話は終わったのだが、社長が「いいこと聞いたけど、とても覚えきれない」と言いだした。
この場限りの話にしてもらったら困る。
社長にはがんばってもらって、ぜひとも荘和コーポレーションの躍進を阻んでもらいたいのだ。
「学がないのはツライなぁ、谷よ」
「はいっす!」
なんかいい話になっているが、それだとわざわざここに来た意味がなくなってしまう。
しかたないので後日、内容をレポートにまとめて、俺が社長に渡すことになった。
そうしたら、「また来てくれるのか」と、社長はとても喜んでいた。
「娘と結婚して、会社を継いでくれるんだろ?」と聞いてきたので、営業で
たしかに名出家は、娘が一人きり。
だれかが家業を継がねばならない。
そして女性が土建業を継ぐというのは現実的ではない。
やればできるだろうが、相当な苦労があるはずだ。
2030年当時、なぜ彼女がああも年齢以上に老けて見えたのか。
きっと仕事で苦労し、社員の掌握でも苦労したのだろう。
従業員の意識改革ができなければ、現場は谷のような若者ばかりになる。
そんなときに社長が亡くなったとしよう。
血縁だからという理由で、新社長に女性が就任。
果たして、そんな状態で彼らに舐められないでやっていけるだろうか。
社長職が板に付くには、五年や十年はゆうにかかるのだと思う。
そしていま、俺の目の前にいるのは、谷のような下積みから成り上がってきた叩き上げの社長だ。
将来に不安を感じているのかもしれない。
「名出さんの将来が不安なのですね。分かりました。しっかりと目を光らせておきます!」
「お……おう」
社長は「ウチの娘って、そんなに移り気だったのか?」と首を捻っていた。
何度思い返しても、2030年におきた俺の裁判は酷かった。
公判がはじまると、俺に不利な証拠と証人がぞろぞろ出てきた。
まるで初めから仕組まれていたかのような手際の良さだった。
マスコミは騒ぎ、だれも俺の言うことなんか、聞いてくれなかった。
ボロボロと出てくる証拠に、俺は有罪を覚悟したほどだった。
だが、そうはならなかった。
リミスが提出した証拠。
どうやら俺が欧州から北米に
俺が北米で何をするのか。
リミスは探偵を雇い、俺の立ち回り先を事細かに調べあげていた。
しかも半年に亘ってである。
俺の弱点を探っていたのだ。恐ろしいほどの執念だと思う。
合衆国では浮気調査より、
探偵の調査能力は、日本と比べものにならない。
ちなみに欧州やアメリカの弁護士は、この時代、日本と違って営業をかけることができるので、救急車を追っかけるのが流行っていた。
アパートの住人が転んで怪我をすれば、管理会社かアパートのオーナーを訴えられるし、公園で滑って転べば、市や国を訴えられる。
怪我人の先には金が転がっているというのが、彼らの合い言葉だった。
それはいいとして、リミスが雇った探偵は、俺がいつどこで、だれと会っていたのか、しっかりと調べ上げていた。
そのため、俺がいないはずの都市で交わされた契約書が問題となってくる。
裁判で、会社が提出した証拠と照らし合わせていくうちに、矛盾点が浮き彫りになっていく。
まさかリミスも、ライバルの動向を調べていたら、それが無実の罪を晴らす材料となるとは思わなかっただろう。
俺もまさかと思った。
結果、証拠を付き合わせてみた結果、俺の無実が確定してしまったわけだ。
荘和コーポレーション側があまりに多くの証拠を揃えすぎたことで、自らの首を絞めたといえる。
策士策に溺れるというやつだ。
それを行ったのがリミスの名出琴衣社長なのだが……。
「にゃにゃにゃの、にゃ」
週明けの月曜日、名出さんが上機嫌で教室に入ってきた。
軽くスキップしている。
よほど嬉しいことがあったのだろう。
俺と目が合うと、名出さんは顔を真っ赤にして、そっぽを向いてしまう。
「なにぃ!? その態度、ちょっとアヤシイんですけどぉ」
「ねえ、琴衣さん。何かあったわよね。詳しく聞かせて!」
「な、な、何もないわよ!」
そう答えた名出さんは、チラチラと俺の方を見る。
もちろん、神宮司さんがそれを見逃すはずがない。
「絶対に何かあったわね!」
「にゃ、にゃにも……」
「うそおっしゃい! 騙されないわよ!」
「――にゃぁああああああ!」
神宮司さんがおいかけ、名出さんが逃げる。
一年一組は今日も平和だ。
授業が始まる前に二人とも戻ってきたが、四月だというのに、湯気が出るほど汗を掻いていた。
まったく二人して、何やっているのだか。
社長が不安に思うのも、分からないでもないな。