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Chap.1 - EP3(2)『聖堂聖騎士 ―可愛らしいひと―』

「遠路はるばるお越しくださり、誠にもっていたみいります」


 玉座を外し、王冠を脱いだパウル王が臣下の礼をとってクローディアらを迎える。

 本来ならば有り得ない構図。しかし両国の現在を考えれば、必然の振る舞い。王に倣い、家臣らや二人の王子とジャンヌも、クローディアに跪いた。


 彼らの心の内ではどのような感情が渦巻いているのか――。


 もし今の状況でなかったら――こんな形でなければ――顔を見た途端、剣で刺し殺していただろうとジャンヌは思っている。いや、感情的にはこの激情を抑えられているのが、不思議なくらいだった。

 それほどまでの怒りが、ジャンヌの胸中ではたぎっていた。

 何せ復讐の相手、姉の仇そのものがすぐ目の前にいるのだから。

 それを抑える事が出来たのは、ひとえにホランドが待ったをかけたからである。


 ――気持ちは分かるけど、今は抑えて。


 守護士ガードナー選びでジャンヌは相当の力を使っている。戦士がひといくさを終えた後のような疲弊具合と言えば、分かり易いだろうか。

 しかも相手は、近隣諸国に並ぶ者のいない強大な力を持つ〝聖女〟なのである。加えて、守護士ガードナーに匹敵する、いや凌駕するほどの力を持つと言われる三人の聖騎士までいるのだ。

 どれだけ好機であっても、ジャンヌ側の状況があまりにも悪すぎた。


 そんな彼女の様子を察したのだろう。

 ジャンヌの前で同じように膝をつくオヴィリオが、周りに気付かれないような小声でそっと囁いた。


「俺もお前と同じだ。……その、同じで気持ちは分かるという意味だ。だが、さすがに今は状況が悪すぎる」

「……分かってる。でも――」

「機会はまたいつかやってくる。だから今は堪えろ」


 だが、今がまたとない好機なのも確かだった。


 どれほど力がある三騎士だろうとも、ここにダンメルクの軍勢はいない。戦争を起こす必要もない。三人だけ。たった三人だけしか敵戦力がいないのは事実なのだ。


 その三人を制圧さえ出来れば、クローディアへの復讐は成し遂げられるはずだから。


 だが――この世で最も少ない数の軍勢こそが、この世で最も恐るべき大戦力なのも事実。それが分からぬジャンヌでもない。


「こちらこそ、わざわざ皆様でお出迎えくださり、恐悦です」


 無表情なまま、クローディアが王に返事をする。


「こちらに来られるなら事前にお知らせいただいておけば、もっと厚くおもてなし致したものを。大変申し訳ない事ながら、あまりに急でしたので何の準備も出来ておらず、誠にもって心苦しく思います」

「いえ、その必要はございませんわ。ダンメルクとゼーランは友好国ですから。互いに気を使う必要などないでしょう」

「友好国であればこそです。親しき友を歓待したいのは、人であろうと国であろうと同じもの」


 無駄でしかない社交辞令。

 のらりくらりと話題を他愛もない方向に持っていき、いつの間にか相手に自分の目的を忘れさせようとする一種の交渉術。

 いささか詐欺師めいた話法だが、パウル王のこれにより、どれほどゼーラン王国は救われてきたか分からない。


「へっ――だったらよォ、前もって準備をしなくっても、そこはそれ相応のもてなし方ってのがあるんじゃねえのか? 仮にもオレ達は国賓だぜ? それを何の迎えもなしって、そいつは言ってる事と矛盾してるように思うんだけどなぁ。それともあれか? オレ達を侮ってる――いや、もう怖がらなくてよくなったから――とかか?」


 王と聖女の会話に割って入ったのは、聖堂聖騎士サンクトゥス・ナイトの一人。

 紅毛金髪ストロベリーブロンドの男だった。


 他国とはいえ王の話を遮るなど非常に無礼な行いだが、ゼーラン王国側がそれを咎められるはずもない。

 しかも難癖に近い物言いではあるものの、こちら側からすれば触れて欲しくない方向、つまりダンメルク側にすればおそらくここへ来た理由へ、強引に話を戻されている。


「そのような事、滅相もございません。ご存知かと思われますが、我が国は只今、大変窮乏しております。我ら王族貴族も何かにつけて事欠く有様。それは物だけでなく人にしても同じ事。そのところをお分かりいただきたく存じます」

「ああ? そいつは何か? オレらのせいって言いたいのか?」

「それこそ全くの見当違いにございます。国が窮しているのは王たる私めの不徳の致すところ。全ては我が失政にございます。それをして国の内外にまで負担を強いているのは、全くもって申し開きもない事。さりとて我が苦しい窮状を、ほんの僅かばかりでも斟酌いただければと願う次第にございます」

