ジャンヌ達のいる場所に戻ってきたアクセルオは、一度も見せた事のない表情で自嘲気味に笑い、深い溜め息を吐く。
その姿を見て、ジャンヌは初めて気付いた。
そうか。これがこの王子の本当の顔なんだ――と。
作った笑顔で感情も読めなければ何を考えているかも分からない。
ある種、掴みどころのない人物だと思っていたが、それは彼の表の顔。
本当の彼は、生真面目で責任感が強く、己のやるべき事を冷静に捉え、それを大胆に実行する。ある意味誰よりも献身的で〝尽くす〟人間なのだ。
そんな優しくも頼もしい己の本性を、軽薄な言動をする事で隠している。
おそらく兄であるオヴィリオをたてるためにだろう。自分が兄と張り合う事は、王国にとって決して好ましい事ではないと分かっているからこそ、彼は自分を貶めていたのだ。
自分は軽んじられるよう。兄こそが王に相応しく思われるよう。
そんな弟の
性格も何もまるで違う二人なのに、こんなに兄弟らしい兄弟もないな――とジャンヌは素直にそう感じた。
ちょっと心が暖かくなったから――ジャンヌはアクセルオに、マリーゴールドの笑みを向ける。
そんな顔を自分に向けてくれると思っていなかったのか、それとも戦いの疲れで油断していたのか、アクセルオは驚くと共に少しばかり顔を赤らめて、言葉に詰まってしまった。
これまた初めて見せる照れた顔に、ジャンヌは可愛いな――と思った。
そして、戦いの場に上がったオヴィリオへと視線と意識を向ける。
オヴィリオもジャンヌの視線に気付いたのだろう。一度だけ振り返り、小さく頷きで返した。
「さっきの糸――。兄上はもう……?」
ジャンヌに尋ねるアクセルオ。
「うん。あたしとホランド司祭に出来る事は、全部やった。オヴィリオ殿下に宿った力とその使い方は、もう殿下自身も理解している。あとは殿下次第」
「糸……蜘蛛の力――つまり兄上のは、向こうと同じ
「いえ、殿下に宿ったのは蜘蛛の術士――〝
聖女の四つの異能の一つ。シンボルとなる生物に由来した術士としての力――。
「で、どうなの」
「あのリカードって騎士との試合なら、もう決着は着いてるのと同じだと思う。問題はその次だね。でもそれも、見ていれば分かる」
「まだ戦ってもいないのに、決着が着いてる――?」
「貴方の兄上、オヴィリオ殿下は凄いよ、ほんと」
初夏の輝きのような微笑みを浮かべるジャンヌの横顔を見つめ、アクセルオは彼にしては珍しく、言うべき言葉が見つからなかった。いずれにせよ、答えはすぐに出るだろう。
練兵場の中央で、剣を構える
対するオヴィリオは、
「おい、何で構えねえ。ふざけてんのか」
「これが俺の構えだ。いつでもかかってくるといい」
「兄弟揃って俺を虚仮にしようってか……。いいだろう。ただしてめえは
リカードもさすがに挑発に慣れてきたのか。声に怒りは滲んでいるものの、激情を制御して、全てを己の爆発力の泉に注ぎ込んでいるように見える。もしくは、さっき見せたオヴィリオの異能を警戒しての事かもしれない。
そんなリカードの様子に、両者を見つめるダンメルクの聖騎士二人も、表情を変えた。
「勿論構わない。貴方が
「ああ? どういう意味だ」
「とっくに勝負は、着いているって事だ」
剣を力なく下げたまま、無防備かつ無造作に、オヴィリオはリカードの方へと歩いていった。
防御も攻撃もする気はない。そんな風にしか見えない。
最初、何をしているのか、どういうつもりなのか考えが読めなかったリカードだが、これが明らかな挑発だと理解した瞬間、制御していた怒りは一瞬でタガが外れてしまった。
殺す――。
王子だとか手合わせだとか関係ねえ。オレを舐めたこいつとこいつの弟を、殺してやる。
殺意だけで思考が塗りつぶされ、それは同時に行動へと繋がる――はずだったが。
「――?!」
リカードの体は、微動だにしなかった。
動きたくとも動けない。
足も踏み出せなければ手も動かない。
それどころか、分身体も出せなくなっていた。
見れば、目の前にオヴィリオが立っている。間合いの内側どころではない。すぐ目の前、手で触れる距離にまで近付いていた。
「これは……!」
「さっきされたのに、もう忘れたのか。一度ある事は二度ある。世の常識だと思うけどな」
「馬鹿な。お前はそんな素振り、一度だって――」
そこまで言って、リカードは気付いた。確かにアクセルオと交代すると言ってから、異能を出すような素振りは一度も見せてない。間違いない。
だが、それを言う前は? 最初にこちらの動きを止めたあの時に、既にもう全部終わっていたのだとしたら?
「だから言ったんだ。もう勝負は着いてるって」
アクセルオとの戦いに割って入った際に、オヴィリオは一度リカードの動きを止めている。異能の〝糸〟の力で彼の全身を拘束して。
あれはあの瞬間に
つまりリカードの動きを縛るぐらい、いつでも出来たという事である。
しかも以前ジャンヌがホランドに説明をしているが、彼女に宿るラグイルの糸は、相手の神霊力を乱す効果があるのだ。リカードが分身を出せなくなっているのは、そういう事でもあった。
「ふざっけんな――!」
身動きは取れない。異能は使えない。しかし、まだ手はある。
そう言わんばかりに鬼の形相で睨むリカード。腕は動かせないが、指まではそうはいかない。
彼は力を込め、乱された神霊力をかき集めるようにイメージした。異能は狂わされても、もう一つの力までその限りではないはずだと、本能で理解しているのだろう。
剣を持つ右腕の横から、暗殺武器のような素早さで切っ先が放たれた。
昆虫の足を彷彿とさせる、節のある小槍。
油断をついての最後の抵抗。
しかし。
オヴィリオにリカードの
その穂先は、別の穂先で止められていた。
オヴィリオの体からも、オレンジ色の槍が出現していたのだ。
「なっ……! てめえも、
リカードが出せるのなら、オヴィリオとて出せるはず。
理屈ではそうだが、実際に目にすると驚きを隠せない。
何故なら異能の力もそうだが、
にも関わらず、さっき契約したばかりのオヴィリオは、熟練の能力者のようにそれを使っているのである。
「これ以上は恥の上塗りになるが、どうする?」
最早誰の目にも明らかだった。
「リカード、そこまでだ」
終了を告げたのは女性の
「コーネリア……!」
忌々しげに仲間を睨むも、横で頷く眼鏡の騎士を見て、彼は認めた。
それは、手も足も出なかった