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Chap.1 - EP3(10)『聖堂聖騎士 ―魔女疑惑―』

 翌日――。


 朝の準備を終えたジャンヌが部屋から出た時だった。

 扉を開けると、そこにオヴィリオが待ち構えていた。


「殿下。どうかなされたので?」

「ああ、ちょっと不味い事になった」

「昨夜の事ですね。何があったんですか?」


 オヴィリオは辺りを憚るように周囲に目を配ると、ジャンヌのすぐ側まで近付き、小さく耳打ちをする。


「ノーユラン地方にあるスケーエンの街は知ってるな。お前の故郷のオールボーから近いところにある。そこで、〝霊蝕門エクリプシス〟が発生した」


 聞いた瞬間、ジャンヌは驚きに目を丸くする。


「いずれ父上から正式に命が下るだろうが、霊蟲シラルイが出たという報告もあるようだ。今はまだ・・・・大した規模ではないらしい。その程度の霊蝕門エクリプシスなら普通は騎士団だけでどうにかなるんだが……」

「レオナルド団長ですね」

「そうだ。それに、被害も広がっているらしい。もしこれが魔女ウェルムの仕業なら……」


 霊蝕門エクリプシスとは、下位邪霊が現世にあらわれて害をなす、珍しい霊的災害の事である。


 簡単に言えば、化け物の住む世界とこちらの世界に穴が空いて繋がり、モンスター的なものがあらわれて人の生活をおびやかす災害の事である。


 霊蝕門エクリプシスそのものは、その穴の事を指す。


 そして霊蟲シラルイというのがこの場合のモンスターであり、ようは邪霊の眷属である。


 霊蟲シラルイは木々を枯らし大地を腐らせ、生き物の生命を奪う。放っておけばその場所は不毛の大地となってしまう可能性もある、非常に厄介な災害であった。


 ただし珍しいと述べた通り滅多に起こらないし、起こったとしても神霊力を持った騎士や司祭らが数をもってかかれば鎮圧する事は可能である。

 問題は、普通ならばその任務に当たるレオナルドが、今は負傷して動けない事にあった。


魔女ウェルムの可能性もあるんですか?」

「分からん。だが、被害はかなり出てるとの報告だ。こんな事、もう一〇年以上も起きていなかったのに、何で今になって……。いや、そもそも怪訝おかしいんだ。普通、その国に聖女フローラが出現すれば、余波による神霊力で霊的加護が増大するはず。自然発生的な霊蝕門エクリプシスなど、起こるはずがないんだ。なのに何で聖女フローラのお前が出たこの状況で霊蝕門エクリプシスが起きる?」

「……」

「お前が実は聖女フローラではなく魔女ウェルムだった――なんて事なら話は別だが」


 一瞬、ジャンヌはドキリとした。


 自分が魔女であるというわけではない。


 女ではない、偽りの聖女である自分は、ある意味において魔女よりも許されざる存在なのではないかという自覚の故である。もしかしたら己を偽って聖女となっているから、その影響なのであろうか――と。


「どうした?」


 そんなジャンヌの様子に、オヴィリオは不思議そうに目を向けた。


「いえ――殿下でもそんな罰当たり気味な冗談を言うんだな、と思いまして」

「そうか?」

「もしここにホランド司祭がいたら、顔を真っ青にしてそんな事を口にしてはいけません、とか言いそうだな、と」


 その様子を脳裏に描き、二人は同時に噴き出した。

 ジャンヌは幼馴染というのもあって分かるが、オヴィリオに至ってはそこまでホランドの為人ひととなりを知ってはいまいと思う。にも関わらずそれが伝わるという事は、それだけホランドの堅物ぶりが知れ渡っているという事だろう。


