『夢』の中での高校生活は、スクール内でマウントを取るために費やす時間がとても長かった。
無駄だと思いつつ周囲に合わせたのは、クラスから排除されると、T大での生活や就職後のコネ作りにも影響しそうだったからだ。
学校は、高校生にとって人生のすべてではないが、大部分を占めるものである。
「さっ、先生。やっちゃってください」
吉兆院が俺を最前列に押し出した。
いつの間に、俺が仲裁することになったのだ?
周囲も当然というように、俺を見ているし。
「……何があったんだ?」
ここで俺は関係ない、勝手にやれと突き放すこともできるが、もう一度言おう。
学校は高校生にとって、人生のすべてではないが、大部分を占めるのだ。
仲裁を拒否して、残りの高校生活を台無しにしたくない。
「大賀くん……」
状況からすると、上級生に因縁を付けられたクラスメイトという図だが、実際はどうなのだろう。
「理論立てて説明してくれ。簡潔にな」
というわけで、クラスメイトの
「わ、分かったよ。僕がこの前……」
向井の話を要約すると、以下のようになった。
まず、向井と上級生は、同じ中学の先輩と後輩の関係。バスケ部で苦楽を共にした仲だという。
学年こそ違うが、親しい仲だというのは分かった。
向井はたまたま、知り合いに誘われて、ハンドボール部の練習に参加してみた。
これが思いの外楽しかったので、勢いで入部を決めてしまった。
というのも向井の背では、高校でバスケを続けるのは難しい。
ハンドボールならば、バスケの経験も生かせて、背の高さもそれほど関係ない。
自分に合っていると感じたようだ。
この上級生は、向井が入学したのを知って、ずっとバスケ部で待っていたが、なかなか来ない。
痺れを切らして教室まで来てみると、別の部活に入っていたことが分かった。
最初は冷静に話していたようだが、バスケ部に入らないと知って、ややヒートアップしたようだ。
「背が伸び悩んだことが入部しない理由というのは、よくあることだと思いますが」
理由としてはありふれている。
スポーツは、身長や体重によって向き不向きが出てしまう。
努力しても背は伸びないし、他に生かせる道があるのならば、そちらを選ぶべきだ。
少なくとも本人がそう望んでいるならば、周囲がとやかくいう必要はない。
「こいつはすばしっこい。そういうプレーを磨けば、レギュラーだってとれる」
上級生の言いたいことも分かるが、部活引退までたった二年と半年しかない。
あえて不利な状況で勝負する必要はないと思う。
「本人が望めば、その道もあるでしょう。ですが彼はハンドボールを選んだ。だったらその道を祝福してあげるべきでは?」
「おまえに何が分かる!」
どうやらこの上級生は、すぐにカッとなる性格のようだ。
「あなたが分かってるとは思えませんが。そもそもあなたのは、ただの強要です。彼をどうこうする権利など、はなからありませんよ」
「――んだとぉ!」
怒りっぽい性格のようなので、少し
血の気が多すぎる。
衆人環境の中で胸ぐらを掴むのだから、周りが見えていないのだろう。
さっきのドンッという音の正体はこれかと思いながら、手首を逆に捻る。
こういうのは、あまり力が要らないのだ。
「ここで騒ぐと周囲に悪影響が出ますよ。バスケ部の悪名が広がってもいいんですか?」
顔をしかめる上級生の耳元で囁く。
「てめえ」
闘志を失わないのは美徳だが、これは悪手だ。
「バスケ部の顧問は、
「……お、おい」
「あなたに処分がくだされるまでは手を抜きませんよ。それとクラス代表として、バスケ部の部長にも、正式に抗議を入れさせてもらいます。こちらも部長と副部長、そして顧問の先生が謝罪に来るまで、絶対に手を抜きませんから」
そこまで囁くと、抵抗していた力が抜けた。
あと一押しだ。今度は声に殺気を込めて、やや横柄な口調でダメ押しをする。
「代表委員会でも取り上げさせるからな。六月の生徒総会で、強引な新入生勧誘についての規制を提案する。……良かったな! おまえの行動で、すべての部活動が影響を受けるぞ。今後、勧誘のやり方が、おまえのせいで変わる」
そこで手を離してやると、上級生は「そんなつもりじゃないんだ」と呟いた。
ことの重大さに気付いたようだ。俺が目で
「すまん。ハンドボール部でがんばってくれ。お、応援しているから」
俺がうなずくと、上級生はそそくさと去っていった。やはり高校生とはいっても、まだまだ子供だ。
社会に出ていない相手を丸め込むなど、造作もない。
トラブルは解決したので、図書室へ行く必要もなくなった。教室でスペイン語の続きを勉強しよう。
「やっぱり人殺してるんじゃ?」
教室に戻ろうとしたら、そんな呟きが聞こえた。
だれが不穏なことを言っているのかと視線を巡らせば、神宮司あやめの姿があった。
彼女、俺に恨みでもあるのか?
「さすがだね」
廊下にいた吉兆院が、なぜかもう教室にいる。忍者か?
「おい、吉兆院。人に面倒事を丸投げするな」
俺が抗議すると、吉兆院はへらへらとした顔を向けてきた。
「いやぁ、ああいうのって、クラス代表の仕事でしょ」
「まったく違う」
揉め事の処理は、クラス代表の仕事ではない。
「だって愁一って年上のあしらい、うまそうじゃん。だから任せたんだ」
悪びれる様子がまったくない。
いつの間にか名前を呼び捨てにしてるし、相変わらずコイツの距離感が分からない。
「面倒事を持ってくるな。もう、これっきりにしろ」
「でもさ、クラスの連中だって、みんな愁一が何とかしてくれるって思ってたはずだよ。
それは俺も気付いていた。
俺が立ち上がったときから、名出さんはなぜかじっとこちらを注視していた。
視界の端で、
「……まあいい。読書するから、もう邪魔しないでくれ」
昼休みはあと十五分しかない。
「なんで? おれと話そうよ」
「また今度な」
本に視線を戻すと、しばらくして吉兆院はいなくなった。
俺はチャイムが鳴るまで、読書を堪能した。