「ケッ、ようはてめえ自身の無能のせいって事じゃねえか。それが分かってんなら、いっその事一線を退くべきなんじゃねえんですか。あんたも国王サマならよ」

「いやいやさすがはダンメルクの聖騎士様。申されるお言葉、いちいちもっともにございます。まさに我が息子達もそれなりの年齢に達っしつつありますれば、聖騎士様の仰る日も、そう遠くはありますまい。いずれ次の玉座を引き継いだ折には、どうかお引き回しのほどをよろしくお願い申し上げます」

「てめえでてめえを老害だって認めてるのかよ。大した王様だな」

「全くもってお恥ずかしい限りでございます」


 相手側の傍若無人な言動に食ってかからず、上手い切り返しをしたとジャンヌは思った。


 話を聖女の方向に持っていきたい相手側の意図を読みつつ、それを否定も肯定もせずに卑屈にもとれる言い回しでそれとなく話題を逸らした。しかもごく自然な流れで、国の支配権と王権を次代へ引き継ぐ事を認めさせるような内容も会話に織り込んでいる。


 成る程。立場も国力も弱いといっても、それは実効的な力関係においての話。年齢もあるだろうが、人間としての器量はパウル王の方が数段上という事だろう。


「おい、リカード、もうその辺で止せ」


 同じ聖堂聖騎士サンクトゥス・ナイトの顔色の悪い眼鏡の男が、紅毛金髪ストロベリーブロンドの男に待ったをかける。確かにこのリカードという聖騎士が話に割って入ってから、どんどんあらぬ方向に話題が向けられているのだから、いい途切らせ方であった。


「いやでも、オズにぃ

「クローディア様の前だぞ。お前が主賓じゃない。俺らはオマケだ」


 見れば先ほども二人を嗜めた女の聖騎士がこちらを睨んでいる。これ以上口を開けば顎ごとその口を斬り落とすぞと、鷲のような鋭い目が訴えていた。

 しかしそんなやりとりを、ただ傍観するパウル王ではない。すかさず、


「いえ、お気になさらないで下さいませ。それよりも折角我が国に足を運んでいただいたのですから、是非とも貴国でも武名名高い聖騎士様より、そのご賢察をお教えいただけませんでしょうか。我が国の騎士団長もおりますれば、我らにとっての学びともなります」


 と、話題をもう一度、会話の霧の中へといざなおうとした。


 だが、それを見抜いたのか――。


「国王陛下」


 ジャンヌに比べれば低めの透き通った声が、一言だけで場の空気を呑み込んでしまった。


 〝蒼穹の聖女〟クローディアだった。


「我が騎士達への言葉は光栄ですが、むしろ用があるのは私どもの方。だからここへ来たのですよ」


 慇懃無礼を絵に描いたような尊大さ。

 しかし放たれる圧力は、まさに〝女帝〟と呼んでも差し支えないもの。


「パウル陛下やこちらの方々がご懸念されるお気持ちは分かりますが、私は何も取って食おうというわけではございません。ご挨拶のために――と足を向けただけの事。同じ聖女フローラとして」


 クローディアがはっきりと、ジャンヌに視線を向けた。


 姉の仇。


 復讐すべき怨敵。


 その女と、視線が合う。



「貴女が――新たな聖女フローラですね」



 場が、静まり返る。


 息が詰まるような無音。


 一体これは、どういう種類の緊張感なのだろうか。


 歴戦の強者である騎士達ですら、胃の腑がきりりと痛むような、剥き身の剣の上に立たされるのに似た感覚。


「初めまして、クローディア様。ジャンヌ・ジャンセンと申します」


 復讐の炎をマリーゴールドの花びらで覆い隠し、陽の光の微笑みで、憎悪の感情を塗り潰す。

 完璧な淑女の礼。


 怒りを完全におし隠した彼女の挨拶に、オヴィリオもホランドも内心で舌を巻くほどだった。


「ジャンヌさん――ですか。こちらこそ挨拶が遅れました。ダンメルク王国の聖女フローラ、クローディア・クローグと申します」


 知ってるさ。殺したいほどにな――。


 そんな風に、言ってやりたかった。


 吐き捨ててやりたかった。


 けれども、口にはしない。


 その顔、その目、その髪に至るまで、どれだけ憎み続けてきたか。


 今はまだ、何も出来ない。けれどもいつか必ず、姉への報いを受けさせてやる。


 そんな思いを花の笑みで偽装し、いつか来るその日のために、怨敵の顔を刻みつけようとするジャンヌ。


「同じ聖女フローラとして、仲良くいたしましょう。今後とも末長く」

「あのクローディア様にそう仰っていただけるなんて……! お近付きになれた事、心の底から嬉しく思います」

「まあ、可愛らしいひと」


 さっきまで飛びかからんばかりに睨んでいたとはとても思えないジャンヌのあまりの演技ぶりに、オヴィリオは呆気に取られてしまう。まさか憎いと言っていた言葉は嘘なんじゃないかと思ってしまうほど、彼女の受け答えは完璧すぎた。

