴィリオに目を向ける。
誰もが一瞬、固唾を飲んだ。
ここに来たという事は、彼が契約者となる決意をしたという事だろう。そう皆が思ってはいた。
しかし本当にそうなのか。
オヴィリオの発言と彼の聖女嫌いは、王宮の誰もが知るところである。そんな彼が、果たしてたった数日だけで、心変わりをしてくれるものなのか。
ジャンヌの持つ不思議な力を疑う者はいないが、それでもあのオヴィリオ王子の心までも一変させられるものなのだろうか――と。
「私も――謹んでお受けいたします」
全員の口から、感嘆と喜びの声が上がった。
ギルダなどに至っては、身分も何も忘れて「はうううう」と涙を流してへたりこむ始末。
「推しが……私の推し同士がカップリングなさった……。もう駄目……もう死ぬ……」
意味不明な事を口走っても、やはり誰も何も言わない。
それはジャンヌが王家にあらわれて最初に起こした、奇跡だった。
その二人が、互いに顔を見る。
途端、照れた顔になってオヴィリオが目を逸らした。
「駄目だよ、そんなんで照れてちゃ。これから〝契約〟があるんだからね」
「わ、分かっている。分かっているが……その……こういう事に慣れてないから……」
「もう、何言ってるんですか。あたしだって契約は初めてなのよ」
ジャンヌとオヴィリオ、二人がもう一度、聖餐果を創り出した。
今度はそれを皮だけ剥き、ジャンヌが受け取る。
片側を、口に頬張る。
果実を呑み込んだ後、それをオヴィリオに手渡した。
オヴィリオが反対側を齧り、呑み込む。
互いの口いっぱいに、果実の甘さが残っていた。
そして二人は手を取り合い――
口付けを交わした。
その瞬間、二人から甘い香りが広がり、体からは光が放たれているようになる。
そしてこの両者の誕生を祝福するように、草花が二人を中心に咲いていった。
「ここまでとは……」
目にした王や大司教が驚いたのも当然。
契約の儀式とは、聖女の生み出した聖餐果を互いに口にした後でキスをする。ただそれだけの事。
しかしそれで周囲にまで超自然的な変化を齎すなど、滅多にあるものではなかった。
ホランドの言葉を借りるなら、まさに使徒聖女級といったところだろう。
だがそのホランドは、二人の姿を見て喜ばしい顔をしてはいなかった。
無理に喜ぼうとしているような、複雑な顔。引き攣った笑顔にも見えた。
そんな彼の様子に、アクセルオだけが目敏く気付いていた。
とはいえ、これで遂にジャンヌの
「聞かせてくれ。俺と同じだという、君の話を」
「ええ。後でね」
まさに待望のと言ったところであり、いよいよ宴を開かねばいかんなと王が話していたまさにその時だった。
耳障りな靴音が、歓喜の庭園に雑音を齎す。
庭園の飛び石を蹴たてて、汗まみれの兵士が駆け込んできたのだ。
「き――急報! 急報にございます!」
跪き、息も絶え絶えに肩を上下させる兵士。
「何事だ。今がどういう状況か分かっての事か」
王が不快も露わに言った。
いくら寛大なこの王でも、さすがにこのかつてない喜ばしい時に水を差されては口調もきつくなろうというもの。
しかし続いた兵士の言葉に、それも全て掻き消されてしまう。
「も、申し訳……ございません……。し、しかし、急ぎの知らせがございまして――」
「だからそれが何かと聞いておる。急ぎならば早く申せ」
「クローディア様が、こちらにいらっしゃいました……!」
喜びに湧いていた空気が、一瞬で鎮まった。
いや、一変した。
「クローディア……それはまさか……」
「ダンメルク王国の
全ての元凶の、突然の訪れ。
ジャンヌの標的、復讐の相手。
オヴィリオにとっても、憎むべき存在。
その
思考も何も、喜びの全てが凍り付く。
だが同時にジャンヌ――いや、アムロイの心の中では、怒りと憎しみの炎が、けたたましいほどの火を噴き上げようとしていた。