「……それはともかく――やはりどうにも腑に落ちない」

「はい」

「自然発生的な霊蝕門エクリプシス災害など、やはり考え難い。となると、魔女ウェルムの仕業という可能性も濃厚になるが……だからといって何故この機に起こす? お前の存在がダンメルクに伝わっているなら、魔女ウェルムとて知っているだろう。なら、どうして今のこの状況でこんな騒ぎを起こす? 騒ぎを起こすなら、お前という聖女フローラがあらわれる前にいくらでも起こせただろう。何せこの国ではもうずっと、聖女フローラが出ていなかったんだからな。なのに何故今なんだ?」


 オヴィリオの自問自答に、ジャンヌはある〝事実〟を思い出していた。


 先ほどオヴィリオが言った魔女ウェルムの話。もしそれが本当に、真実の尻尾にだけでも触れているのだとしたら――。


 つまりジャンヌが見た、クローディアの正体の事である。


「こういう噂がある」


 思考を巡らせるジャンヌに向けて、オヴィリオが口にしたのは予期せぬ一言。


「〝蒼穹の聖女〟クローディアの正体は、実は魔女ウェルムなんじゃないか――」

「えっ――?!」

「あくまで噂だ。根拠も何もない、無責任で無根拠な話だ」


 しかし噂といえど、ジャンヌは確信している。クローディアの力は聖女のそれではなく実は魔女であると。


 何故なら三年前にクローディアが姉のヘレーネを殺害した際、彼女は姉から神霊を奪い、自分のものにしたからだ。

 神霊を奪うなど荒唐無稽ではあるが、実際にそれを目にしているのだから間違いないと思っている。そして姉から神霊を奪った力こそが魔女ウェルムのものであり、クローディアの表面上に見えている神霊の力は、それを覆い隠した姉の力だったものであると。


「噂の真偽はどうであれ、この不自然すぎる霊蝕門エクリプシス災害がもし人為的なものであったら……。それに、いくらマーセラとの一件でお前の存在が露見したとはいえ、いくら何でもダンメルクの奴らのあらわれるのが早すぎると思わないか?」


 それは確かにそうだった。

 移動の日数を考えれば、ジャンヌの聖女調査が行われたのとほぼ同時に、クローディア達は国を出ている事になる。有り得ないわけではないが、逆に言えば都合が良すぎるとも言えるだろう。


「つまり、霊蝕門エクリプシスの出現は、向こうが仕掛けた罠だと……?」

「それこそ根も葉もない妄想と同じだろう。だが辻褄が合う想像ではある。ただし、決定的な問題は残るがな」

「目的が分からない……」

「そうだ。ただしこれも憶測だし、仮定の上に仮定を重ねた話だが、お前を潰すという単純な話なら、有り得なくはないだろう?」

「あたしを罠に嵌めるという事ですか? もしくはあたしが王都を空けざるを得ない状況を作り出し、その間にこの国を乗っ取るとか……?」

「それならば有り得なくはないと思う。そもそも、昨日の試合中断も不自然と言えば不自然だ。あのままなら、俺は負けていた可能性の方が高い。だったらあのまま中断せずに戦わせておくべきであったのに、何故か引き分けにした。どうしてだ? ……おそらくだが、俺が力をつける可能性を潰すため――ではないだろうか」

「殿下の力?」

「自分で言うのもなんだが、契約したばかりでここまでの力を使いこなせるとは正直思っていなかったし、周りの者は余計にそう思っていただろう。でも予想を超えて、俺は最初から力を使えた。しかも戦いの中でどんどん力が自分に馴染んでいくのが分かったんだ。あのままだと負けていたかもしれないのは確かだが、自分の成長速度を考えれば、正直それも覆っていた可能性はあったと思う。つまり俺とお前が手に負えなくなる前に、早々に手段を変えたんじゃないだろうか?」


 公衆の面前で再起不能にするのではなく、王都の外で目障りな属国の聖女フローラ守護士ガードナーを始末する――という事か。


 ただしこれらは全部、クローディアが実は聖女ではなく魔女である、という噂が本当だったと仮定しての話だった。


 いっその事、オヴィリオに自分の真実を全部話してしまおうか――などという考えが、ジャンヌの頭をよぎる。そうすればクローディアが魔女だと分かるし、共に戦う理由もはっきりする。


