目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

032 趣味を持とう

 ある日ふと、考えてしまった。

 俺は、このままでいいのだろうか。


『夢』の中では、五十五歳まで生きた。

『夢』とは言っているが、その経験はいまも記憶として、頭の中に残っている。


 自分のことだけ考えていた人生だった。

 自分のために全力を出していた。


 そのせいだろう。

 仕事以外で成したことは少ない。


 心に余裕がなかったと思う。

 学生時代は勉強、卒業してからは仕事以外の思い出が皆無かいむだ。


 前の人生と同じ道は歩みたくない。ならば、何をすればよいか。

「……趣味を持つか」


『夢』の中で俺は、趣味人を馬鹿にしていた。

 現実から目を背けた理由を趣味に求めているだけだと考えていた。


 たまに人から趣味を聞かれることがあったが、そのときは「読書と旅行です」と答えていた。

 本くらい誰でも読むし、仕事で日本各地どころか、世界のいくつかの国を巡っていた。


 読書と旅行と伝えておけば、相手はそれ以上突っ込んで聞いてくることはなかったので、問題ないと考えていた。

 だからこそ……仕事にまったく関連しないことで、自主的に何かをやったことはない。


 営業職だから、勤務時間以外で人と会うことはあったが、それは仕事の延長線上であり、個人的な趣味や交友ではなかった。


 飲み会にも参加したが、彼らから話題を引き出すことに留め、自分から何か話すこともなかった。

 話せる内容がなかったのだ。


「やはり趣味だな」


 心に余裕を持たせ、利害関係を介在させないで人と交流を図る意味でも、趣味をひとつくらい持っておいた方がいい。

 といっても、どんな趣味を持つのか。それが問題だ。


「テレビ、アニメ、ゲーム、音楽……どれも興味ないな」

 仕事に必要ならば、好悪を無視してでも覚えるが、仕事に関係ないと思うと、とことん興味がなくなる。


 困ったことに、これらのジャンルに欠片も興味が湧かないのだ。

「メジャーな趣味ではなく、マイナーなものでも趣味と言えるのではないか?」


 キャンプやBBQなど、人と繋がることを目的とした趣味もある。

 絵を描いたり、写真を撮ったりと、個人で楽しむ趣味だってある。


 趣味なのだから、自分が熱中できるかどうか、楽しめるかどうかが重要だろう。

「ふむ。日常の延長でも……趣味にできるな」


 歩くことを趣味にしている人がいる。ウォーキングと言っていた。

 ジョギング、サイクリング、ドライブなど、『移動』という日常的な事象を趣味にしている人も多い。


 家から決まったコースを歩いたり走ったりして家に戻る。

 それのどこが楽しいのか分からないが、趣味として認知されていたはずだ。


 それを踏まえて俺の趣味を考えてみよう。

 まず、『夢』でやっていた仕事は趣味ではない。仕事に関連したことも同様だ。


 勉強はどうだ?

 仕事に使えるスキルを得たり、資格を取ったりすることは趣味だろうか。


 いや、仕事から離れよう。

 やはり自分が熱中できることを探さねばならない。個人でやってもいいし、仲間を集めてもいい。


「……だいたい理解してきたぞ」

 俺の場合、特殊な技能が必要ないものがいい。


 運動神経は並だし、芸術的センスも並。

 創造性は……おそらくない。


 高額な初期投資が必要なものは、高校生という年齢を考えれば不向きだ。

 将来に必要とかそういうことを考えずに、楽しめて熱中できるもの。


 できれば、周囲の共感が得られるものがいい。

「そんな都合のいい趣味なんてあるのか?」


 あるとしたなら、とっくに世間でブームになっている気がする。

 では少し発想を変えよう。俺はいま、学校の図書室で三紙の新聞を読んでいる。


 それはただ、昔からの習慣だが、他の人たちはそうではなかった。

 インターネットが広まると情報が氾濫し、人は興味のあるものしか見なくなっていた。


 ニュースのタイトルだけを目で追って、たまに興味のある記事だけ流し読みする。

 そんな生活をしている人が多かった。


 これは危険な行為だ。一ヶ月で一万件のニュースを閲覧したとしよう。

 自分で情報を取捨選択しているため、似たような情報、似たような記事が何百件も重なってしまうことになる。


 あの時代は、情報が溢れすぎていた。

 興味のあるなし問わず、自らの意志で幅広く情報を集めようとしない限り、情報の波に流されてしまうのだ。


「……ならば、その逆はどうだろうか」

 俺の強みは『夢』の中で得た知識と経験だ。


 だれにも負けないとは言わないが、常人以上の努力をしてきた。

 なんとかそれを形にできないだろうか。


『夢』の中の経験をうまく形にできたら……。

「そうだ、それなんだ!」


 天啓のように閃いた。資料を作成したり、まとめたりするのは得意だ。

 好きでもある。そして、俺だけにしかできないことがあった。


『夢』の中で俺は、満遍なく知識を得るようにしていた。

 それをいまの時代に吐き出してみたい。アウトプットするのだ。


 この時代ならば、紙だろう。紙に書き留めるだけでもいい。

 どうせすぐ発表するわけではないし、推敲すいこうする時間だっていっぱいある。


 パソコンにでも入れておけば……いや、いまの時代のパソコンは高い。

 とても高校生が買えるような値段では……。


「……ん? そういえば」

 新聞の小さな囲み記事だったが、新製品の情報が載っていた。


 来月、ラップトップ型の『書斎しょさい』というワープロが発売されるとか。

 それを買うのはどうだろうか。インクリボンは消耗品だし、高価だ。


 保存に難があるが、感熱紙に印刷という選択肢もある。

 3.5インチのフロッピーディスクにはテキストファイルのまま保存できるから、当面はそれでいいかもしれない。


「よし、いまは構想を練るだけにして、ラップトップ型のワープロが来月発売されたら、それに書き出していこう」


 これは趣味なのだ。

 根を詰めて先を急ぎ、途中で嫌になっては元も子もない。


 俺が書いたものが日の目を見るとしても、まだ何年も先の話になる。

 趣味として知識を世に出し、日本経済をほんの少しだけよいものにする。


 そんな風に考えたら、なんだか目の前が明るくなった気がした。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?