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077 プログレッシオの円盤

 ~山梨県の山中 九星会本部~


 護摩ごまが焚かれただんに向かって、一人の老婆が一心不乱に祈祷を捧げている。

 室内に灯りはなく、壁や天井が炎の色に染め上げられている。


 揺らめく炎の中に護摩木を焚き入れると、火の粉が舞った。

 祈祷の声は途切れない。一体どれくらいの時間、そうしていたのか。


 老婆の額には、塩の結晶が浮かんでいた。

 不意に老婆の祈祷が止んだ。


 室内には、ゴウと燃えさかる炎の音のみ。

「――清秋せいしゅうかえ」


 不意に老婆が口を開いた。対する応えは、暗がりの中から聞こえた。

「ええ、オババ様。まだまだ壮健のようで」


「そんなこっちゃない」

 老婆は清秋に背中を向けたまま、「なんしにきたんじゃ」と尋ねた。


「下の作務殿で聞きました。二人とは入れ違いになったようですね。依頼者をここに呼べばいいでしょうに」

「わいも若いころは、出かけたもんじゃ。それに下を低回ていかいしとるもんもおる」


「里に人が? 依頼人ですか? それともここを探りに?」

 老婆は、「さあて」と首を横に振る。


「オババは興味なさそうですね。それはあとで、里の者に聞いておきます」

「そんで、なんしにきた?」


「私が来た理由ですか? オババの引退前の功労、ヒシマエ重工が見つけた遺跡についてですよ。光井みつい三美辞みつびじに気づかれることなく、神鏡しんきょうは回収できました。まあ、ほとんど残っていませんでしたけど」


 オババの背中が揺れた。頷いたのだろう。

「もう次代はうまれんで」


「ええ、分かっています。ですが退屈ですよ。人として生きるには、この世は予定調和の中にありすぎて……つまらなすぎる」

「なら、蒼空そら蒼海うみを大切にせい」


「そうですね。少なくとも、オババを入れて、もう四人しかいないのですから……本当に退屈です。人は愚かすぎる」

 最後、清秋はそう独白した。




 双子が手にしていたペンダントから出てきたのは、兜をかぶり、鎧を纏ったかのように見えるシルエット。

 角と翼を持つ異形とも見えるそれ。なぜ、これを双子が持っているのか。


 間違いなく、ヒシマエ重工が中国の温州で発掘した岩に描かれていたのと同じものだ。

 俺の失われた記憶とリンクしているこのシルエット。


 合衆国と中国だけでなく、日本でこれを目にすることになるとは思わなかった。

 しかも九星会がシンボルとして使っている意味は?


「ねえ、このロボットアニメに出てきそうな絵はなに?」

 神子島さんが双子に尋ねた。俺はずっと難しい顔をしたままだ。


「こりゃ幹部のしるしだ」

「そだ。幹部に見せれば、顔をしらんでもよいのじゃ」


「えーっ、どういうこと? お姉さんにもっと分かりやすく教えてくれる?」

 神子島さんは好奇心旺盛だ。初対面の相手に対しても、遠慮がない。


「これで協力してくれるだ」

「そだ」


 どうやら日本各地に散っている九星会の幹部は、みなこのシルエットを知っているらしい。

 相手の素性が分からなくとも、これを持っていれば仲間として扱われる。


「つまり、それを持っていれば、少なくとも幹部以上であると証明できるわけか」

 すべての幹部が、互いに顔を覚えているわけではないだろう。ゆえにそれが生きてくる。


「そうなのじゃ」

 どうだ偉いだろとばかり、双子はふんぞり返った。


 たしかに十歳くらいの少女が突然やって来ても、相手は困る。

 しかもこの二人、何気に意思疎通をはかるのが難しい。


 世間知らずなところもあるため、説明を繰り返すよりも、それを見せた方が早そうだ。

「ねえ、それって何なの? 何かのおまじない?」


 どう尋ねようか悩んでいたところに、神子島さんがうまく質問してくれた。

「これか? これは『プログレッシオの円盤』じゃ」


「……?」

「昔から、神鏡しんきょうにはこれがあったそうじゃ。あとはしらん」


「しらんでも、使えるだから、それでよい」

 双子は本当にそれ以上のことは知らないようだ。


 プログレッシオは、ラテン語で『進歩や前進』を意味する。

 古式ゆかしい九星会にしては変なネーミングだが、清秋が名付けに関わっているのかもしれない。


 今日、神子島さんがいてよかった。

 俺が聞きにくいことも、ズバズバ聞いてくれる。


 他にも疑問に思うことを神子島さんが尋ねていたが、双子はどうやら、あまり詳しくないらしい。

 そのペンダントも心配だから持たされている感じで、本人たちは気にしていないようだ。


 その後双子は、注文したチョコパフェをペロリとたいらげた。

「うまかったじゃ」

「んだ」


 二人は『里』と呼ばれる場所に住んでいるらしく、こうして外へ出てくるときだけ、好きなものを食べられるとか。

 里の中は、何もないらしい。


 バブルの成長に取り残された村は、日本中至る所にある。

 双子の住んでいる場所もそのひとつなのだろう。


 ひとしきり食べたあとは、「遅くなるだ」「帰るべ」と言って帰っていった。

 いまから電車を乗り継いで、山梨まで戻るらしいので、大変だ。


「なんか、ヘンな子たちだったね」

「そうだな」


 嵐のように過ぎ去った感じだが、得られるものは大きかった。

 まさか、東京のファミリーレストランで会えるなんて、想像していなかった。


 そういう意味では、神子島さんに感謝したいくらいだ。

「でもあの子たち、だれかに会いに来たんでしょ?」


 神子島さんが何しにきたのか尋ねても、「人と会う」とだけしか答えなかった。

 詳しいことは、何も話さないのである。


 おそらく、よほど言いくるめられているのだろう。

 逆に、それ以外は何でも話してくれた。


 この時代、話す、話さないなど、是非の判断は、個人に委ねられていたりする。

(しかし、里の目か……やっかいだな)


 双子は、どこへ行くにも里の目があると言っていた。

 おそらく共同体全体が、九星会の影響下にあるのだろう。


 不用意に聞き込みをすれば、たちまち九星会に筒抜けとなるはずだ。

 調べに行かなくてよかったと思う。


(逆に、そこまでして隠したい何かがあるのかもしれないが……)


 いずれにせよ、単独で潜入調査は難しそうだ。

「ねえ、さっきの話の続きだけどさ……」


「ああ、そうですね。……では、石油危機のもとになったイラン革命について、少し話をしましょう」

「げっ、そんな昔まで戻るの?」


「何言っているんですか。ほんの十三年前の話ですよ」

 眉根を寄せる神子島さんを無視して、俺は革命の経緯を話しはじめた。


 とくに道徳警察のくだりになると、神子島さんは「私、絶対イランに住めない」と震え上がっていた。

 それはきっと、多くの日本人が同じ思いだろう。


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