 何よりジャンヌは、クローディアへの復讐の理由をオヴィリオに話すと約束したのだ。


 急展開な状況で有耶無耶になっているだけで、オヴィリオとて忘れてはいまい。ならいっその事全部話してしまった方がすっきりするし――。


 いや、やはりそれは危険すぎる――と踏みとどまる。


 オヴィリオが自分に好意に近い感情を抱きつつあるのは分かっている。

 だからここまで信用してくれているのだし、裏を返せば彼の聖女嫌いが治ったわけではないという事。

 つまりジャンヌが己の秘密を打ち明けた事で、折角築き上げた信頼が一瞬で瓦解する可能性だってあるのだ。無論、後になって明かしてもそうなってしまう可能性は充分すぎるほどあるが、少なくともそれは今ではない。


「いずれにしても全部仮定――というより妄想の類いの話だ。ただし、嘘でないとも言い切れん。だからもしも今言った全部やその一部が真実だったなら、必ずダンメルクの連中は何かもう一つの手を打ってくる可能性が高いという事だ」

「もう一つ?」

「ああ。あのクローディアが、帰還するのを先延ばしにしてもう少しゼーランにいると言い出すとか、もしくは霊蝕門エクリプシス鎮圧に自分も行こうと言ったり――」


 有り得る話だろう。


「だからもしそんな話が持ち上がったら、それは危険な兆候だと考えた方がいい。特にお前が一番狙われているんだ。昨日の夕食の時だって、色々探られてたんだろう?」

「もしかして、それを言うためにわざわざ?」

「そう……そうだ。それもある。だが、その、もう一つというか」

「?」


 小声で話していたので顔を寄せていたが、ここで急にオヴィリオは距離を置いて顔を横に向ける。

 今更何を照れているのかと、ジャンヌは不思議そうに彼を見た。


「俺は自分の事は自分で何とでも出来る。新しい力もあるし、そういった荒事も慣れているからな。だがいくら神霊の加護を受けた聖女フローラとはいえ、お前は女なんだ。一番狙われている身でもある。だからその……気をつけるんだ」

「え? それはまあ……言われなくとも気をつけているけど……」

「だからその、いつも以上に気をつけろと言っているんだ。いつも以上に、もっと気をつけろ。いいな」


 ジャンヌは、オヴィリオが幾分か顔を赤くしているように見えた。


 つまり、ただ「気を付けろ」と――それだけを言うために、わざわざ長い話をしに来たのか――。


 何だかオヴィリオという人間が、少し分かったような気がした。

 ぶっきらぼうだし弟とはまた違った意味で何を考えているか分からないところがあるが、内心は誰よりも優しい人なんだろう。


 そんな彼を、ジャンヌは可愛いなと思った。



「うん。ありがとう」



 ミルクティー色の髪を弾ませ、マリーゴールドの笑みを浮かべるジャンヌ。


 その笑顔に、オヴィリオは今度ははっきりと顔を真っ赤にする。


 花のような笑顔は、女装の訓練で出来るようになった、作りものの微笑みである。

 今までの微笑みは、ほとんどがそうだった。

 自分が愛らしく笑顔を向けると、誰もがこちらを可愛らしい少女だと信じ込む。

 欺瞞の姿。聖女という己になりきるための、偽りの仮面。


 けれど、今オヴィリオに向けた笑顔は、いつもの作りものの笑みではなく、偽りのない心の底からの笑顔だった。


 ジャンヌではなくアムロイとして、オヴィリオ王子にありがとうと言いたかったのだ。



 しかしこの二人を、影からそっと見ている者がいた――。


 声どころかしわぶき一つ出さずに無音を貫き、気配すら消して。

 何故なら――


「はうう〜。何て……何て尊いんでしょう……。駄目だ。尊すぎて尊死とおとししちゃう……」


 それはギルダだったから。


 なので、そこはまあ問題ないのだが。



 ただ、二人を見つめる目が、彼女以外にもいたのである。


 その事を、二人は当然、知るはずもなかった――。

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