目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

019 社長の不安

 話は終わったのだが、社長が「いいこと聞いたけど、とても覚えきれない」と言いだした。

 この場限りの話にしてもらったら困る。


 社長にはがんばってもらって、ぜひとも荘和コーポレーションの躍進を阻んでもらいたいのだ。


「学がないのはツライなぁ、谷よ」

「はいっす!」


 なんかいい話になっているが、それだとわざわざここに来た意味がなくなってしまう。

 しかたないので後日、内容をレポートにまとめて、俺が社長に渡すことになった。


 そうしたら、「また来てくれるのか」と、社長はとても喜んでいた。


「娘と結婚して、会社を継いでくれるんだろ?」と聞いてきたので、営業でつちかったアルカイックスマイルを浮かべながら「時が満ちたときに考えましょう」と誤魔化しておいた。


 たしかに名出家は、娘が一人きり。

 だれかが家業を継がねばならない。


 そして女性が土建業を継ぐというのは現実的ではない。

 やればできるだろうが、相当な苦労があるはずだ。


 2030年当時、なぜ彼女がああも年齢以上に老けて見えたのか。

 きっと仕事で苦労し、社員の掌握でも苦労したのだろう。


 従業員の意識改革ができなければ、現場は谷のような若者ばかりになる。

 そんなときに社長が亡くなったとしよう。


 血縁だからという理由で、新社長に女性が就任。

 果たして、そんな状態で彼らに舐められないでやっていけるだろうか。


 社長職が板に付くには、五年や十年はゆうにかかるのだと思う。

 そしていま、俺の目の前にいるのは、谷のような下積みから成り上がってきた叩き上げの社長だ。


 将来に不安を感じているのかもしれない。

「名出さんの将来が不安なのですね。分かりました。しっかりと目を光らせておきます!」


「お……おう」

 社長は「ウチの娘って、そんなに移り気だったのか?」と首を捻っていた。




 何度思い返しても、2030年におきた俺の裁判は酷かった。

 公判がはじまると、俺に不利な証拠と証人がぞろぞろ出てきた。


 まるで初めから仕組まれていたかのような手際の良さだった。

 マスコミは騒ぎ、だれも俺の言うことなんか、聞いてくれなかった。


 ボロボロと出てくる証拠に、俺は有罪を覚悟したほどだった。

 だが、そうはならなかった。


 リミスが提出した証拠。

 どうやら俺が欧州から北米に出向しゅっこうとなったとき、リミスはかなり焦ったらしい。


 俺が北米で何をするのか。

 リミスは探偵を雇い、俺の立ち回り先を事細かに調べあげていた。


 しかも半年に亘ってである。

 俺の弱点を探っていたのだ。恐ろしいほどの執念だと思う。


 合衆国では浮気調査より、債権さいけんを回収するために、債務者さいむしゃの居場所を探すことが多いらしい。

 探偵の調査能力は、日本と比べものにならない。


 ちなみに欧州やアメリカの弁護士は、この時代、日本と違って営業をかけることができるので、救急車を追っかけるのが流行っていた。


 アパートの住人が転んで怪我をすれば、管理会社かアパートのオーナーを訴えられるし、公園で滑って転べば、市や国を訴えられる。

 怪我人の先には金が転がっているというのが、彼らの合い言葉だった。


 それはいいとして、リミスが雇った探偵は、俺がいつどこで、だれと会っていたのか、しっかりと調べ上げていた。

 そのため、俺がいないはずの都市で交わされた契約書が問題となってくる。


 裁判で、会社が提出した証拠と照らし合わせていくうちに、矛盾点が浮き彫りになっていく。


 まさかリミスも、ライバルの動向を調べていたら、それが無実の罪を晴らす材料となるとは思わなかっただろう。

 俺もまさかと思った。


 結果、証拠を付き合わせてみた結果、俺の無実が確定してしまったわけだ。

 荘和コーポレーション側があまりに多くの証拠を揃えすぎたことで、自らの首を絞めたといえる。


 策士策に溺れるというやつだ。

 それを行ったのがリミスの名出琴衣社長なのだが……。


「にゃにゃにゃの、にゃ」

 週明けの月曜日、名出さんが上機嫌で教室に入ってきた。


 軽くスキップしている。

 よほど嬉しいことがあったのだろう。


 俺と目が合うと、名出さんは顔を真っ赤にして、そっぽを向いてしまう。

「なにぃ!? その態度、ちょっとアヤシイんですけどぉ」


 神宮司じんぐうじさんが、めざとく見つけ、名出さんに詰め寄っている。

「ねえ、琴衣さん。何かあったわよね。詳しく聞かせて!」


「な、な、何もないわよ!」

 そう答えた名出さんは、チラチラと俺の方を見る。


 もちろん、神宮司さんがそれを見逃すはずがない。

「絶対に何かあったわね!」


「にゃ、にゃにも……」

「うそおっしゃい! 騙されないわよ!」


「――にゃぁああああああ!」


 神宮司さんがおいかけ、名出さんが逃げる。

 一年一組は今日も平和だ。


 授業が始まる前に二人とも戻ってきたが、四月だというのに、湯気が出るほど汗を掻いていた。

 まったく二人して、何やっているのだか。


 社長が不安に思うのも、分からないでもないな。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?