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076 出会いは突然に

 ハンバーグの味はいまいちだった。

 ファミリーレストランであることを差し引いても、俺が思っていた冷凍食品の味より幾分落ちる。


 2030年当時に食べたものは、もう少し旨かった。これから冷凍の技術が上がるのだろう。

「ねえ、ここ……エッチなの、教えて」


 食後のコーヒーを楽しんでいると、神子島かごしまはなさんがテキストを向けてきた。

「sinhxは、ハイパボリック・サイン・エックスと読みます。指数関数によって定義される双曲線関数ですね」


 sinxとsinhxは違う。神子島さんは首を傾げていた。

「どこからこれ、出てきたの」


「問題文の中にその公式が書いてありますよね。それを使うんです。三角関数の親戚と思えばいいでしょう」


 問題を見たところ、公式を当てはめれば解くことができそうだった。

 神子島さんは「なるほど、これをこれに当てはめればいいのね」と、悪戦苦闘しながらも自力で解きはじめた。


 なぜ俺が大学生に勉強を教えているかといえば、「英語得意なのよね。教えてほしい問題があるんだけど」と、ノートを持ってきたのがはじまりだった。


 しだいに経済や経営についても質問をしてくるようになった。そして今回は数学。

 便利屋のように使われている気もするが、勉強にかこつけて俺に会いたいらしい。勉強を教え終わったあと、どこかへ出かけるか、しばらく雑談をしない限り、放してくれない。


 そもそも彼女は、要点を教えれば自力で解くことができる。

 授業を聞いただけでは理解が浅いので、詰まっているだけだ。


 予習しろとは言わないが、どこかで復習していれば定着するのだが……。

「これは、現代の大学生が背負ったごうだな」


 世の中には面白いことが一杯あり、都内で生活する女子大生は、それらすべてを堪能できる位置にいる。

 誘惑が多い環境にいる限り、勉強に集中はできないだろう。


「ねえ、なんでこんなの知ってるの? 聞いた私が言うのも変だけど、まさか本当に数学を教えてくれるとは思わなかったんだけど」

「これは大学入試にも出てきますよ。直接ではないですが、知っていれば楽なレベルで出題されます」


 今回の問題のように、定義した上で出題すれば、専門の知識がなくても解ける。

 双曲線関数のグラフがしれっと出てくることもある。


 頑張れば高校知識で解けるよう、改変されて出題されるのだ。

 神子島さんは、俺の顔をじっと見つめたあと、「はぁ」とため息をついた。


「愁一くん……まだ高校一年生よね」

「そうですが?」


「私の努力ってなんだったんだろ……諸行無常を感じるわ。結構頭がいい方だってずっと思ってきたんだけど」

 同年代と比べて優秀だと思っていたら、16歳の少年にプライドを粉砕されたというところか。


「神子島さんは、十分優秀ですよ」

 そう慰めたのだが、さらに大きなため息が聞こえた。コーヒーのおかわりがほしいな。




 数学が終わり、神子島さんに経済学の講義がてら雑談をしていると、外から入ってきた客と目が合った。


「まったまた」

「よく会うんだいな」


 九星会の双子だ。なぜここにと思うより早く、俺は周囲を見渡した。

 懸念していた亜門あもん清秋せいしゅうの姿はない。ホッと胸をなで下ろす。


「ねえ、お友だち?」

 神子島さんが探るような目を向けてくる。


「そうですね。新宿駅で迷っていたので、俺の連れが声をかけたのです」

「あんときは、世話になりましたん」


 双子はニコニコしている。

「あっ、そうなんだ。一緒に座る? まだ小学生くらいよね、保護者は?」


「オババからかわりましたんで、うちらもうひとりまえなんよ」

「……?」


「また二人だけで東京に出てきたのか」

 双子は「そうじゃ」と頷いた。


 占いの需要があって、こっちに出てきたのだろう。

 いまの話でいくつか分かったことがある。「オババ」というのは占いの先代で、この双子と代替わりしたのだろう。


 本人たちだけを派遣したことからも、この双子の能力は本物と考えていることが分かる。

 少なくともオババと同等以上。さもなければ、十歳くらいの子供を派遣したりはしない。


(やはりあれは占いではなく、預言のたぐい……)


