ジャンヌ達の一行は予定通りオールボーに着くと、すぐに馬を手配してスケーエンへと向かった。
さすがにオールボーでは、ジャンヌの名前を出してしまうと騒ぎになりかけるほどだった。何せこの街から出た聖女である。
それは偽りの身分、詐称した名前だと知っているホランドからすれば、こんな風に一般の人々までも信じ込ませている事実に、内心で驚くばかり。これについては、ジャンヌがオヴィリオに語った内容と、その裏側――それが真実である。
とはいえ、街からのもてなしを受けている悠長さなど、一行にはない。
いずれまた――と歓待の声をやんわりと受け流し、その日の昼過ぎにはスケーエンへと辿り着けるように行程を進めた。
途中、開花時期を過ぎて花弁を閉じかけている
常緑樹であるはずのトウヒやアカマツも葉を枯らし、中には朽ちてしまったものすらあった。
地面の雑草も異質だ。冬枯れになるにはまだまだ先だというのに、既に草原全体が青々しさを失っているし、よく見ればそれは早まったものではなく、大地そのものが変質しているせいだと分かった。
明らかに
鳥や虫、動物の姿も、死滅したように気配すらなくなっている。
「嫌な匂い」
風に乗って漂ってきた
確かに、腐敗した植物が出す臭気のような不快さが、うっすらと匂っていた。
「スケーエンは近いんだな」
乗馬のコーネリアが、己の鞍の後ろに相乗りさせているギルダに確かめる。
ジャンヌはオヴィリオの後ろで、ホランドは随行する四人の騎士の内、一人の後ろに乗っていた。つまり計六頭の騎馬である。
「はい。あそこの森が開けたところがトナカイの囲い場なんですが……えっと、その先が街の入り口です」
「トナカイ……?」
放牧しているとはいえ、これも姿が見えない。
緩やかな風がここにきて凪いだのも、不気味さに拍車をかけた。
一行の警戒心が上がる。
そこへ――。
草ずれの音が響いた。
そのトナカイか――と思ったが、草むらから覗いた影は、人の形をしている。どうやらスケーエンの街の人間らしい。
丁度いい、とホランドを後ろに乗せた騎士が馬首を巡らし、街の人間らしきその影に近付いていった。
「失礼だが、貴方はスケーエンの人間か? 少し尋ねたい事があるが、よろしいか?」
しかし影は、返事を発さない。もしや聞こえていなかったかと、再度声をかけようとした時だった。
「止せ」とコーネリアが制止を放つのと、その影が躍り上がるのがほぼ同時。
不意をつかれた騎士は、飛びかかられる恰好で馬から転がり落ちる。
巻き込まれる形で、ホランドも一緒に落馬した。
動き――人ではなく、まるで猛獣のような跳躍力。
しかし猛獣に襲われたどころか、騎士に覆い被さる人の影が
「ひィィッ!」
見下す影に、騎士も悲鳴をあげる。
屈強で鍛え抜かれた騎士が、まるで幼子のような悲鳴を。
紫だか土色だか判然としない、濁った肌。皮膚のどこも膿み爛れてあちこちが裂け、中の腐った筋繊維や骨までも露出している。
当然ながら頭髪はまばらに抜け落ち、一見すると焼死体にも見えた。
眼窩の中は既に空洞で、瞳があった孔からは触手のようなものが蠢いていた。いや、この人型全体に、ぶよぶよと胎動するヒルのようなものが絡みついている。
正しくは、巨大なヒルかナメクジが、人と混ざり合ったような――。
そんな吐き気を催す姿形。
「ゾ……
異形に組み伏せられた騎士にとって、その叫び声が断末魔となった。
両の眼窩から、口から、鼻から耳から――うようよとヒルのようなものが零れ落ち、それが騎士の顔や体を覆い尽くす。
すぐさまコーネリアが反応し、馬上から跳び降りると同時に剣で斬り裂くも、時既に遅し。騎士は息をごぼごぼと鳴らし、顔中を紫色に変えて白目を剥いている。いや、その目すら、溶けはじめていた。
「ひっ――」
ホランドが上擦った声をあげ、その場にへたり込んでいる。
怯える司祭を無理矢理立たせて、コーネリアは彼を別の騎士の後ろに乗せた。そのまま素早く己の馬に乗り、叫ぶ。
「殿下!
二人が周囲に意識を向けると、一瞬で表情が凍りつく。
「いつの間に……」
森の至る所、樹々の影に紛れて、夥しい数の歩く屍者の邪気が確認されたからだ。
それに伴い、瘴気も漂いだしている。当然ながら、最も恐るべき〝元凶〟の邪気も感知された。
それはつまり――
「これは、〝
明らかに息絶えたであろう騎士に視線を向けて、コーネリアは冷静に言い放つ。
「こいつはもう、手遅れだ」
「い、一旦、引き返した方が――」
「馬鹿を言うな。ここまで汚染されているのに、このまま放置してみろ。さっきのオールボーはもとより、他の街や村にまですぐに被害が及ぶぞ。今ここで手を打たなければ、
恐怖に駆られて及び腰になるホランドに、コーネリアが叱咤する。
本来は憎むべき国の騎士だが、さすがに名うての実力者なだけはある。邪霊による災害においては、誰よりも心強いと言わざるをえなかった。
その言葉に頬をはたかれたような顔をして、ホランドも首を振る。
恐怖は恐怖のままだが、コーネリアの言葉に我を取り戻したのだろう。オヴィリオに向かって告げる。
「申し訳ありません……少し、取り乱してしまいました。殿下、私も気配を探ります。こうなればもう、この場所から何もかもを切り替えるしかありません」
オヴィリオも頷き、後ろのジャンヌに眼を向ける。
「少し荒い乗り心地になる。しっかり捕まっておけ、いいな」
「はい」
全員が一斉に、馬に鞭を入れた。
瘴気の只中へ、五頭の馬は、走り出す。