「アクセルオ殿下、その、大丈夫なんですか」
「ボクの事も心配してくれるんだ。嬉しいなあ。キミが応援してくれるなら、誰が相手でも負ける気がしないね。今なら兄上にだって勝てちゃうかも」
「茶化さないでください」
ムっとするジャンヌに、アクセルオはいつもの感情の読めない笑みを返す。
「そうだね。ボクはレオナルド団長ほど頑丈じゃないからさ。あんなおっきい剣、掠るだけでも骨折しちゃうかも」
「そんな」
「まあ見ててよ。兄上ほどじゃないけど、こう見えて剣の腕は悪くないんだよ、ボク」
そう言って、軽い足取りで練兵場の中央に進み出るアクセルオ。
結局、ジャンヌの不安は拭えないまま。
実際、レオナルドは驚くほどに頑健である。
大怪我かと思われたレオナルドだったが、今はジャンヌの協力も不要になり、治療師の治療のみになっている。倒された時の派手さとは反対に、最初にジャンヌが診た際も、激しい打ち身と衝撃による脳震盪が主な症状だと思われた。細かく診ればそれ以外に骨折もあるかもしれないが、どちらにしても重症ではなかった。
巨大な鉄塊とでも言えそうなあんな大剣に殴打されてそれで済んでいるのだから、よっぽどであろう。
ただし、アクセルオはそうではない。
線は細く、外見だけだと武術より学問の方に長けているようにも見える、文人的な容姿。いわゆる典型的な
そんな見た目なのである。
だからこそ仮に自分で言ったように剣術に長けていようとも、本当に命を落としかねない危険もあった。
「あいつなら大丈夫だ。おそらくだが、負けない」
案じるジャンヌに、オヴィリオが安心させるようなトーンで声をかける。
「何を考えてるのか分からないようなところはあるが、あいつは無謀とか無茶とは最も遠い男だ。負ける戦いはしないし、勝算があるからあんな挑発行為をしたんだろう」
「……」
レオナルドもアクセルオも、ジャンヌにとっては貴重な〝人材〟なのだ。
そのうえで、将来的にクローディアのような
決して、ただ身を案じてだけではない。
これは打算なんだ。
そのはず――だと思っている。
「王子だろうが何だろうが、てめえみたいなガキにまでいいように言われるとはな。オレも舐められたもんだぜ」
大剣の切っ先を突きつけ、リカードが不快そうに吐き捨てる。
対してアクセルオは、思考の読めない薄笑いのまま。
それが余計に、リカードの感情を逆撫でした。
「言っておくけど、ボクに分身は通用しないよ。出せる分身の数がどれくらいか分からないけど、何だったら最初から全部の分身を出しても、ボクが相手なら無駄になっちゃうんじゃないかな」
「てめえみたいなザコガキに七体全部出すかよ。それより二度と歩けねえ体にならねえか、それだけに気をつけな」
「随分と野蛮だね。ダンメルクの騎士ってみんなそうなの? 下品な人間は好きになれないなぁ」
またしても相手を煽るような発言だが、オヴィリオはアクセルオのしたたかさにさすがだな、と思った。
相手が挑発に乗る単純な思考の人間だと分かった上で、あえて会話を誘導させる。
結果的にまんまと口を滑らし、敵は分身の最大数を口にしてしまっていた。
勿論、それ自体が罠だという可能性もある。
口車に乗せられたフリをして、こちらを嵌めようという意味だ。だがこの場合、そしてリカードという人間の今までの言動を考えれば、その可能性はかなり低いだろう。
何より、それが嘘であれ誠であれ、ある意味どちらでもよかったのもある。
重要なのは、分身の数はまだ変動するという事。加えてもう一つ。〝てめえみたいなザコガキに〟という言葉から推察するに、分身の数は出せば出すほどかなり消耗を強いられるのだろう。
それらの情報が、オヴィリオに伝えられさえすればいいのだ。
「野蛮ときたか。ヌリぃとこでお座敷剣法してるガキの言いそうな台詞だな。その調子に乗った態度ごと、捻ってやる」
「やれやれだね。そういうのを何て言うか知ってる? 慢心は身を滅ぼすって言うんだよ」
開始の合図を待たずに、リカードが飛び出した。
「ぬかせっ」と叫ぶのと斬りつけるのが同時。
城壁さえも粉々に砕いてしまいそうな、凄まじい突進。
けれどもアクセルオは動いていない。その場で佇んだまま、動こうともしなかった。
――当たる!
