翌朝、教室に入ると、クラスメイトの視線が生温かい。
春の日差しのような目で俺を見てくる。たった一日休んだだけで、何があった?
「おはよう、今日は良い天気だね」
「今日は曇りだぞ、吉兆院。目でも曇ったか?」
「そうだっけ? ……そういえばさ、立ちくらみで入院したんだって? 名出さんから聞いたよ」
吉兆院がとんでもないことを言いだした。
いまの話は、真実とはかけ離れている。
ただ、いろいろなものを
「それで今朝から、様子がおかしいのだな」
「クラスのみんなもさ、愁一にも人間らしいところがあったんだって」
「おい、吉兆院。それはどういうことだ」
「だってさ、いつもとりつく島がないじゃん。だいたいそっけない返事しかしないし。だからロボットじゃないかって、あ痛っ!」
俺は吉兆院の額を小突いた。
この時代、ロボットといえば、アニメに登場する猫型か、巨大ロボだろう。
次に思い浮かべるのが、マイコン制御で決まった受け答えしかできない子供のおもちゃだ。
吉兆院が高性能AIを積んだものを想像していない限り、俺をそのおもちゃだと評していることになる。
「なるほど、俺のことをロボットだと思っていたわけだ」
「だって、喋る車のあれ……ナ○ト2000だっけ? あれより人間っぽくないし、痛いよ、そこ痛い!」
80年代に製作された米国のドラマを持ち出して、吉兆院は俺をディスってきた。
親指を握って決めてやったら、大人しくなったので、しばらくこうしていよう。
「……ったく、俺だって体調の悪いときだってある。倒れるくらいするだろ」
本当にこのクラスは、俺のことをどう思っているんだか。
俺と吉兆院のやりとりを近くで聞いていた神宮司さんが、「私は騙されないわよ」と呟いていた。
いつも思うが、彼女は俺に恨みでもあるのか?
「みなさん、おはようございます。今日は全員揃っていますね。大賀くんが鬼の霍乱と聞いたけど、今日は大丈夫なようですね」
なぜ担任まで俺をディスる?
俺はよほどイライラしていたのか、返事の代わりに指先で机をトントンした。
なぜか教室中が静かになった。
昼休み、名出さんから犬の話を聞いた。
「おじいさんの足が悪くて、引き取りに来られないんだって。だからカステラは、渡さなくても大丈夫だよね?」
「駄目に決まっているだろ」
話を聞いておいてよかった。名出さんの場合、本気で知らんぷりしかねない。
なぜ犬が迷子になっていたかと言うと、おじいさんの息子夫婦がこっちへ連れてきた犬だったらしい。
息子と言っても、すでに高齢でその子供たちもみな独立済み。つまりおじいさんは、相当な歳だと思われる。
おじいさんの家の庭には芝生が植わっており、足腰が悪くて手入れができずにいたら、近所の農家から苦情が入ったそうな。
伸びた芝生など、虫の温床だから仕方ない。
息子夫婦が芝刈りと薬剤散布に犬を連れてやってきたそうだが、その帰り道、トランクに荷物を全部積んだか確認するため、車を降りたときに逃げ出してしまったらしい。
「なるほど、おじいさんは足が悪く、息子夫婦は遠くに住んでいたから、発見が遅れたのか」
「警察から電話がかかってきたから、お父さんがまた何かやったのかって怒るし、もうさんざんだよ」
「また何かやったのか」
「やってないわよ、もう!」
息子夫婦も一応、ずっと探していたらしい。
保健所に見に行ったが、それらしい犬はいなかった。
ダメ元で警察に行ったら拾得届が出ていたので、警察が連絡することになったようだ。
おじいさんの家に証拠となる犬の写真を送るので、同じ犬なら返してほしいということらしい。
「ならば早いほうがいいだろう。今度の休みに行くか」
「いや、どうかな~? まだ大丈夫だと思うよ」
「次の日曜日な。それで連絡しておくんだぞ」
名出さんの瞳は明後日の方を向いていた。
あとで父親に電話しておこう。
家に帰るとクラス会のお知らせが届いていた。ハガキ一枚の簡素なものだ。
これは『夢』でもあった。
俺は「くだらない」とそのままゴミ箱に捨てたが、今回はどうするか。
連絡先には、クラス委員だった男女二人の名前がある。
参加する人は、このどちらかに電話すればいい。丁寧にも、連絡可能時間帯まで書かれている。
「……いまさらだな」
あの進路面談の日から卒業までの間、以前よりはクラスメイトとうち解けたと思うが、それだけだ。
親しい者もいないし、俺が参加しても迷惑だろう。
俺はハガキを机の引き出しにしまった。
「……それでなぜ、電話をかけてくるんだ?」
夜になって、クラス委員だった
『ハガキ届いただろ? もう何人か参加の連絡が来たからさ』
「ああ、届いたよ。それで?」
『大賀のことだから、こっちから誘わないと、絶対に参加しなさそうだったからさ』
「……? たしかに欠席するつもりだったが、それでなぜ、電話をかけてくる?」
これは『夢』ではなかったことだ。俺はクラス会を欠席したし、だれからも電話はかかってこなかった。
『それは俺のエゴみたいなものかな。母ちゃん、助けてもらったし』
「
『そんなの俺も母ちゃんも知らなかったしさ、スーパーの方も理解してくれて、あれからかなり働きやすくなったんだぜ』
油野の母親がパート勤務中にアキレス腱を断裂する大怪我を負った。
どうもスーパーの裏方は重労働らしい。
自身の体重すら足にかけられない状態のため、パートは休み。
収入がなくなったと、油野が教室で嘆いていたのだ。
それを聞いた俺は、労災をちゃんともらったのかとか、休業手当は受けられるのだぞと、『夢』の中の知識をそのまま語ってしまった。
あのとき、気分はまだエリートサラリーマンだったのだ。
結局、スーパーの方もそういうことはあまり把握しておらず、対応を協議した結果、双方納得できる形に落ち着いたと聞いた。
というか、油野が勝手に話してきた。
もともとスーパーとは名ばかりで、個人商店よりはマシというものだったらしく、従業員もお客も地元の人しかいない。
今後のこともあるからと、店主も熱心に勉強をはじめたようだ。
『そういうわけでさ、大賀にはぜひ来てもらいたいんだよ、どうかな?』
「……そう言われたら行くしかないだろ」
営業マンは相手から断られない限り、顔を出すのが鉄則だ。
『そうか、来てくれるか。じゃ、当日、待ってるからな』
そう言って油野は電話を切った。声が少し明るかったと思う。
俺ははじめて、バタフライ効果を実感した気がした。