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Chap.1 - EP4(2)『霊蝕門 ―嘘で繕ったほんとう―』

 王国から緊急手配された快速船に乗って海路を進むその道行き。

 船の甲板に出ていたオヴィリオを追って、ジャンヌも彼の横に並んだ。


「今は穏やかだがじきに波が荒れる。ここにいると濡れるぞ」


 ジャンヌを横目で見た後、視線を茫漠と広がる波間に戻して呟くオヴィリオ。最近はジャンヌも、オヴィリオのこのような突き放した物言いに慣れてきた感がある。


「まだ、聖女フローラは憎い?」

「生き方や考え方は、すぐに変われはしない。今はまだ、憎いのとそうでない気持ちとが混ざっているような……そんな感じだ」

「分かるわ」

「俺の母が死んだ理由の一つはやはり聖女フローラだし、父が罪を犯したのも聖女フローラがいたから……なんて風に思ってしまう。……ああ、分かっている。分かっているんだ。それこそが間違いだという事は。その聖女フローラが誑かしたわけではない。彼女こそが被害者で、償うべきは、俺が糾弾すべきは父上なのだという事は、頭では分かっているんだ。けど、それでも胸の奥に残っているこの感情は、頭で理解出来るほど簡単に割り切れはしない」

「でも、あたしの守護士ガードナーにはなってくれた」


 潮風が二人の頬を撫でる。

 陸伝いに進路をとっているのもあり、海鳥の鳴き声が遠くに聞こえていた。


「お前は不思議な奴だ」

「それってどういう意味」

「それは――」


 視線が交わる。

 胡桃のように大きな狼眼アンバーの瞳が凝っとこちらを見つめているのに気付き、オヴィリオは条件反射的に視線を逸らす。

 小さく「そういうところだ……」と呟いたようだが、ジャンヌはあえて聞こえてないふりをした。


「……聖女フローラであろうとなかろうと関係なく、女であれば俺の言葉や父の過去を聞けば、不快になって当然だ。むしろ嫌悪されるべきだろう。なのにお前は、それを真正面から受け止めて、それすら呑みこもとういうか、もっと大きな視野で見ているというか……とにかく俺の知っているどんな男や女とも違う」

「それはきっと……前にも言ったけど、あたしに目的があるからです」

「復讐、と言ったな」


 王子が守護士ガードナーになって以降、慌ただしすぎる状況が続いていたが、元よりこれは、話さねばならないと思っていた事だ。その心構えは、ジャンヌの中でとうに出来ている。


 オヴィリオ王子に嘘をつく――心構えは。


「あたしには、姉がいました」

「聞いている。やまいで亡くなったんだったな」


 言うまでもなく、これは偽りの情報。

 ジャンヌの正体であるアムロイの姉の話でない。アムロイが成り代わった、本物のジャンヌの過去。


「姉には神霊力が強く出ていました。だったらダンメルクじゃなくゼーラン王都のクヴンハウに行くだろうと思うかもしれませんが、あたしの幼い頃、あの当時といえば、王国が最も大変だった時期です」


 ああ、そうか――とオヴィリオが頷く。


 それは丁度、前の聖女が失われ、ゼーラン王国の国力が著しく低下したまさにその時期になるだろう。


 当時、下級貴族や庶民らにも王国が困窮していった皺寄せはあり、日々の糧を得るために国外へと逃げる者が大量に発生したのは、誰もが知っている事。ゼーランから逃げていった中で特に多かったのは、隣国のダンメルクへと国外逃亡した者達である。

 当時は支配国であるダンメルクに行けば生活には困らないと言われていたし、勉学を学ぶにしても支配国の王都に行くのが当然であった。ましてや神霊術を学ぶなら、尚の事ゼーランの王都よりダンメルクに、といった世情だったのは、残念ながら事実である。

