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036 事情聴取

 菱前老人との対話は、予想以上にうまくいった。

 あれだけ詳しく話せば、巨額銀行詐欺事件に巻き込まれることはないだろう。


 もし『夢』の中で、自分が高校生から助言をしたいと言われたら、どう対応しただろうか。

 くだらないと一蹴して、会わなかった気がする。


 そう考えると、菱前老人は、人間ができていると思う。

 ああいう老人が高度成長期の日本を牽引してきたのだと思うと、まだまだ捨てたものじゃないと思える。


 翌月曜日、俺はいつも通り登校した。

 今日からはまた、ゆったりとした日々を過ごす。雌伏しふくするのだ。


 そう思ったら、俺の帰宅を見計らったかのように警察から電話がかかってきた。

 通り魔事件について、当時の状況を聞きたいので警察署に来てほしいというのだ。


「この電話でいいのでは?」とごねてみたが、どうしても会って話を聞きたいらしい。

 まったくもって面倒くさい。かといって、無視もできない。仕方ないので、警察署に向かった。


 警察署で俺を待っていたのは、男性と女性のコンビ。

 女性は穏やかな微笑を浮かべ、気味が悪いほどだった。その後ろに男性が立っている。部下だろうか。


 二人とも私服なのが気にかかった。

「大賀愁一です。話を聞きたいということですが、刑事さんですか?」


「いいえ、私たちは少年課よ。別に取り調べじゃないから、楽にしてちょうだい」

「少年課……だから制服ではないのですね。分かりました。何でも聞いてください」


 非行や家出する少年少女を探しに繁華街をうろついたりする人たちだ。

 警察官の制服を着ているだけで身構える人はいるから、配慮した感じか。


「これまで他の二件の通り魔事件について、取り調べをしていたの。ニュースで聞いたことあるでしょ」

「報道された犯人の供述では、前二件の犯行を『ほのめかした』とか」


「ええ、いまはそれの裏を取っているわ。殺人未遂と殺人では、罪が大きく異なるから慎重に捜査を進めているの」

 たしかに俺が関わった事件は未遂で終わっている。


「ああ、なるほど。話を聞きたいって……俺の方は未遂の事件ですものね」

 まっさきに殺人事件の方を捜査していたわけか。


 俺への聞き取りが遅かったのは、優先度は低かったからだろう。

「ありていに言えば、そうね。けど、ないがしろにしたわけじゃないのよ。殺人の証拠が消えてしまわないうちに確保しておきたかったの」


「分かります。……それで、俺に何を聞きたいのですか?」

「あのときの状況をはじめから話してほしいの」


 それを聞いて、俺は「またか」とうんざりした顔を浮かべた。

 俺が冤罪で捕まったときと同じだ。


 話を聞く相手が変わると、最初から話をすることになる。

 聞き手が納得するまでこれが繰り返される。


 もう話すことはなくなったと思うと担当者が変わり、「もう何度も話しました」と言っても、自分は聞いていないから最初からと言われる。


 取り調べのとき、俺はずっと、それを繰り返させられていた。

 嫌なことを思いだして、嫌悪感が顔に出てしまった。


 何かを察したのか、女性警察官は「お願い」と念を押してきた。

「ええ、協力します。ただ、同じ話を何度も繰り返すほど忍耐強くないので、ほどほどにしてくださいね」


「分かってるわ」

 女性は、安心させるように笑顔を見せた。


「そうですね……俺は最初、繁華街を歩いていました。駅に戻ろうとして、ショートカットできる道を探していたのです。そんなとき、前を歩いている女性を見ていたら、その先に黒いコートを着た不審な人物を見つけたのです。この暖かい気温に黒のコートっておかしくありません? それで目が離せなかった感じですね」


 事件がおこるのを待っていましたとも言えないので、適当なカバーストーリーを考えておいた。

 ちなみに、名出さんの名前は出さない。絶対に出さない。出すと引っ掻き回されそうな気がする。


「そうだったの。運が良かったわね。……あっ、良かったというのは被害女性にとってはね。大賀くんが勇敢だったから防げたんですものね。よくやったと思うわ。けど、危ないことには変わりないから、本来ならば逃げるべきね」


 女性警察官は、俺と同じ目線に立ちつつ、寄り添った感じでアドバイスをくれる。

 日頃からスレた少年少女を相手しているだけに、マイルドな話し方だ。


「たしかに危ないところでしたね。あとで思い返してゾッとしました。けど、そのときは『何とかしなきゃ』と思うだけで、他のことは考えられなかったんです」


「うんうん、とっさですものね。分かるわ」

 女性警察官は、大げさに何度も頷いてくれた。


 こうして俺は、事件に関わったときのあらましを話して聞かせた。

 一通り話が終わると、書記をしていた男性警察官に目配せして、問題ないと分かると「よし」と話を切り上げた。


「いまの話でだいたいの状況が分かったわ。協力ありがとうね」

「いえ……そういえば」


「何かしら?」

「ふと思ったんですが、今回の犯行の前にも、二件の通り魔殺人がありましたよね」


「ええ」

「もしかして、その前にもあるんじゃないですか? 初めからうまくできることもあるでしょうけど、そうでないことの方が多いと思います」


「……そうね、その可能性はあるわ」

「たとえば、襲おうと思って黒コートを見られて失敗したとか。だってあんな黒コートを見たら、俺だって警戒しますし」


 俺がそう言うと、女性警察官は真面目な顔で、考え込んでいる。

 実際、『夢』では第一の犯行とされるものは別にある。


 近づく前に逃げられたので事件にならなかった。それが最初の事件だとされていた。

 第一の事件が明らかにならなくても、犯人の刑には影響がないだろうが、それでも一応、耳に入れておきたかった。


「ちょっと、調べてみた方がいいかしら」

 そんなつぶやきが聞こえた。


 俺は頑張ってくださいと、二人をねぎらってから警察署をあとにした。


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