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043 吉兆院家、お宅訪問

 そんなこんなで、六月の中旬。

 吉兆院と約束した日がやってきた。


 待ち合わせした成城学園前駅に向かったら、吉兆院はすでに来て待っていた。

 楽しみで早めに家を出てしまったらしい。なにやってるんだか。


「ようやくおれの家に来る日だな」

「そうだけど、なんでそんなに嬉しそうなんだよ」


 友達を親と会わせるのは、そんなに重要なことだろうか。

 理解に苦しむ。


「じいちゃんも会いたがっているし、早く行こうぜ」

「ああ……っと、その前にこれを。家族で食べてくれ」


 手土産くらいあった方がいいかと思って、ブッセ……横浜銘菓の『ナボ○』を買っておいた。

 名出さんのときは手土産を買っていかなかったが、それはまあおいておこう。


「ありがとう。じいちゃん、甘いもの好きなんだ。喜ぶと思うよ」

『有明のハー○ー』とどちらにしようか迷ったが、俺の好みを優先した。


「これよりもっと上等なものをいくらでも戴いているだろう。それより行くぞ。家は近いのか?」

「そうだね。歩いて五分くらいかな」


 吉兆院と連れだって歩く。

 駅を離れるとすぐに高級住宅街に出た。


「さすがだな」

「ん? 何が?」


「この町並みを見て、そう感じないのなら、別段話すことじゃない」

「ふうん。……あっ、あの先がそうだよ」


 吉兆院が指し示したのは、庭付きの大きな一軒家だった。

 白い外壁と洋風な建物は、いかにも昭和時代の豪邸といった感じだ。


「ホラー映画の舞台になりそうだな」

「なんでだよ!」


「豪邸は、ホラー映画の定番舞台だろう?」

 殺人鬼がいても、家が狭かったらすぐに探索し終わってしまう。


 あと使用人がいないと、殺されるモブが足らない。

 惨劇がおこるなら、これくらい広い方が華があっていい。


 そう説明したが、吉兆院からは理解を得られなかった。

 2LDKのアパートで殺人鬼が徘徊していたら、三十分番組でも時間が余ると思うが。


 お手伝いさんがいて、応接室に通された。

 天井からシャンデリアがぶら下がり、部屋の隅にはグランドピアノが置かれていた。


 いかにも「金をかけています」という部屋だが、吉兆院家クラスになると、このくらい普通なのだろう。

 調度品は高価なものばかりにみえる。


「ほう、スタインウェイのピアノか。金持ちは違うな」

「なに? 知ってるの? というか、もしかして弾ける?」


「最近は弾いていないが、たしなみ程度だな」

『夢』の中では、芸術方面にある程度詳しくないといけない場面が多かった。


 営業のためにも、クラシック音楽と絵画の知識は必須。

 それ以上の教養を求められる場面もあった。


 色々考えた末、俺はピアノを習うことにした。

 高いレッスン料を支払って三年間ほど学び、そこから独学で最低限の技量は身につけておいた。


「まじで弾けるのか。何か弾いてみてよ」

「ちなみに吉兆院は?」


「おれはだめ。つか、家族だれも弾けないんじゃないかな」

「なんで家にあるんだよ!」


「来客があったとき用? よく分からないけど、ホームパーティとかでプロを呼んで弾いてもらっているの見たことある」

 パーティの生演奏用か。やはり金持ちは違うな。


「なら、久しぶりに弾かせてもらおう」

「おお、待ってました!」


 こんな時じゃなければ、世界最高級のピアノなど、弾ける機会はない。

 しばし考えたあと、ベートーヴェンの『月光』を弾いた。


『月光』はあまり技巧を必要としないし、静かな曲だ。

 俺は結構気に入っている。


 静かな旋律が室内に流れはじめると、人が入ってきた気配がした。

 吉兆院の家族がやってきたのだろう。


 俺は振り返ることをせず、最後まで弾ききった。

 最後の余韻を味わっていると、パチパチパチと拍手の音が聞こえた。


「見事なものじゃ」

 手を叩いているのは老人だ。おそらくは吉兆院の祖父。


「とてもよいピアノです」

「じいちゃん、このピアノ、スタンリーって言うんだぜ」


 吉兆院がドヤ顔で言っているが、ス○イダーマンの生みの親みたいな名前ではない。

「そうじゃな。……で、彼が大賀くんかな」


 孫とのやりとりに慣れているのか、老人は動じていない。

「そう。おれの友達の愁一だよ、じいちゃん」


「お初にお目にかかります。優馬くんの同級生で、大賀愁一と申します。吉兆院峰男みねお様でしょうか」

「いかにも。孫がよく、おぬしのことを話すので、会えるのを楽しみにしておった」


 歳は70歳くらいだろう。柔和な顔で笑うが、技術系を極めた職人に雰囲気が似ている。

「こちらこそ、お会いできるのを楽しみにしておりました」


 吉兆院建設は、旧財閥である吉兆院家が興した事業の一つで、この時点での規模はリミスを軽く超えている。

 荘和コーポレーションですら、現時点で太刀打ちできないほどの規模だ。


 そこのトップなのだからもっと経営者っぽい人物を想像していたが、どちらかといえば現場からの叩き上げの雰囲気がある。


「いたらぬ孫で、苦労かけていると思う」

「いえ、よい友人関係を築けていると考えています」


「なんだよ二人して、難しい話してさ」

 吉兆院がふくれている。


「おまえはもう少し落ち着くべきじゃな」

 それは同意だが、もって生まれた性格はどうしようもない。


 それに大人になれば、自然と落ち着いてくるはずだ。

 少なくとも『夢』の中で、吉兆院建設の社長が「うつけ」だという話は聞いたことがなかった。


 もっとも俺が世界に進出したあとで、不採算部門の整理などで苦労したはずなので、人間的に成長せざるを得なかったのかもしれない。


 それよりも吉兆院の祖父だ。

『夢』の中を含めても、初対面となる。


 つむぎ足袋たび姿だが、洋室にもよく合っている。

 痩身で、この時代の人にしては背が高い。


 菱前老人のような威圧感はない。

 好々爺のようにも見えるが、はてさて。


「まずは座って話そう。最近、膝が痛くてな」

 吉兆院家のソファは、身体が沈み込むほど柔らかかった。


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