 それに気付いた弟のアクセルオが、こっそりと耳打ちする。


「あれが〝女〟だよ、兄上」

「女……」


 一方で兄弟のやりとりに気付いたたホランドが、複雑な思いで王子二人の会話に聞き耳をたてていた。


「ところでジャンヌさん、もう契約はお済みになられたようなのね」

「えっ――」

「そう警戒なさらなくても大丈夫よ。私には分かるの。契約が済んだかどうか、その聖女ひと神霊力フロース・ウィースを見れば。そうね、その人が恋を知ったかどうかが分かるのに、似ているかしら」


 透き通った華のある声なのに、何故か蛇の舌のような冷たさとおぞましさを覚えてしまう。

 それはジャンヌが抱いている憎しみの故か。本人にも分からなかった。

 はっきりしているのは、どうやら人間的にも相容れない存在だという事が、今の一言で再確認されただけだった。


「でしたら折角こうやってお会い出来た事ですし、どうでしょう。そちらの聖女守護士フローラ・ガードナーと我が聖堂聖騎士サンクトゥス・ナイトで、手合わせしてみるというのは」


 両王国の人間全員が、我が耳を疑った。


 何を言い出した――?


「先ほど、パウル王陛下も仰っていたではありませんか。私のこの聖騎士達より、教えを請いたいと。私も聖女として新しい同性の友人として、ジャンヌさんの事をもっと知りたいと思っています。それなら陛下のご希望にも沿えますし、私とジャンヌさんも互いの事を知れるという意味で、一石二鳥ではないですか?」

「それは――」

「ただの手合わせ、余興ですよ。そう身構えずともよろしいかと」


 最早どちらが招かれた客か分からない。 主導権は明らかにクローディアが握っていた。

 そればかりか、下手に断れば何もないはずのこちらのはらを探られる切っ掛けを作ってしまいかねないし、かといって受けてしまえばどんな目にあうか。


 まだ力も使いこなせていない生まれたての未熟な守護士ガードナーを、手合わせの際の事故などと称して殺める――そんな事になっても怪訝おかしくないのだ。


 実際、そういった〝事故〟は聖女を表に立てた外交では、日常茶飯事だった。

 そして守護士ガードナーを失った聖女が、聖女兵器アルマ・フロスの完全な顕現が出来なくなったのを好機にして、一気に武力で侵略をかける――そんな事も珍しくない。


「構いません」


 王や大臣、それにジャンヌまでもが返答を躊躇う中、涼やかな声が沈黙を裂く。


「胸をお借りするようで恐縮ですが、むしろこちらが、お願いしたいくらいです。その申し出、是非ともお受けさせていただきたい」


 声を上げたのはオヴィリオ。


 皆が驚きで目を見張る。


 何を言っているのだ――と、言葉ではなく表情でパウルが言っていた。


「貴方が、ジャンヌさんの聖女守護士フローラ・ガードナーなのね。確か……」

「第一王子オヴィリオ・ウルフです」

「そう、陛下のご子息が守護士ガードナーですのね」


 どう見ても、挑発に乗せられたようにしか見えない。勇気というより蛮勇とか無謀の類いの返答だ。

 思わずジャンヌも、小声で「ちょっと、分かってるの?」と聞くほどに。


「ああ。大丈夫だ」


 いささかの気負いもない。むしろ爽やかなほどの笑顔で、オヴィリオはジャンヌに微笑んだ。その笑みに、ジャンヌは吸い込まれるような思いを抱いてしまう。


「それは勿論、我々にもお教えいただくという事でよろしいですよね?」


 クローディアらのやりとりに、今度は別の声。


「アクセルオ……。それにレオナルド団長も」


 オヴィリオの弟アクセルオ王子。

 それに騎士団長のレオナルドも、名乗りをあげた。


「ええ、勿論構いませんよ。賑やかなのは嫌いではありませんから。ねえ、ジャンヌさん」


 くすりと笑い、ジャンヌに対して一方的な同意を促すクローディア。


 ――誰が賑やかなのが好きって言ったよ。


 などと悪態で返したくもなるが、「ええ」と返答するだけで精一杯だった。


 こうして、予期せぬ形での模擬戦闘――手合わせという名の代理戦争じみた試合が行われる事になったのである。

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