ある日ふと、考えてしまった。
俺は、このままでいいのだろうか。
『夢』の中では、五十五歳まで生きた。
『夢』とは言っているが、その経験はいまも記憶として、頭の中に残っている。
自分のことだけ考えていた人生だった。
自分のために全力を出していた。
そのせいだろう。
仕事以外で成したことは少ない。
心に余裕がなかったと思う。
学生時代は勉強、卒業してからは仕事以外の思い出が
前の人生と同じ道は歩みたくない。ならば、何をすればよいか。
「……趣味を持つか」
『夢』の中で俺は、趣味人を馬鹿にしていた。
現実から目を背けた理由を趣味に求めているだけだと考えていた。
たまに人から趣味を聞かれることがあったが、そのときは「読書と旅行です」と答えていた。
本くらい誰でも読むし、仕事で日本各地どころか、世界のいくつかの国を巡っていた。
読書と旅行と伝えておけば、相手はそれ以上突っ込んで聞いてくることはなかったので、問題ないと考えていた。
だからこそ……仕事にまったく関連しないことで、自主的に何かをやったことはない。
営業職だから、勤務時間以外で人と会うことはあったが、それは仕事の延長線上であり、個人的な趣味や交友ではなかった。
飲み会にも参加したが、彼らから話題を引き出すことに留め、自分から何か話すこともなかった。
話せる内容がなかったのだ。
「やはり趣味だな」
心に余裕を持たせ、利害関係を介在させないで人と交流を図る意味でも、趣味をひとつくらい持っておいた方がいい。
といっても、どんな趣味を持つのか。それが問題だ。
「テレビ、アニメ、ゲーム、音楽……どれも興味ないな」
仕事に必要ならば、好悪を無視してでも覚えるが、仕事に関係ないと思うと、とことん興味がなくなる。
困ったことに、これらのジャンルに欠片も興味が湧かないのだ。
「メジャーな趣味ではなく、マイナーなものでも趣味と言えるのではないか?」
キャンプやBBQなど、人と繋がることを目的とした趣味もある。
絵を描いたり、写真を撮ったりと、個人で楽しむ趣味だってある。
趣味なのだから、自分が熱中できるかどうか、楽しめるかどうかが重要だろう。
「ふむ。日常の延長でも……趣味にできるな」
歩くことを趣味にしている人がいる。ウォーキングと言っていた。
ジョギング、サイクリング、ドライブなど、『移動』という日常的な事象を趣味にしている人も多い。
家から決まったコースを歩いたり走ったりして家に戻る。
それのどこが楽しいのか分からないが、趣味として認知されていたはずだ。
それを踏まえて俺の趣味を考えてみよう。
まず、『夢』でやっていた仕事は趣味ではない。仕事に関連したことも同様だ。
勉強はどうだ?
仕事に使えるスキルを得たり、資格を取ったりすることは趣味だろうか。
いや、仕事から離れよう。
やはり自分が熱中できることを探さねばならない。個人でやってもいいし、仲間を集めてもいい。
「……だいたい理解してきたぞ」
俺の場合、特殊な技能が必要ないものがいい。
運動神経は並だし、芸術的センスも並。
創造性は……おそらくない。
高額な初期投資が必要なものは、高校生という年齢を考えれば不向きだ。
将来に必要とかそういうことを考えずに、楽しめて熱中できるもの。
できれば、周囲の共感が得られるものがいい。
「そんな都合のいい趣味なんてあるのか?」
あるとしたなら、とっくに世間でブームになっている気がする。
では少し発想を変えよう。俺はいま、学校の図書室で三紙の新聞を読んでいる。
それはただ、昔からの習慣だが、他の人たちはそうではなかった。
インターネットが広まると情報が氾濫し、人は興味のあるものしか見なくなっていた。
ニュースのタイトルだけを目で追って、たまに興味のある記事だけ流し読みする。
そんな生活をしている人が多かった。
これは危険な行為だ。一ヶ月で一万件のニュースを閲覧したとしよう。
自分で情報を取捨選択しているため、似たような情報、似たような記事が何百件も重なってしまうことになる。
あの時代は、情報が溢れすぎていた。
興味のあるなし問わず、自らの意志で幅広く情報を集めようとしない限り、情報の波に流されてしまうのだ。
「……ならば、その逆はどうだろうか」
俺の強みは『夢』の中で得た知識と経験だ。
だれにも負けないとは言わないが、常人以上の努力をしてきた。
なんとかそれを形にできないだろうか。
『夢』の中の経験をうまく形にできたら……。
「そうだ、それなんだ!」
天啓のように閃いた。資料を作成したり、まとめたりするのは得意だ。
好きでもある。そして、俺だけにしかできないことがあった。
『夢』の中で俺は、満遍なく知識を得るようにしていた。
それをいまの時代に吐き出してみたい。アウトプットするのだ。
この時代ならば、紙だろう。紙に書き留めるだけでもいい。
どうせすぐ発表するわけではないし、
パソコンにでも入れておけば……いや、いまの時代のパソコンは高い。
とても高校生が買えるような値段では……。
「……ん? そういえば」
新聞の小さな囲み記事だったが、新製品の情報が載っていた。
来月、ラップトップ型の『
それを買うのはどうだろうか。インクリボンは消耗品だし、高価だ。
保存に難があるが、感熱紙に印刷という選択肢もある。
3.5インチのフロッピーディスクにはテキストファイルのまま保存できるから、当面はそれでいいかもしれない。
「よし、いまは構想を練るだけにして、ラップトップ型のワープロが来月発売されたら、それに書き出していこう」
これは趣味なのだ。
根を詰めて先を急ぎ、途中で嫌になっては元も子もない。
俺が書いたものが日の目を見るとしても、まだ何年も先の話になる。
趣味として知識を世に出し、日本経済をほんの少しだけよいものにする。
そんな風に考えたら、なんだか目の前が明るくなった気がした。