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030 吉兆院がうるさい

「なあ、今度はうちに来てくれよ。いいだろ。おれのじいちゃんと会ってほしいんだ」

 先ほどから吉兆院きっちょういんがうるさい。


「おまえな……」

「名出さんの親父さんと会ったんだろ。なら次は、おれの番じゃん」


「…………」

 とにかく吉兆院がうるさい。


 先日、リミスの事務所を訪問して名出さんのお父さんと話をした。

 そのことを知った吉兆院が、今度は自分の番だと譲らないのだ。順番って、俺は家庭訪問の教師か?


 吉兆院建設は大きい。

 この当時ですら、日本全国でさまざまな公共事業を行っている。


 道路などのインフラ整備、企業の本社ビル建設、地方で工場の設置、山を切り崩してのリゾート開発やニュータウン事業など、手がけている案件は多く、その種類も多岐にわたる。


 リミスとは比べものにならない規模だ。


 荘和そうわコーポレーション時代、俺はよく吉兆院建設と入札で争った。

 その時点でさえ、荘和コーポレーションよりも大きな会社だった。


 つまり、いまの時点で不安要素はない。

 もちろん問題も抱えているが、それは経済の動きとは関係ない。


 このあと吉兆院峰男みねお氏が社長の座を息子に譲る。

 だが、社長となった一鶴いっかく氏が亡くなり、跡目を巡って企業内部でゴタゴタが発生する。


 内部抗争を収めるため、先代が社長に復帰するのだが、その過程で吉兆院建設が抱える問題が表面化するようになる。

 優馬ゆうまが社長となる頃には、無視できない多くの問題が「負の遺産」として残っていることだろう。


 優馬は社長就任直後から試練の道を歩むはずだ。

 それは分かる……分かるのだが、なぜ俺が優馬の祖父と会わなければならないのか。


 もし会うとしても10年後でも間に合うと思う。

「頼むよ」


 たしかに『夢』の中で俺は、吉兆院建設に助けられた。

 会社に裏切られ、周りがどんどんと離れていく中で、リミスとともに助けてくれたのだ。


 ハッキリ言って俺は、吉兆院建設に多大な恩がある。

 恨まれても仕方ないのに、助けてくれたのだから、その恩の重さは計り知れない。


「……分かった。会うよ」

「やったぁ!」


「ただし、おまえの爺さんが『うん』と言えばだからな。無理に会う必要はない」

「分かった。じいちゃんにそう言っとく」


 なぜか吉兆院は、とても上機嫌だった。




 何事もなく、数日が過ぎた。

 五月も中旬となり、暖かい日が続く。


 先日の通り魔事件だが、逮捕されてもニュースにならなかった。

 少なくとも、俺がチェックしている新聞には影も形もない。


(連続事件の犯人じゃなかったのか……?)


 もしそうならば、警察官相手に思わせぶりに伝えた俺が馬鹿みたいだ。

 そんなことを思っていたら……。


『――次のニュースです。先日、女子大生を包丁で傷つけ、逮捕された工藤くどう輝美てるみ容疑者ですが、彼女が所持していた包丁と当日着用していた黒のロングコートから、複数人の血痕が検出されました。その後、警察が容疑者を厳しく追及した結果、二件の殺人を含む、複数の犯行をほのめかす供述をしていることが分かりました。工藤容疑者は、包丁で女性ばかりを狙い……』


 あの事件が、朝のテレビで大きく扱われた。

 どうやら杞憂だったらしく、『夢』の中でおきた未解決連続通り魔事件は、これで解決しそうな雰囲気だ。


「おにいちゃん、怖いね」

「……ああ」


 妹が食パンにピーナッツバターをたっぷり塗りながら「怖い、怖い」と連呼している。

 鼻唄をうたいながら手も止まっていないので、あまり説得力はない。


「春は変質者が多いからな、冬美ふゆみも気をつけた方がいいぞ」

「通り魔だよ? どう気をつければいいのよ」


「暗い道を一人で歩かない。声をかけられてもついてかない。何かあったらすぐに大声を出して逃げる。それから……」

「分かったから。それにわたしは、これがあるから大丈夫!」


 妹が取り出したのは、防犯ブザーの『まもるくん』だ。

 中学校で、全校生徒に配られるやつだ。ちなみに俺も貰った。


「おまえそれ、ヒモ抜いてみな」

「えっ? どうして? うるさく鳴るよ」


「責任は俺が取る。練習だと思って、やってごらん」

「どうなっても知らないからね……えいっ!」


 ――ぴぃろろろ


 電話の着信程度の音量がスピーカーから流れた。

「……あれれ?」


「それは、入学時に学校から配布されたやつだろ? 安物でな、一年ほどで電池切れをおこすんだ。新しい電池に取り替えた方がいいぞ」

「え~、知らなかったよ」


「俺たちの代だと、結構イタズラで鳴らす奴が多くて、みんな知ってるんだけどな」


 学校へ納入する業者をどうやって選定するのか。

 それは入札で、一番値段の安いところが選ばれる。


 学校側はたとえ品質に問題があると思っていても、それを理由に業者を外せない。

 それができてしまうと、理由さえつくれば、恣意しい的に業者が排除できるからだ。


 いま冬美が持っている防犯ブザーは、最も安く価格を提示した業者の製品であり、おそらくだが、五年分の納入とかそういった契約だったのだろう。


 俺がもらった『まもるくん』と、色も形もまったく一緒だ。

 冬美が貰ったのは一年前だが、製造はもっと古いのかもしれない。


 何にせよそれは、防犯の役目を果たさない防犯ブザーとなり成り果てていた。

「電池入れ替えてくる。それとみんなに教えなきゃっ!」


「それがいいぞ」

 役所や学校の入札は、応募の時点でねられるケースもあるが、どうしても一定以下のクオリティの業者が交じってしまう。


 その場で品質が確認できるものはいいが、備蓄品などそうはいかない。

 値段だけで納入業者を選ぶのは本当に危険なのだ。


 しばらくして妹がやってきて「これに合う電池がなかったから、新しいのほしい」と、一緒に防犯ブザーを買いに行くことになった。


 妹と一緒の買い物。『夢』の中の時間を入れたら、何十年ぶりのことだろうか。

 護身用に、「それとは見えない隠し武器でも持っておくか?」と提案したら、「わたしは何と戦うのよ」とジト目で見られた。


 隠し武器で攻撃し、怯んだ隙に防犯ブザーを鳴らしながら逃走すれば、普通は追ってこないと思うのだが。

 それが嫌なら、俺が受けた特殊訓練でも伝授してやろうか。


 夏休みを全部使えば、素人男性を怯ませる攻撃くらい、マスターできるはずだ。

「おにいちゃん、買い物いくよ。ホラ立って!」


「分かったよ。それで中東で役に立つ技があるんだが……」

 俺は妹にせかされながら、立ち上がった。


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