秋季埼玉県大会準決勝。相手は武州高校。
これまでの対戦成績で、大きく勝ち越している相手。決して侮ることはできないが今の勢いなら必ず勝てる。そして、決勝で待つのは王者、帝都実業だ。
先発マウンドにはエースナンバーを背負った高木先輩が上がった。
その立ち上がりは、いつも通り力強く武州打線を寄せ付けない。俺はベンチでピッチングを見守りながら、自分の出番に備えていた。
しかし、三回あたりから、高木先輩の球に、いつものようなキレが感じられなくなった。ストレートの球速も、わずかだが落ちている。顔には、はっきりと疲労の色が浮かんでいる。その後も、高木先輩は気力で相手打線を抑えたが、五回に入ったときには、さらに疲労の色が強くなり球威も落ちてきた。
そして六回表、ついに高木先輩の疲労がピークに達した。先頭バッターに痛烈なタイムリーを打たれ、武州高校に二点を先制されてしまう。なおも続くピンチに、ベンチの佐竹監督がゆっくりと腰を上げた。
そして、俺の名前が呼ばれた。
「来栖! 行くぞ!」
「はい!」
俺は、ブルペンからマウンドへと向かった。マウンド上で、高木先輩が悔しそうにボールを俺に手渡す。
「……すまん、来栖……。こんな場面で……」
「いえ……。後は、俺に任せてください、高木先輩」
彼の肩には、エースとしての重圧と、そして計り知れない疲労がのしかかっているのが、痛いほど伝わってきた。
交代した俺は、気迫のピッチングで武州高校の追加点を許さなかった。俺の投げるボールは、相手打者を次々と打ち取っていく。
しかし、青葉打線も、相手投手の好投の前に沈黙した。高木先輩が失った二点が、重くのしかかる。
試合は、そのまま2対0で青葉学院の敗北。俺たちの秋は、準決勝で終わりを告げた。決勝で帝都実業にリベンジするという目標は、あっけなく潰えた。
ロッカールームは、通夜のような重い沈黙に包まれていた。
誰もが言葉を発することができない。格下と思っていた相手への油断、そして、自分たちの実力不足。その両方を、嫌というほど思い知らされたのだ。
俺は、自分が無失点に抑えたにも関わらずチームが負けたという事実に、やりきれない思いを抱えていた。しかし、それ以上に、高木先輩の憔悴しきった姿が、俺の胸に突き刺さった。
これまでの試合、俺がスタミナ不足で長いイニングを投げられないために、高木先輩がエースとして、どれだけ多くのイニングを投げ、どれだけの負担を強いられていたのだろうか。今日の敗戦も、その蓄積された疲労が一因なのではないか……。
俺は、そっと高木先輩の隣に座った。
「……すみませんでした、高木先輩」
彼は、ゆっくりと顔を上げた。その目は、赤く充血していた。
「俺のスタミナがないせいで、これまで先輩に無理をさせてしまいました。今日の試合も……俺がもっと早くから、もっと長いイニングを投げられていれば……」
俺は、頭を下げた。
高木先輩は、驚いたような表情で俺を見ていたが、やがて、静かに首を横に振った。
「……いや、お前だけのせいじゃない。俺が……俺がエースとして、チームを勝たせられなかったのが全てだ。だが……お前のその言葉、少し……救われたよ。ありがとうな、来栖」
彼の声は、かすれていた。でも、その瞳には、ほんの少しだけ光が戻ったような気がした。俺たちの間に、言葉以上の何かが、確かに通い合った瞬間だった。
この敗戦と高木先輩への負い目、そして彼からの言葉を胸に、俺はスタミナ強化の決意を新たにした。
「次こそは、もっともっとスタミナをつけて、高木先輩の負担を減らせるようにします。そして、夏は絶対に、二人でチームを甲子園に連れて行きます!」
俺は、ロッカールームの窓から見える秋空に、心の中で強く誓った。
その日から、俺の地獄のような冬のトレーニングが始まった。
スタミナという最大の課題を克服するため、ノートの理論と、姉の綾音のアドバイスを元に、これまでの数倍の負荷をかけた過酷なトレーニングメニューを、黙々とこなしていく。