誰もが吹き飛ばされるアクセルオの姿を想像した。
しかし、突進の切っ先が触れるか触れないかのその瞬間。アクセルオは仰け反る体勢となって、紙一重で突きを回避。しかも恐ろしいまでに体を湾曲させながら、その体勢で反撃さえ繰り出している。が、アクロバティックなカウンターは、弾かれていた。
アクセルオの剣を弾いたのは、別の大剣。
いつの間に出現させていたのか――。
本体と並走する形でリカードの分身が並び、アクセルオの剣を防いでいたのだ。
しかもそれと同時に二体目の分身も出現。
アクセルオは一度目の攻撃を避けるために仰け反った状態。もうこれ以上の回避は体勢的に不可能だろう。そのアクセルオの胴体に、二体目の分身が剣を振り下ろした。
今度こそ絶体絶命――と思われた時。
アクセルオは仰け反りを更に強くし、そのまま後方にバク転。しかも己の剣が弾かれた反動まで利用している。
回転する事数回。
距離を取る形になり、もう一度対峙する両者。
突進も分身の攻撃も躱されたリカードと、騎士団長のレオナルドさえ躱せなかった攻撃を悉く避けきったアクセルオ。
その俊敏さ、いや体幹の凄まじさたるや。
まるで雲か霞を相手にしたようだと、リカードはあまりの手応えのなさに不気味なものを覚えた。
「言っただろ? ボクに分身は通用しないって」
「王子の癖に、曲芸師みてえな動きをしやがって」
「負け惜しみかな? それはいいけどさ、どうやら先に剣を入れたのは、ボクみたいだよ?」
クスリと笑いながらアクセルオが指をさすと、リカードの頬に赤い腫れ痕が一筋。刃引きしてなければ、薄皮一枚とはいえ切れていたのは間違いなかった。
「ザコガキの分際で……! もう容赦しねえぞ」
リカードの怒気が、はちきれんばかりに膨れ上がった。
アクセルオの四方を取り囲むように、一気に三体の分身が出現。それが左右後方から挟撃をかける。前方からはリカード本体。逃げ場のない突進。
ところがこれが当たる直前、何とアクセルオは助走もなしに自身の背丈を超える跳躍をかけ、上へと回避したのだ。しかしそれを見越していたように、何と空中にも更なる分身が出現。さすがに宙では躱す事も不可能かと思いきや――。
分身が剣を繰り出すのに先んじて、アクセルオがまるでそう来るのを読んでいたように、跳躍の先で体を一回転。
分身の肩を足で蹴り付け、その反動で距離を取る。
しかも跳んだ先は、リカード本体の方向。
直剣が閃くも、分厚い大剣で反撃の刃は弾かれた。
リカードは大剣を反転させ、返す刀で斬りつけようとする。だが重量のある剣だけに、アクセルオの身軽さの前では追いつけない。
躱しつつ、アクセルオは薄笑いのまま言い放つ。
「必殺剣、破れたり――だね」
「てめえっ」
「回避不能っていうのも、やっぱりボクには通じなかったね。これ、ある意味ボクの勝ちって事でいいかな?」
もし怒りで血管が本当に切れるなら、この時のリカードはさぞかし盛大に血を噴き出していたであろう。
先ほどの分身が再び同時に襲い掛かり、尚且つリカード自身も肉迫する。
完全に本気の速度になっていた。
「だからその手は――」
そうアクセルオが口を開いた直後だった。
――!
第六感というべきか。
もしくはジャンヌの聖餐果によって向上した身体能力と神霊力が、何かの変化を感じ取ったのか。
今までにない殺気を浴び、アクセルオの顔から笑みが消える。
その刹那。
剣速を追い越す何かが、雷撃の如くアクセルオを貫いた。
と思ったが――。
「そこまでだ」
アクセルオの額スレスレの位置に、鋭い穂先があった。
大剣は腹部に迫ろうとしている。しかしその全ての攻撃が、止め絵のように制止していたのだ。
リカードが自ら攻撃を止めた?
いや、違う。止めたのではなく止められていた。
リカードの顔は今までになく怒りに塗りたくられ、アクセルオに対し殺意を抱いているのは明らかなのに、身動きの取れない身体が、それを叶えさせない。
不可解さとそれ以上の腹立たしさで今にも破裂しそうなほどの形相をしているリカード。
「何……だぁっ、これは?!」
よく見れば、何かがリカードの全身に絡まっていた。
ダンメルク側も、驚きに目を見張る。
「この勝負、アクセルオが勝手に言い出したルールに沿うなら貴方の負け。しかし模擬戦という意味では、今ので確実にアクセルオは死んでいた。つまり痛み分けという事でよろしいか」
皆が一斉に、声の方向へ目をやる。
戦っていた二人から少し離れた位置に、片手を前に突き出して立っているのは、オヴィリオ。
その手に、光る何かが反射していた。
「糸……?」
観戦している眼鏡の
翳した手をオヴィリオが翻すと、リカードとアクセルオ、それに分身達の体が一斉にその場に崩れる。文字通り、糸が切れた人形のように。
「てめえ……!」
地面に膝を着いたリカードの傍らに、大剣とは違う異質なものが見えていた。
二股の穂先を持つ小槍のようにも見えるが、形状がどことなく生物的にも見える。
「
オヴィリオの言葉に「チッ」と舌打ちをするリカード。傍らの小槍は音もなく消え、同時に分身体も全て消失していく。
「元々、俺との手合わせを強く望まれてましたよね。だったらここからは、俺が相手になりましょう。残りの聖騎士様も、皆、俺がお相手します」
リカードに視線を落とした後、オヴィリオは後方に控える二人の聖騎士にも目を向けた。
そして、膝から崩れていたアクセルオを抱え起こし、後ろに退がるよう告げる。
「全くお前は……。背負い込みすぎだ、馬鹿」
「いけると思ったんだけどね……。兄上が助けてくれなかったらと思うと、ゾっとするよ」
「大したもんだよ。よくやった」