 つまりジャンヌの年齢から考えれば、姉が自国の王都ではなく、わざわざ隣国のダンメルクに行ったのはごく自然な事なのだ。


 そう、これは――。

 偽りで糊塗された真実。


「姉の病は確かですが――でも、姉が亡くなった本当の理由は、違うんです」


 怪訝な顔をするオヴィリオ。

 潮風が、妙に生暖かく感じられた。


「亡くなる少し前、姉はあたしに手紙を送ってくれました」


 これは本当である。

 ジャンヌは、〝本物の〟ジャンヌから、その手紙を見せてもらっている。

 ただそこに書かれていたのは、もう一度妹に会いたいといった内容でしかなかったが。


 しかしジャンヌことアムロイは、真実とは違う事を口にした。


「助けて欲しい。自分はクローディアという魔女に殺される――姉はそう書いていました」


 目を見開き、驚きを隠せないオヴィリオ。

 思わず声が漏れそうになるのを、ジャンヌは人差し指を当てて「しっ」とする。


 それ以上は言わなくても分かるでしょう――そんな風に狼眼アンバーの瞳が、無言で語っていた。


「クローディアがダンメルクの聖女フローラになったのは三年前ですが――」


 しかしその正体がもし本当に魔女ウェルムならば、邪霊の力に目覚めたのはもっと前であっても怪訝おかしくはない。


「それにご存知ですか。ダンメルクでは、神霊力を持った人間が、度々失踪したり行方が分からなくなっているのを」

「それは本当か?」


 頷きで答えるジャンヌ。


 これも事実――らしい。


 ダンメルクで、年に何人かの神霊力を持った騎士やら術士やらが失踪しているというのは、知る人ぞ知る噂話として、まことしやかに語られていた。ただしおおやけにはそこまで広まっていないので、情報としては曖昧な部分も多い話なのだが、修道院時代、ジャンヌは生前の修道院院長からその話を聞いていたのだ。

 だが噂程度であってもそれを真に受けたからこそ、亡くなった院長はジャンヌことアムロイが世に出る事を嫌がったのである。


 たった一人残った修道女が、もしダンメルクの王室辺りにまで聞きつけられ、万が一にでも向こうに行く事となり、挙げ句の果てにそんな目にあったら――。

 それならいっそ神霊力に目覚めた事など隠してしまおう――。


 それがジャンヌが聖女として世に出るのをひた隠しに出来た理由になるのだから、偶然とはいえ皮肉なものである。


「姉が命を落とした本当の理由は、神霊力持ちの失踪と関係しているのは間違いありません。そもそもクローディアは、魔女ウェルムでありながら神霊力を持っている。それ自体が怪訝おかしいんです。けど、それは誰かの力を奪ったもので、だからこそ定期的に力を補充しなければならないのだとしたら」

「何だと――」

「姉も力を奪われた一人で、そうやって多くの人から神霊力を奪い、力が溜まった段階でクローディアは聖女フローラとして世に出た。ダンメルクの前の聖女フローラが亡くなったのも不運な事故死とされているだけで、当時から不審に思う人間は多かったと聞いています。けれどもクローディアの力があまりに強大で、恩恵も尋常でないからこそ、それも有耶無耶にされてしまった。でも、その影には数えきれない人間の犠牲があるのだとしたら……。姉もまた、その犠牲者の一人なら……あたしは絶対に、あの偽りの聖女を許す事が出来ません」


 勿論、〝本物の〟ジャンヌの姉が死んだのは、先にも述べたように遺伝的疾患によるものであり、クローディアの黒い噂とは関係ない。


 けれども事実を――今となっては誰も確認出来ないような――そんな事実の断片を真実で上塗りする事で、架空でありながら現実と相似したような〝物語〟を作り上げたのだ。


 今のジャンヌの――つまりはアムロイの記憶に刻まれた、姉・ヘレーネの死。


 オヴィリオに語った話に、その記憶と憎しみが上乗せされていたのは間違いなく、だからこそジャンヌの言葉には迫真の想いが籠められていた。


「姉の仇……か。それがお前の復讐、なんだな」

「はい」

「……俄かには信じ難いし、クローディアを疑うには曖昧にすぎる。それにお前がその確信を持ったのは、姉からの手紙だけなんだろう? けれどもお前は、姉がクローディアのせいで死んだと言い切れるんだな?」

