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028 事件の決着

 名出さんと別れて、俺は繁華街を少し外れた先にあるカラオケボックス『らくカラ』に向かった。

 見張っている間は、とくにやることがない。


 ポケットに折りたたんだまま入れていた模試のパンフレットを取り出して眺めた。

 犯行時間はだいたい分かるが、それを過信するのも問題だ。


「とりあえず、監視を続けるか」

 ギターをかついた男子高校生の集団がカラオケボックスに入っていった。


 酔ったサラリーマンが、OLと並んで入っていく。

 どう考えても酒を飲むような時間帯ではないが、バブルの名残があるこの時代では、普通のことなのかもしれない。


「ねえねえ、四人組の集団が入っていったんだけど」

 監視をはじめて一時間経った頃、名出さんがやってきた。


「どんな感じの人たちだった?」

「見た感じ、大学生かな? 女だけで四人。仲よさそうだった」


「そうか。こっちは場所柄か、大人の客が多いな。あとは男子高校生の集団が入ったくらいだ」

「ふうん。……で、どうするの?」


「場所を変わってくれないか。俺がそっちを見てみる」

「いいよ。もし女子高生か女子大生が入ってきたら、知らせればいいんだよね」


「そうだ。頼む」

「いいよ別に」


 この場所を名出さんに任せて、俺はボーリング場内のカラオケボックスへ向かった。

 実はいま、薄手のジャンパーの下に防刃ぼうじんシャツを着ている。


『夢』の中で、俺は何度も紛争地帯へ出かけた。

 当時、防刃ベストやシャツは何着か持っていたし、その時の知識もある。


 対人訓練すら受けてきたのだ。

 慣れていると言えるほどではないが、懐かしいという思いはある。


 ケブラー繊維でもある程度刃物を防げるが、万が一がある。

 思い切って刺突しとつにも強い鋼線こうせんで編んだものを買っておいた。


 ただし重い。それと耐久性にやや難がある。

 というのも、何度も鋼線を折り曲げると劣化するので、あまり洗濯はできないのだ。




 カラオケボックスで待つこと四十分少々。

 名出さんが教えてくれた集団だろう。彼女たちが動いた。


「……意外に早く出るんだな」

 新譜しんぷの確認だったのだろうか。


 四人は揃って駅前の書店に入り、三十分ほどして出てきた。

 そこで解散らしく、二人は駅に向かったので、残りの二人を追う。


 名出さんと合流できなくなったが、携帯電話が普及していないため連絡の取りようがない。

「帰り道が一緒みたいだが……」


 女性の二人組は、分かれ道で立ち話をしたあと、互いに手を振って別れた。

「どっちを追えばいい? ……そういえば」


 不意に、名出さんの言葉を思い出した。

「――この先はねえ、人通りが少なくてかなり暗い道が多いんだよ。だから去年、道のあちこちに防犯カメラを設置したんだって」


 たしかそう言っていた。

 一人が向かっているのは、その方角。


 犯行現場に防犯カメラはなかったはずだ。

 犯人逮捕に繋がる有力な証拠――映像記録を俺は見た記憶がない。


「ならば、追うのはこっちだ!」

 名出さんから話を聞いていなければ、もうひとりの方を追っていただろう。


 正直、名出さんに感謝だ。

 俺は女性を見失わないように歩く。


 女性は、春らしい薄いピンクのカーディガンに、膝下までのスカート。

 距離をおいて歩いても見失う可能性は低い。


 しばらくして細道に折れていった。

 路地の先にある手作りの階段を上っていく。これは近所の住人が、勝手につくったのだろう。


 しばらくあとをつけていくと、小屋の奥から人が出てきた。

 中折れ帽を深くかぶり、表情は見えない。だが、あの黒コートこそ、俺が探していた相手だ。


 女性は避けようと、少しだけ左にずれた。

「――危ない! 逃げて!」


 俺は叫んだ。防犯ブザーは名出さんに渡したままなので、声を張り上げるしかない。

「えっ!?」


 女性は一瞬だけこちらを見て、すれ違う相手に視線を戻した。

 振り上げられた包丁に、彼女はすぐ気付いた。


「きゃぁあああああああああ」

 絹を裂く悲鳴とは、このことだろう。