 無邪気に見える少女たちだが、人ならざる力をその内に秘めている。

「ねえ、何が食べたい?」「パフェがいいの?」「いいけど、冷たいよ、お腹壊さない?」「二杯はいける?」「それはちょっと多いかな」「別のにしようよ」


 神子島さんと話している二人を見ると、とてもそうは思えないが……。


 双子は行儀良く、届いたパフェとパンケーキを交互に食べている。

 よく見ると一人が右利きで、もう一人が左利き。並んで食べる姿は、鏡映しのようだ。


「今回は道に迷わなかったのか」

「そうじゃ。それに今回からこっちをもたされてん」


 首に錠前じょうまえのついた大きなペンダントがぶら下がっている。

 南京錠だが、鍵穴はなく0から9までの数字とボタンがついている。


「道場にこっちの中身を見せればいいんじゃっ」

「手伝ってもらるのじゃ」


 道場というのは分からないが、九星会の関連施設だろう。

 そこへ行って、ペンダントの中身を見せれば協力を仰げるということか。


 そのペンダントの中身は気になるが、言っても見せてくれるだろうか。言えば、警戒される可能性があるが。

「ねえ、その中身ってなに? お姉さんに見せてくれる?」


「ええぞ」

「ええよな」


 俺が悩んでいると、神子島さんがあっさりと許可をもらっていた。

 俺が考えすぎているのかもしれないが、無邪気は怖いな。


 だが、双子は互いに顔を見合わせ、「番号はなんじゃったかな」と首を捻っていた。

「大丈夫なの? 番号忘れたら、意味ないのよ」


「大丈夫じゃ」

「どんな数でもいいのじゃ」


「……?」

 今度は神子島さんが首を捻っていた。


 話を聞いてみると、パスワードを設定してもどうせ忘れるのだからと、どんな計算でも出せる数字を暗証番号に設定したらしい。

 それを聞いて神子島さんは「なにそれ」と困惑していたが、これを設定したのが清秋だと聞いて、俺は双子に質問した。


「パスワードの数字は何桁だ?」

 双子は親指だけを折った。四桁ということだろう。


「だったら、6174を入れてみろ」

 双子がそれにならうと、錠前が外れた。


「どういうこと!?」

 神子島さんが驚いている。


「適当な四桁の数字から整数の桁を並べ替えて、最大値から最小値の差を取りつづけると、6174に収束するんですよ。これをカプレカ数と言って、四桁のカプレカ数は6174のみです」


 同じ四桁の数字などは0に収束するが、そういった特殊なもの以外は、なぜか6174に収束してしまう。

 五桁のカプレカ数は存在せず、六桁は549945と631764の二つが存在している。


「ほへ~」

 ためしに9276と0081という二つの数字を書いた。もちろん適当な数字だ。


 最大9762-最小2679=7083 最大8730-最小0378=8352 最大8532-最小2358=6174

 最大8100-最小0018=8082 最大8820-最小0288=8532 最大8532-最小2358=6174


「このようにすれば、必ず6174に収束する」

 俺ははじめから答えを知っていたが、そうでなくても最大七回の反復で出すことができる。


 そのため、清秋は南京錠のパスワードに指定したのだろう。


「幹部のしるしじゃ」

 双子がペンダントの中から取りだしたのは円形のプレート。


 そこには俺が見たことのある図案が描かれていた。

 頭につの、背中に羽をつけたような人型のイラスト。


 それは、菱前老人が見せてくれた写真にあったものと似通っていた。

 中国の温州おんしゅうで発見されたという遺跡に彫られていたものを九星会が使っている?


 老人は、中国に住む少数民族の神ではないかと言っていたが、それがなぜここに?

「これを見せれば、みな言うことを聞いてくれるのじゃ」


 無邪気に告げる双子を前に、俺は相当怖い顔をしていたと思う。


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