「はい。姉は芯の強い人でした。どんな事があっても、誰かや何かのせいにしたりなんて、絶対にしません。優しく――とても心の強い――そんな人だったんです。その姉が、助けてと言ってきた。でも、幼い私も生活苦だった両親にも、姉を助ける事は出来なかった」


 ジャンヌの瞼の裏に描かれていたのは、クローディアに首を絞められてもがく、痛々しいヘレーネの姿。

 作り話の〝姉〟に、アムロイことジャンヌの姉が重なって幻視されていた。


「きっかけは姉の手紙からで、それを不審に思ったから、あたしは自分なりに調べたんです。そして調べれば調べるほど、殿下の仰った魔女ウェルムの噂が真実だと――そして姉は殺されたんだと確信していきました。だからあたしは姉の仇をとるために、聖女フローラになったんです」


 嘘で糊塗した〝物語〟に、真実を織り込む――。


 そこにはただの作り物にはない、強い想いが滲み出ていた。


「……お前の決意と想い。……それに、お前が言った、敵じゃないという言葉も、全部……よく分かった」

「殿下」

「確かにそうだ。少なくともお前の言う通り、俺達は敵じゃない。ただ……それでもまだ――俺は、この世の全ての聖女フローラという存在を受け容れるような気持ちには、なれない。だが、お前は別だ。お前は聖女フローラである前に、俺と同じ――俺にとって特別な――そう、同志だ」


 言葉の途中で照れ臭さを隠したのが、ジャンヌには分かった。

 でもそれで充分だった。いや、充分以上だった。


 そうだ。自分は何も間違ってない。

 他人の人生を引き継ぐ形で乗っ取り、己の目的のために利用する。それはこの上なく悪どい行為だろう。けれども想いに嘘はない。


 姉の仇をとる――。


 その一点において、自分は真実のみを語っていた。そして何よりも大事なのは、その一点だけなのだ。


 ジャンヌはオヴィリオの目を真っ直ぐに見つめる。

 オヴィリオも少しだけ照れた顔をしながら、まるで恐る恐るといったように見つめ返した。


 波飛沫が霧となって、二人の頬を濡らす。


 側で見ている限り、二人は想いを通じ合った若い男女にしか見えなかっただろう。


 それがまさか、互いの復讐の誓いを確認し合うといった血生臭い話をしているなどとは、露ほども思うまい。何より、波と風の音が、二人の声を掻き消していたのだから。



 だから二人をこっそりと見つめる目があっても、何も気にはしなかった。


「覗き見とは、随分と高尚なご趣味をしていらっしゃいますね」


 船室の影からジャンヌとオヴィリオを見つめていた男は、背中からかけられた声に、全身で反応する。


「それとも中央教会では、そのような出歯亀行為を良しとされていらっしゃるので?」


 男――ホランドは振り返り、顔を青くする。


「コーネリア……殿……」

「あのように見目麗しい若者二人なんだ。それに聖女フローラ守護士ガードナーという、他にはない強い絆で結ばれた男女なら、そういう・・・・風に出来上がっても不思議ではないだろう。そんな話、どこの国でもよくある事ではないか。教会の司祭なら、誰よりも知っているだろうに」

「そ、そのような下衆の勘繰り。無礼ではありませんか」


 コーネリアの物言いに、思わずホランドは青くなった顔を赤くして語気を強める。


「無礼? それは自分自身への皮肉か? それとも何か? 二人が男と女にならぬよう、ゼーラン王から見張りでも仰せつかったか?」

「よしてください。私はただ――」

「ただ、何だ?」


 ホランドは俯いて「もういいです」と言いながら、その場を去っていった。


 その後ろ姿を眺めつつ、コーネリアはもう一度だけジャンヌとオヴィリオに目を向ける。


「ジャンセンだからか、それとも……。まあいい、どちらにせよ見極めはこの後だ」


 その独り言を耳にした人間は、誰もいなかった。


 ジャンヌ達の声が誰にも届かなかったように。


 ただしそれは、人間だけの話である。


 宙を漂う太陽の色をした神霊フロースの耳は、別であったが。

 そしてその神霊フロースが不服げな顔をしていた事も、誰も知らないまま。

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