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037 お礼参り

 警察署での事情聴取が終わった翌日のこと。

 通り魔事件の続報が、テレビのニュースでやっていた。


 包丁とコートに付着していた血を鑑定した結果、二件の殺人事件の被害者のものと一致したという。

 供述から新しい証拠も出てきたらしい。


 事件の詳細は、今後の裁判で明らかになるだろうと、ニュースでは締めくくられていた。

 昨日、これらの証拠固めが終わったから、未遂事件の方にも目を向けたのだろう。


 テレビ局は、犯人の顔写真を手に入れていた。

 写真の中の女性は怒り肩で体格もよく、コートを着ていれば男性と見間違うのも頷けた。


『夢』の中で犯人は捕まっていなかった。それは警察が黒コートのを探していたからだろう。

 なんにせよこれで、通り魔連続殺人事件は俺の手を離れた。


 ――ぴんぽーん


「こんにちはっ!」

 玄関を出ると、通り魔事件のときに俺が助けた女性が立っていた。


「なぜ俺の家が?」

「警察の人にぜひお礼がしたいって言ったら、教えてくれたの」


 たしかにあのとき、警察官に名前と住所、それに電話番号まで教えたが……。

「………………個人情報保護法はどこへいった」


「なにそれ?」

「いや、なんでもない」


 個人情報保護法は、この時代にはまだ存在すらしていない。

 言っても分からないだろう。


「直接会って、ひと言お礼を言いたかったの。あっ、これつまらないものですが」

 紙袋を手渡してくるが、菓子折りにしてはやや重たい。


「お礼ということですので受け取っておきますが、こういうものは今後、ご無用に願います」

「なんてしっかりした受け答え……年下よね?」


「そうです。十五歳の高一です」

 当然、『夢』の経験はなかったことにしている。


「あっ、自己紹介するね。わたしは神子島かごしまはなといいます。十八歳、大学一年生です」

「おそらく知っていると思いますが、大賀愁一しゅういちです」


「愁一くんって呼んでいい?」

「いいですけど」


「じゃあ、シュウちゃんは?」

「それは駄目です」


「だったらシュワちゃん」

「絶対に駄目です」


「シュワちゃん、カッコイイのになぁ……大口でカップラーメン食べてくれそうだし」

「…………」


 昨年、筋肉モリモリのアメリカ映画スターが、両手にやかんをもって体操をするカップラーメンのCMが流れた。

 このCMで、アクション映画に興味のない若い女性にも認知されはじめたのだ。


 しばらくすると州知事になって政治家に転身するのだが、たしか今年公開の映画に主演して、合衆国で大ヒットを記録するはずだ。

 もちろんそれは、日本でもヒットする。


「それでね、それでね、パパとママが愁一くんにお礼を言いたいから、都合を聞いてほしいって言われたの」

「これ以上のお礼は結構ですと、お伝えください」


「パパはいま単身赴任中だから、来月に一度、帰ってくるって言っていたけど、いつ頃がいいかなぁ?」

「人の話を聞いていませんね。それでは社会に出てから苦労しますよ」


「お願い~~、パパとママはどうしても直接会って、お礼が言いたいって聞かないの!」

「先ほどから無用と申しているはずです」


「そう言わないで……ね? 私まだ未成年だから、親の言うことを聞かないといけないのよ」

「未成年って、十八歳は法律上の成人……ああ、そうでした」


「……ん?」

「いえ、何でもないです。単身赴任ならば、仕事を優先するように伝えてください」


 2022年から十八歳成人がスタートするが、この時代ではまだ成人は二十歳ハタチからだ。

 少年法の改正すら行われていない。


「ほんとはね、パパの会社の社長さんが、すぐにお礼にかけつけるべきだって言ったの。だけど、パパじゃないとどうしてもまとめられない仕事があったみたい。それが駄目になると会社は大きな損が出るから、あと半月くらいはどうしても動けないんだって」


「いいことです。一家を支える大黒柱は、そうでなければいけません」

「だから来月またお礼に来るから、そのとき会ってね」


「いえ、あなたの事情は分かりますが、この件はこれでお終いにしたいと考えています。俺の中ではもう、終わったことです」


「でもそうすると社長が来るかも。すごく義理堅い人で、社員は自分の家族同様だなんていつも言ってるくらいだし」

「昔の経営者には、そのような人が多かったみたいですね」


「うん、社長は戸山とやま政継まさつぐっていう人なんだけど、なんでもご先祖様が武士だったらしくて、忠義の果てに……」


「戸山……政継ですか?」

「そうだけど、知ってるの?」


「聞いたことがあります。戸山開発とやまかいはつの社長の名がたしか政継でした」

『夢』の中での話だが、戸山開発は荘和コーポレーションで買収するか悩んで、詳しく調べたことがあった。


 海外のリゾート開発事業を専門にしているため、国内の知名度はほとんどないが、アメリカやカナダ、オーストラリアでいくつも大規模リゾート開発を手がけていた。


 俺が買収を断念したのは、想像以上に借金を抱えていたためであり、当時、戸山開発が所有していた不動産の多くが不良債権化していた。


 戸山開発は十年に一度くらいの割合で大きな失敗をしており、2000年頃からはほとんど成長していなかったはずだ。

「知ってるの? 国内じゃ無名だってパパは言ってたけど」


「海外のリゾート開発事業ですからね。新聞、ラジオ、テレビにも広告を出していないと思います。規模が大きいわりに無名なのは、国内で受注するつもりがないからです」


「すごい……ほんとうに知ってるんだ」


「いまの時期だと……ああ、そういうことですか。カナダのバンクーバーだったかな、日本人街の近くにリゾートホテルを建設する予定でしたね」


 話しているうちに、記憶が蘇ってきた。


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