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051 続・巨額銀行詐欺事件(1)

 菱前老人は、金の使い方をよく心得ている。

 計画が大きくなればなるほど、関わる人間が増え、情報は漏れやすくなる。


 実際、『夢』の中で捕まったのは微罪だった者たちだけだった。

 あらかじめ、「ここまでは捕まっても問題ない」というレベルを設定していたのかもしれない。


 微罪で捕まえた者たちからは、碌な情報が得られなかったはずだ。

「大金で転んだ者を出したわけですか」


「うむ。中を探らせておるわ」

 菱前老人はまだ、欺されたフリを演じているらしい。


 一網打尽にするため、相手から情報を引き出すのだろう。

「黒幕にたどり着くのは、これからですね」


「そうじゃな。ただ、中には勘の鋭い者もおってな。ごく一部じゃが、いぶかしんでおる」

 欺されたフリを続けるのは存外難しいらしく、連絡が取れなくなった者が出始めているらしい。


 菱前老人は情報を集めつつ、これまでのことを整理していたが、俺が告げた流れそのままになっていることに背筋が凍る思いを味わったという。


 あまりに詳しすぎる。そして、あまりに正確。

 喫茶店で偶然話を聞いただけで、ここまで詳しく語れるものなのか。


 もしかして内部に深く入り込んでいたのでは?

 だとしたら、相手側からしたら裏切り者だ。


 もし裏切りに気づいた者がいたら、大変なことになるのではないか。

 そんな不安を感じ、俺の身辺警護を兼ねた見張りを置いたらしい。


 なんというか、穿うがち過ぎだが、まさか『夢』で見たとも言えず、俺は曖昧に笑ってごまかした。

 喫茶店で話を漏れ聞いただけというのは、説得力に欠けたか。


「家を見張っていたら神子島かごしまさんの家族が来たので、慌てて出てきた感じですか?」

 おそらく菱前老人のもとへ連絡がいったのだろう。


 先ほど出会ったのは偶然ではなく、俺が一人になるのを待っていたことになる。

「いろいろと気になっての。娘御むすめごと仲がよさそうだったが」


「先日、縁があって知り合いまして……しかしよく顔が分かりましたね。その……見張っていた人たちがですが」

「あやつらはワシと一緒にパーティに出ておる。人の識別は得意なはずだ」


 考えてみれば、ヒシマエ重工は北米に多くの拠点を持っている。

 日本国内で重工業の工場が中々建設できないのだから仕方ない。


 そして戸山開発は、国内より国外で知名度が高い。

 何度か一緒に仕事をしたことがあるのかもしれない。


 いまのヒシマエ重工が健在ならば、荘和そうわコーポレーションの躍進を止めることができるだろう。


 あとは俺を嵌めた上司だが、いつか報いを受けさせるつもりだ。

 ただ、いまどこに住んでいて、何をやっているか分からない。


 おそらくアメリカの大学に通っているはずだが、インターネットもない現状、調べる術はない。

 こちらは俺が社会に出てから、時間をかけて見つければいい。


「これ、おいしいですね」

 ただの刺身かと思ったら、すでに味が付いていた。それが丁寧に調理されている。


「ヅケを使っておるな。江戸前の名物じゃ」

「薬味と一緒に食べると、また違った味がします。気に入りました」


「そうか気に入ったか、そうか」

 菱前老人は少し嬉しそうだ。


『夢』の中で俺は、こういった古式ゆかしい店には、ほとんど通ったことがない。

 国内にいた頃は営業職として多くの店に足を運んだが、どちらかというと飲み屋が多かった。


 こういう場所を好む老人を接待する機会が少なかったのだ。

 国外に出てからは高級店にも通ったが、洋食ばかりだった。


 未練なく日本を脱出してしまったが、もっとこういう雰囲気の店に通っておけばよかった。

「作法とか知りませんので、気を張らずに食せるのがいいですね」


 板さんに目をやると、「ありがとうございます」というように、小さく会釈してくれた。

 懐石料理のように決められた順番で出てくるようなタイプは、肩肘張っていてくつろげない。


「気に入ったようじゃな」

「ええ、とても」


「今度、ワシのところのパーティに出てみるか?」

「謹んで遠慮させていただきます。というか、絶対に出ませんからね」


「どうしてじゃ? そなたほどなら、将来のために有用じゃろ」

「たしかにコネは重要かもしれませんが、俺はまだ高校生の身ですから」


 というか、しばらくは雌伏するつもりだ。

 顔つなぎは大人になってからでも十分間に合う。


「まったく焦ってないようじゃの。老い先短いワシからすると、うらやましい限りよ」

「何も持っていませんけど、その分将来は何にでもなれますから。子どもは子どものままでいいのです」


「なるほど、『エミール』じゃな」

「ルソーほど達観しているわけではありません」


「そなたと話していると楽しいな。酒が進むわい」

「老い先短いと言うなら、控えた方がいいのでは?」


「うむ。次から控えるぞ」

 意外とこの老人、お茶目かもしれない。そんな風に思い始めていると、不意に真面目な顔をした。


「どうしました? 気分でも?」

「……いや、あの話を持ってきたときのことを思い出してな」


 あの話とは、巨額銀行詐欺事件のことだろう。

 そういえば、菱前老人はどうして、彼らと知り合ったのだろうか。


 新聞やテレビでも取り上げていなかったと思う。

 本にも……たしか、書いていなかった。


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