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070 新たな動き

 先日の件で、菱前老人への「貸し」が減ったのは朗報だ。

 老人とは、このままゆっくり疎遠になってもいいと思っている。


 ヒシマエ重工が健在ならば、荘和コーポレーションが躍進する目はないだろう。

 このあと日本は、構造的な不況を経験する。とくに建築関連はひどい。


 ヒシマエ重工を吸収合併できなくなった荘和コーポレーションはこの先、よくて現状維持のはずだ。


「九星会が不気味だし、この前の双子のことも気になるが……動けなくなったしな」

 このやり直しの人生で、亜門清秋と知り合ってしまった。


 そのせいで、今後の行動が制限されそうな気がする。

 俺のことを清秋が忘れるとは思えない。


 これは「動くな」という啓示かもしれないので、いまは無理をせず、雌伏を続けようと思っている。


「なあ、愁一。午後の授業ってなんだっけ?」

 昼休み、吉兆院が眠そうな顔でやってきた。


「社会と理科だな。今日の授業はアメリカの風土と農業生産、それから工業地帯についての内容だ」

 というか、こいつはなぜ、次の授業を知らないのだ?


「地理かぁ。その後は理科って……眠くなりそうなのが続くじゃん」

「理科はシダ植物の続きだ。眠くなる要素はどこにもないが?」


「ええっ? 地理も理科Ⅰも退屈だろ? オレ、昨日遅くまでテレビ見てたから、そろそろ限界なんだよね」

 吉兆院は大きなあくびをしている。たしかに眠そうだ。


「眠いのなら、保健室で寝てこい」

「この前、それをやろうとしたら、追い出されたんだよ。保健の先生、厳しいのな」


 なるほど。K高校では、授業を受けるもサボるも本人の自由だった。

 自分に跳ね返ってくるのだから、クラスメイトや教師があれこれいう必要もないというスタンスだった。


 そのせいか、生徒は病気でなくとも保健室で寝ていたし、俺もときどき利用した。

 俺の場合、日中遊び回っていたせいで、夜から深夜にかけてしか勉強する時間が取れなかったのだ。


「だったら諦めて、大人しく授業受けてろ」

「たぶん、無理。もうまぶたがくっつきそう……」


 吉兆院は自分の席に戻り、机に突っ伏した。

 この時代はまだ、各局とも深夜番組に力を入れていた。


 娯楽が少ない時代だ。

 吉兆院が夜更かししてでもテレビを見たくなる気持ちも分かる。


 また、テレビは情報収集媒体としてかなり優秀。

 ついつい、見過ぎてしまうのだろう。


「ねえ、大賀くん。吉兆院くんはどうしたの?」

 吉兆院がいなくなったと思ったら、今度は名出さんがやってきた。うしろに神宮司さんもいる。あいかわらず二人は仲がいい。


「夜更かしして眠いらしい」

「そうなんだー……あっ、そうだ、アレが丁度いいかも。あやめはどう思う?」


「う~ん、いいんじゃない? 試してみる価値があるかも」

「だよね。じゃ早速……」


 名出さんと神宮司さんが何やら意気投合している。

 よくない前兆だ。


 名出さんは自分の席に戻り、ポーチから目薬を取り出すと、「ねえねえ、吉兆院くん。眠いんでしょ? この目薬をさすといいよ」とか「二、三滴と言わず、たくさんて使ってもいいからね」と言っている。


 吉兆院は寝ぼけまなこで、「そうなの?」「ありがとね」とあまり理解していないようだ。そして……「どぅわぁああああああ」と、目薬をさした瞬間、奇声をあげた。


「やっぱり、男の人でもああなるんだよ」

「そうみたいね。確認が取れてよかったわ」


「余ったあれ……どうしたらいいかな?」

「どうせ使わないなら、捨てちゃえば?」


「えっ? もったいなくない?」

「だって、だれも使わないでしょ」


 不穏な会話をしている二人と、「目が、目がぁ~」とのたうち回っている吉兆院を交互に見比べ、何があったのか悟った。

 今年の四月、『サ○テFX』という新しいタイプの目薬が発売された。


 爽快感が売りで……目にしみるのが爽快感なのか疑問が残るが、眠気は確実に吹っ飛ぶ。

 発売されたばかりとあって、吉兆院は知らなかったようだ。驚きは相当なものだろう。


 あと、効果を知ってて目薬を与えたあたり、名出さんもいい性格をしている。

 吉兆院は実験動物じゃないからな。




 結局、あれだけ「目が、目が」と騒いでいた吉兆院だが、午後の授業では轟沈していた。

 あとで聞いたところ、深夜三時過ぎまでテレビを見ていたらしい。相変わらず、先のことを考えない奴だ。


 家に帰ると、テーブルの上に俺宛の封筒が置いてあった。

 中を確かめると、戸籍謄本など、パスポート申請に必要な書類が入っていた。


 俺が学校に行っている間、母親が役所からこれらの書類を取ってきてくれたのだ。


 この人生の俺は、まだパスポートを所持していなかった。

 将来的に米国へ赴く予定があるので、なるべく早めにパスポートを所持しておきたかった。


「直近は夏休みだが……さてどうするかだな」

 米国へ行ったところで、記憶の欠落が埋まるとは思えない。


 ただいくつか体験したあのフラッシュバックには、何らかの意味があるのだと思っている。

 そして俺の記憶の欠落と関係あることも、ほぼ間違いない。


 アルバイトで旅費を貯めることもできるが、おそらく夏休み中働いても、往復の旅券代にもならないだろう。

 どうしたものかと考えていると、家の電話が鳴った。


『ワシじゃ。ちと、確認したいことがあっての』

 電話の相手は、菱前老人だった。


「なんですか?」

 先日会ったばかりだが、何を確認したいのだろうか。 


『GTM社から、資金提供の仲介ができると話が来た』

「まさか……本当に連絡が来たのですか?」


『ああ……ワシが確認したいという意味は分かるであろう?』

「ええ、それでは近いうちにお伺いします」


 グローバルトラディショナルマネージメント社。

 その頭文字を取って『GTM』という社名を使っている、米国の投資会社だ。


『夢』の中でヒシマエ重工が銀行詐欺に遭った際、多くのジャーナリストが事件を追った。

 黒幕の存在は明らかになったものの、彼らは捕まることはなかった。雲隠れしたのだ。


 微罪で捕まった実行犯だけでは、全容解明は不可能。

 計画者が何を考え、どう行動し、どのようにヒシマエ重工を騙したのか、事件から何年経っても明らかになることがなかった。


 その中で関与が疑われ、たびたび名前が挙がったのが、GTM社だった。

 証拠がないので、関与が疑われるだけだったが、俺はずっと気になっていた。


 そのため、「喫茶店でたまたま聞いた話」の中でGTM社の名前を挙げておいたのだ。


 その会社が、ヒシマエ重工に接触してきた。

 何かが動き出した。そんな気配がした。


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