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Chap.1 - EP4(3)『霊蝕門 ―屍喰―』

 ジャンヌ達の一行は予定通りオールボーに着くと、すぐに馬を手配してスケーエンへと向かった。


 さすがにオールボーでは、ジャンヌの名前を出してしまうと騒ぎになりかけるほどだった。何せこの街から出た聖女である。

 それは偽りの身分、詐称した名前だと知っているホランドからすれば、こんな風に一般の人々までも信じ込ませている事実に、内心で驚くばかり。これについては、ジャンヌがオヴィリオに語った内容と、その裏側――それが真実である。


 とはいえ、街からのもてなしを受けている悠長さなど、一行にはない。


 いずれまた――と歓待の声をやんわりと受け流し、その日の昼過ぎにはスケーエンへと辿り着けるように行程を進めた。


 途中、開花時期を過ぎて花弁を閉じかけているコケモモリンゴンベリーの花を沢山目にしたが、オールボーとスケーエンを隔てるサヴコスキ川の支流を超えた辺りから、それらが一斉に見かけなくなってしまう。


 常緑樹であるはずのトウヒやアカマツも葉を枯らし、中には朽ちてしまったものすらあった。


 地面の雑草も異質だ。冬枯れになるにはまだまだ先だというのに、既に草原全体が青々しさを失っているし、よく見ればそれは早まったものではなく、大地そのものが変質しているせいだと分かった。


 明らかに怪訝おかしい。

 鳥や虫、動物の姿も、死滅したように気配すらなくなっている。


「嫌な匂い」


 風に乗って漂ってきたえた匂いに、ジャンヌが鼻を覆う。

 確かに、腐敗した植物が出す臭気のような不快さが、うっすらと匂っていた。


「スケーエンは近いんだな」


 乗馬のコーネリアが、己の鞍の後ろに相乗りさせているギルダに確かめる。

 ジャンヌはオヴィリオの後ろで、ホランドは随行する四人の騎士の内、一人の後ろに乗っていた。つまり計六頭の騎馬である。


「はい。あそこの森が開けたところがトナカイの囲い場なんですが……えっと、その先が街の入り口です」

「トナカイ……?」


 放牧しているとはいえ、これも姿が見えない。

 緩やかな風がここにきて凪いだのも、不気味さに拍車をかけた。


 一行の警戒心が上がる。


 そこへ――。


 草ずれの音が響いた。


 そのトナカイか――と思ったが、草むらから覗いた影は、人の形をしている。どうやらスケーエンの街の人間らしい。

 丁度いい、とホランドを後ろに乗せた騎士が馬首を巡らし、街の人間らしきその影に近付いていった。


「失礼だが、貴方はスケーエンの人間か? 少し尋ねたい事があるが、よろしいか?」


 しかし影は、返事を発さない。もしや聞こえていなかったかと、再度声をかけようとした時だった。



 「止せ」とコーネリアが制止を放つのと、その影が躍り上がるのがほぼ同時。



 不意をつかれた騎士は、飛びかかられる恰好で馬から転がり落ちる。

 巻き込まれる形で、ホランドも一緒に落馬した。


 動き――人ではなく、まるで猛獣のような跳躍力。


 しかし猛獣に襲われたどころか、騎士に覆い被さる人の影が明瞭はっきりとした時、誰もがそれ以上のものに息を呑んだ。


「ひィィッ!」


 見下す影に、騎士も悲鳴をあげる。

 屈強で鍛え抜かれた騎士が、まるで幼子のような悲鳴を。


 紫だか土色だか判然としない、濁った肌。皮膚のどこも膿み爛れてあちこちが裂け、中の腐った筋繊維や骨までも露出している。

 当然ながら頭髪はまばらに抜け落ち、一見すると焼死体にも見えた。

 眼窩の中は既に空洞で、瞳があった孔からは触手のようなものが蠢いていた。いや、この人型全体に、ぶよぶよと胎動するヒルのようなものが絡みついている。


 正しくは、巨大なヒルかナメクジが、人と混ざり合ったような――。


 そんな吐き気を催す姿形。



「ゾ……屍喰人ゾンビッ……!!」



 異形に組み伏せられた騎士にとって、その叫び声が断末魔となった。

 両の眼窩から、口から、鼻から耳から――うようよとヒルのようなものが零れ落ち、それが騎士の顔や体を覆い尽くす。

 すぐさまコーネリアが反応し、馬上から跳び降りると同時に剣で斬り裂くも、時既に遅し。騎士は息をごぼごぼと鳴らし、顔中を紫色に変えて白目を剥いている。いや、その目すら、溶けはじめていた。


「ひっ――」


 ホランドが上擦った声をあげ、その場にへたり込んでいる。

 怯える司祭を無理矢理立たせて、コーネリアは彼を別の騎士の後ろに乗せた。そのまま素早く己の馬に乗り、叫ぶ。


「殿下! 聖女フローラ殿! 周りを!」


 二人が周囲に意識を向けると、一瞬で表情が凍りつく。


「いつの間に……」


 森の至る所、樹々の影に紛れて、夥しい数の歩く屍者の邪気が確認されたからだ。

 それに伴い、瘴気も漂いだしている。当然ながら、最も恐るべき〝元凶〟の邪気も感知された。


 それはつまり――



「これは、〝霊蟲シラルイ〟……! こんなところまで」



 明らかに息絶えたであろう騎士に視線を向けて、コーネリアは冷静に言い放つ。


「こいつはもう、手遅れだ」

「い、一旦、引き返した方が――」

「馬鹿を言うな。ここまで汚染されているのに、このまま放置してみろ。さっきのオールボーはもとより、他の街や村にまですぐに被害が及ぶぞ。今ここで手を打たなければ、霊蝕門エクリプシスが彼方此方で開きかねん。そうなったらもう、手遅れだ」


 恐怖に駆られて及び腰になるホランドに、コーネリアが叱咤する。


 本来は憎むべき国の騎士だが、さすがに名うての実力者なだけはある。邪霊による災害においては、誰よりも心強いと言わざるをえなかった。


 その言葉に頬をはたかれたような顔をして、ホランドも首を振る。

 恐怖は恐怖のままだが、コーネリアの言葉に我を取り戻したのだろう。オヴィリオに向かって告げる。


「申し訳ありません……少し、取り乱してしまいました。殿下、私も気配を探ります。こうなればもう、この場所から何もかもを切り替えるしかありません」


 オヴィリオも頷き、後ろのジャンヌに眼を向ける。


「少し荒い乗り心地になる。しっかり捕まっておけ、いいな」

「はい」


 全員が一斉に、馬に鞭を入れた。


 瘴気の只中へ、五頭の馬は、走り出す。

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