夜、父が帰ってきてから、家族で寿司を食べた。
一家揃っての団らんは、いいものだ。
『夢』の中で俺は、二十七歳のときに結婚した。
そろそろ結婚した方がいいだろうと思って……取引先のパーティで知り合った女性と結婚した。
妻となった女性は大学を出て二年目で、「まだまだ覚えることが多い」と話していたのを覚えている。
子供はできなかった。夫婦で一緒に食事をしたことも少なかったと思う。
記憶力には自信がある俺だが、いまとなっては妻の顔もよく思い出せない。
とことん興味がなかったようだ。
妻の実家は東京の賃貸マンションだったので、受験前に訪れてみたが、まだ建築が始まっていなかった。
俺より四歳下なので、いまは小学校六年生のはずだ。
東京に住んでいることは確かだが、引っ越す前の住所など、聞いたことがない。
いま思い返すと、至らない夫だったと思う。
『夢』の中の借りを返したいが、おそらく会うことはないのではないかと思う。
すれ違いの生活が続き、妻の方から離婚をきり出してきた。
ちょうど欧州に出向する前だったので、離婚を承諾するとか以前に、会社への手続きが増えたが、住居の確保などの手間が減ったなと考えてしまった。
いま思うと、離婚の話もブラフだったのではなかろうか。
俺があっさり……というか、離婚後のことをあれこれ話し出したので、「これは駄目だ」と思ったのかもしれない。
というのも、あのときの妻はなんだか、言いたいことをすべて飲み込んでいる顔をしていた。
結婚を機に購入したマンションや、見栄のために揃えた車などを慰謝料代わりに与え、離婚は呆気なく成立した。
身軽になって欧州へ旅立てたと、気分は上向いていたほどだ。
なんとも嫌なヤツだったと思う。
「おにいちゃん、食べないの?」
考え事をしていたら、妹が顔を覗き込んできた。
「食べるよ、もちろん」
「たくさん食べないと、大きくなれないぞ。まあ、もう背が伸びないか」
父が上機嫌だ。そういえば、父は酒が好きだとよく言っていたが、家で晩酌している姿を見たことがない。
つきあいで飲むことも少ない。
もしかすると、家計を考えて我慢していたのかもしれない。
「愁一ももう高校生なのね。すぐにいい人を見つけて、結婚するのかしらね」
「えーっ!? おにいちゃんが?」
妹がまるで「モテないでしょ」という顔を向けてくる。
『夢』の中では、「結婚」という事象だけ捉えて、「相手」については一切考えなかった。
だれでもいいとさえ思っていたフシがある。
その点、妹は優秀だ。
ちゃんと恋愛して結婚している。
ただし、妹の旦那の顔は見ていない。
欧州での仕事が忙しく、結婚式は不参加だった。
どこかの工場の作業員だと聞いて、馬鹿にして終わったと思う。
『夢』の中の俺は、どこに勤めているかだけが重要で、それ以外にまったく興味を持っていなかった。
兄妹で連絡を取り合うこともなく、最後に連絡がきたのは、父が亡くなったときだ。
これも北米での仕事が忙しく、「帰ったら墓参りに行く」とだけ伝えて終わった。
よほど呆れたのだろう。
それ以来、一切連絡がこなくなった。
拘置所にいる間も、面会や差し入れもなかった。
父の死後、母から足が悪くなったと連絡がきた。
すぐさま俺は、老人ホームに入ればいいと、まとまった金を渡した。
もしかするとあれも、一度帰ってきてほしいという意思表示だったのかもしれない。
いまさらだが、反省することしきりだ。
『夢』の中の行動を反省し、今度こそは親孝行しようと思う。あと妹孝行か。
「おにいちゃん、本当に食べないの? もう残り少ないよ」
横から無邪気な声が聞こえた。そんなに食べたいのか、妹よ。
学校の授業が始まって、一週間が経った。
ハッキリ言って退屈だ。
俺は余暇の使い方がヘタだったが、いまでもそうだ。
授業といっても、中学校で習った範囲の復習をしている。
落ちこぼれを出さないというのが学院の教育方針らしく、数学で一次関数をやりはじめたとき、また中学に戻ったのかと、かなり驚いてしまった。
しかも真剣にノートをとるクラスメイトを見て、さらに驚いた。
自分だけ異世界に紛れ込んでしまったのかと、本気で心配したほどだ。
「愁一、弁当食おうぜ」
吉兆院が勝手に俺の前の席に座った。最近馴れ馴れしい。
「おい優馬、他人の席に座るなら、ひと言断ってからにすべきだろ」
「そうだね。えっと、この席はだれのかな」
「横川さんだ」
「あー、席借りるねー」
窓辺で友達とお弁当を拡げている横川さんに、吉兆院は座ったまま声を張り上げる。
「相変わらず雑だな」
会社だと、机の周りに大事なものが置いてあったりするので、他人が座ることはない。
本人に無断で座ることなど皆無だ。
ある意味、学生らしいといえばそうなのだが、まだこういう感覚には慣れない。
「……ん?」
あらかた食べ終わった頃に、教室がザワついた。
「もめ事みたいだね」
廊下でだれかが言い争っている。
「行ってみようよ」
「やめとけ」
吉兆院が腰を浮かしたので、手で押さえた。
野次馬根性で眺めるのは失礼だし、関わってもロクなことにならない。
知らないフリしているのが一番だ。
食べ終わった弁当をしまい、スペイン語の本を読みはじめたところで、怒声とドンッという音が響いた。
口論が大きなトラブルに発展したのかもしれない。
図書室にでも行こうかと思って立ち上がったところ、教室内に残っていた生徒たちが動いた。
「……ん?」
生徒たちが廊下に出ていく。
さっきまで騒動を避けていたと思ったのだが、興味でも持ったのだろうか。
俺が教室を出ると、人垣が割れた。
そして彼らの視線が……なぜか俺に注がれる。
「大賀くんが来たぞ」
「ついに動いたか」
「そこ、大賀くんのために道をあけろ。通れないじゃないか」
もめ事をおこしていたのは、クラスメイトと……上級生?
なぜか人垣が割れて、俺の前に道ができている。
「みんな! この場は愁一に任せよう」
いつの間にか吉兆院が廊下に出て、場を仕切っていた。
「おい、優馬」
「さっ、先生。やっちゃってください」
何を?