 最初の一撃は、彼女の肩口に振り下ろされた。

「こっちに来て!」


 走り出しながら、俺は声を張り上げる。

 彼女はすぐ走りだしたが、相手は包丁を握ったまま追いかけてきた。


 大声をあげれば逃げると思ったが、これは想定外。

 俺は防刃シャツを着ているし、腕カバーも防刃仕様だ。顔や首さえガードすれば、致命傷は避けられる。


 刃物相手に素手で立ち向かう場合、方法はひとつしかない。

 足で距離を取りながらダメージを蓄積ちくせきさせるのだ。


 刃物相手に拳の間合いで闘うなと、指導教官が口を酸っぱくするほど言っていた。

 俺は走ってくる黒コートの男に向かって、前蹴りを放った。


 これで悲鳴を聞いた人が到着するまで、時間を稼ぐ!

「きゅう~」


 最初の前蹴りがみぞおちに深く入り、黒コートの男はそのままくずおれた。

「…………あれ?」


 気絶したのか、ピクリとも動かない。

 一応、この数手先まで応手を考えていたのだが。


「ありがとうございます。強いんですね!」

 彼女が俺の背中にまわり、弾んだ声をかけてくる。この人、襲われ慣れてない?


 俺は恐る恐る近づいて、足先で黒コートの男をひっくり返した。

「……あっ」


 現れた顔を見て理解した。黒コートの男は……女性だった。

 悲鳴を聞いた人たちが走り寄ってきた。彼らに事情を説明して、救急車と警察を呼んでもらう。


 駅が近いからか、五分でパトカーが到着した。

 逆に救急車はまだ来ない。


 黒コートのが、包丁を握ったまま気絶しているし、肩から血を流している女性が俺にしがみついている。

 警官は何があったのかすぐに事情を察したようだ。


 そして真っ先に連絡先を聞かれたのがである。

 だから警察は嫌いなのだ。


 すぐに解放してくれなさそうなので、名前と住所、電話番号を告げ、友人との待ち合わせに向かう途中だと伝えた。

 ここで忘れてはいけない話がある。


「これって通り魔だと思うんですけど、新聞で読んだ通り魔事件となにか関係があるんじゃないですか?」



「……通り魔ぁ? そんなのあったかな」

 まだ広域捜査になっていないため、警官は知らないようだ。


「今年の二月の新聞記事ですね。場所は忘れましたが、女子高生が通り魔に殺されているんです。目撃証言から、黒のロングコートの男が上がっているんですけど、ご存じないですか?」


 もちろん場所も被害者の名前も覚えているが、ここで告げるつもりはない。

「そんな事件あったかな……」


「俺が覚えているのも、被害者の年齢が近いことと、その前年の十一月にやはり女子高生が殺されているからですね。たまたま新聞記事で目にしたので、思い出したんですけど」


「女子高生、黒コート……確認とるか」

 警官はパトカーの無線になにやら話しかけた。


 その間に救急車が到着し、彼女は手当を受けたのち、乗せられていく。

「ねえ、お礼がしたいの。名前を教えて」


「いえ、結構です」

「なにそれ!?」


「命が助かって良かったですね」

「ありがとう。キミのおかげなんだよ! だから名前をきかっ(バタン)」


 無情にも救急車の後部扉が閉められ、サイレンを鳴らして発車してしまった。

「というわけで、俺も失礼します」


「あ、ああ。それで二月の通り魔事件なんだけど、たしかに黒コートの男が逃走しているらしい。関連性がありそうなので応援がくるそうだ。だから詳しい話を……」


「それはよかったですね。でも新聞に出ていたくらいですから、結構知っている人も多いでしょう。俺が気付かなくても、だれかが気付いたと思いますよ」


 それだけ告げて、俺はその場を去った。

 さすがに拘束されることはなかった。


 名出さんと合流しようとカラオケボックスに行くと、ほほを限界まで膨らませた彼女が、腕を組んで仁王立ちしていた。

 黒いTシャツにハチマキしていたら、ラーメン屋の店員と間違えられるところだろう。


「大賀くん。サイレンは聞こえるし、どこにもいないから、心配したんだからね!」

 シャーッと威嚇してきたので、めちゃくちゃ謝った。

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