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006 もうひとつの出会い

 入学式が終わり、教室に戻った。

 一年一組は男女合わせて三十六名。


 運良くというか、よくやったというか、ちょうど男女十八名ずつだ。

 これが奇数だったり、男女の数が違っていたりすると、あぶれた者は悲惨な運命になる。


 中学時代の俺がそうだった。

 勉強ばかりしていたせいか、女子から話しかけられることがほとんどなかった。


 まあ、こっちからも話しかけないので、当たり前なのだが。


 担任は三十代半ばの女性教諭で、前岡まえおか彰子あきこと名乗った。

 書道を担当するらしい。俺は美術を選択しているので、教わることはなさそうだ。


 担任はこれからのことを話しながら生徒の顔を眺めて回っていたが、俺のところで視線を止めた。

 もしかして、問題児と認定されたのか。


 それだったら不本意だ。

 高校は雌伏のときだと理解しているので、目立たず無難に生きることを目標としている。


 すすんで教師の目に留まりたいとは思わない。


「それじゃ、まず『クラス代表』を決めましょう。昔でいう委員長のことね。自薦他薦、何でもいいわよ」

 まず代表を決めて、その者が進行役となって委員会や係を決める。


 定番だ。

 なにしろ、それをすれば、教師は見ているだけでいいのだから。


「先生、おれは大賀くんをクラス代表に推薦します」

 教室の後ろの方から声があがった。だれが発言したがすぐに分かった。


「吉兆院、どういうつもりだ?」

 俺が後ろに向かって声を強めると、何人かが目を逸らした。


「だって、大賀くん。人を動かすの、慣れてそうだし」

「そりゃこの位の人数を動かすのは訳ないが」


 雌伏するって決めているのに、あいつは何を言っているんだ。

「それじゃ、一人推薦が出たけど、他には?」


 みんなサッと顔を伏せた。

「他にいないようだけど大賀くん、どうかしら? やってくれる?」


「……分かりました。引き受けましょう」

 ホッとした空気が教室の中に流れた。


 こういうのは拒否しても、最後にはやらなくてはならなくなる。

 だったら、最初から引き受けてしまった方がいい。


「一人は大賀くんに決まりね。もう一人は女子にお願いしたいのだけど」

 途端に女子が顔を下げた。今度はかなり露骨に。


 クラス代表をやりたくない気持ちは分かる。

 だが俺が決まったあとでだれも名乗り出ないと、俺と一緒にやりたくないと思われそうで、なんか嫌だ。


「はい、先生」

 だれかが手をあげた……わけではなく、となりの女子の手首を掴んであげさせた。酷いな。


「ええっ~!?」

 予想外だったのだろう。手をあげさせられた女生徒が戸惑っている。


「あなたは……?」

 先生が少し苦笑している。


「わたしは神宮司じんぐうじあやめです。隣の人の名前は知りません」

 ちょっ! 神宮司さん、見ず知らずの人を推薦しやがった。


「な、なんで、わたしなの?」

「だってさっき、『ちょっとタイプかも』って言っ……」


「にゃぁああああああ!」

 突然の奇声。真っ赤になって女生徒が立ち上がった。


 短いスカートがひるがえって、周囲の男子生徒が目のやり場に困っているぞ。

 しかもこの女子生徒、周囲と比べてやたらスカートが短い。入学初日から改造しているな。


 この時代だと、長期連載のマンガなどではまだ、不良たちは太いズボンや長いスカートで登場する。

 しかし現実は違う。とっくに女子のスカート丈は短くなっていた。


 長いスカートなど、もはや田舎にいかないと見つけられないだろう。

 彼女はブラウスのボタンを二つはずしているため、胸元から大きな胸があふれようとしている。


 そもそもブラウスの丈すらも短く、スカートの中に入っていない。

「他にいないかしら…………いないようね。じゃ、この二人でいいかしら?」


 教師が問いかけると、「いいでーす」という声があがった。

 小学生か。


「それじゃ二人とも前に出て、あとはお願いね。決めるのは書記と各種委員会、それから一組に割り当てられた校内係ね」

 やはり委員決めを任された。


 だがこんなもの、会社の上役うわやく連中にプレゼンしたときにくらべれば、なんともない。

 早めに終わらせようと思っていたら、そもそも彼女の名前を知らないことに気付いた。


「俺は大賀愁一。名前を教えてくれるか?」

「へあっ? は、はいっ! あ、あたしの、な、名前は、名出ないで琴衣ことい……十五歳です」


「四月の頭に誕生日を迎えたのでなければ、十五歳だろう。それはいいんだが、名出……?」

 どこかで聞いたことがある名だ。


 記憶力には自信がある。

 絶対にどこかで聞いた……しかも結構最近だ。


「な……なに?」

 俺がじっと顔を見ていると、彼女はたじろぐように後ずさった。


「……ッ!?」

 顔を見て思い出した。といっても、会ったことはない。顔を見たのはテレビを通してだ。


 冤罪事件の際、俺を擁護してくれた吉兆院建設ともう一つの会社。

 重機や作業員のレンタルをしていた『リミス』だ。


 やはりリミスも、俺のせいで業績は低迷してしまったが、それでも北米ではまだ拠点が残っていた。

 そのリミスが、何千時間分の監視カメラの映像を分析して、俺の罪を晴らす決定的な証拠を見つけてくれたのだ。


 俺が裁判で踏ん張れたのも、たびたびリミスの社長が記者会見を開いて、俺がそういう悪事に染まる人物ではない、組織的な隠蔽いんぺい工作の疑いがあると言い続けてくれたおかげでもある。


 テレビに映っていた女社長の顔を若くすれば、いま目の前の彼女に……かろうじてなるかもしれない。

「老けてたな」


「うえっ!?」

 思い出した。テレビに出ていたテロップの名前は、たしかに「名出琴衣」だった。


 本人で間違いないはずだが、テレビに映った姿は、もっと老けていた。

 六十歳を超えているようにみえた。


 苦労したのだろう。髪は白く、シワも目立っていた。

 あの女社長が、まさか同い年だったとは……。


 彼女はずっと俺の無実を信じ続け、裁判がはじまったあとも、証拠探しを続けてくれていた。


 正しい者が裁かれて、正しくない者はのさばる世の中になってほしくないというそれだけの理由で、ずっと1円の得にもならないことをしてくれたのだ。


 その甲斐あって、証拠が積み重ねられ、俺を拘置所から出してくれた。

 彼女もまた、俺を救ってくれたのだ。


 気がついたら俺は彼女を抱きしめていた。

「ありがとう」そう告げた声は、彼女の奇声によってかき消されてしまった。


「うにゃぁああああああああああああ!」

 俺の腕の中で彼女はジタバタと暴れ、ついには頭から湯気を出して、へなへなと腰くだけになってしまった。


「大賀くん、入学初日から不純ふじゅん異性交遊いせいこうゆうに励んだのは、あなたが初めてよ」

 担任がいい笑顔で俺の肩を叩き、親指を後方に向けて、「あとで職員室ね」と耳元で囁いた。


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