今日は、一学期の最終日。
現在、教室では成績表が配られている。
それぞれの席で、悲喜こもごもが展開されている。
後方から「お小遣いがぁ~」と、名出さんの声が聞こえてきた。
おそらく親と、成績しだいで臨時のお小遣いをもらう約束だったのだろう。
名出さんはギリギリまで先延ばしにする性格のせいで、苦労のわりに効果が出ていない気がする。
「いいですか、夏休みだからといって、決して浮かれないでくださいね。日射病には気をつけて……」
担任の話が長々と続いている。
K高校のときは、特別な話はなかった。
小学生ではあるまいし、いまさら夏休みの過ごし方を指導されるほど、みな馬鹿ではない。
周囲を見回すと、何人かが真剣に頷いている。
そんなんで大丈夫かと心配していると、担任が俺の方を見ていた。
「大賀くん、分かりましたね?」
「もちろんですとも……いまさら、言われるまでもありません」
「本当ですね? 今度は連続殺人犯と一対一で戦ったりしないでくださいね」
「大丈夫です」
「その言葉、信じていいんですよね?」
「ええ、次もちゃんと勝ちます」
「…………」
この半年間、身体はしっかりと鍛えた。よほどの相手でない限り、後れはとらない。
そう思っていると、担任は憤懣と諦観と後悔と焦燥を合わせたような顔をしていた。
器用だなと思った。
「愁一。夏休みになったら、一緒に遊ぼうぜ」
放課後、吉兆院が話しかけてきた。
「時間があったらな」
「時間なんて、いつでもあるじゃないか。アルバイトや習い事しているわけじゃないんだろ?」
「米国に誘われている。しばらくかかるだろう」
「マジか。でも、なんでまた? 口ぶりからすると、前から計画してた感じでもないっぽいけど」
「通訳を頼まれている」
「ああ、そっか。愁一は英語ペラペラだもんな。そう言えば、同じ英語クラブなのに……」
「なによ!」
名出さんが頬を膨らませている。成績表をもらってから、すこぶる機嫌が悪い。
「いや、期末の英語……」
「なによ!」
「うん、まあ……がんばって?」
何かを察した吉兆院は「ちょっと、トイレへ」と、鞄を持って出ていった。
そのまま帰るのだろう。
吉兆院の性格からして、戻ってくるとは思えない。
「さて、その英語クラブに行くぞ」
「えっ?」
「今日は活動日だろ。いかないのか? いかないなら、一人で行くが」
「う、うん。そうだよね! 一緒にいこっ!」
一学期の最終日。英語クラブの活動がある。
名出さんはパァッと明るくなって、俺のあとについてきた。
「そっか、大賀くんは、カルフォルニアに行くんだ」
英語クラブの教室に到着した途端、名出さんは先ほどの吉兆院との会話を聞いてきた。
通訳兼助手として菱前老人についていくのだが、面倒なので知り合いの通訳として向かうと伝えてある。
「細かい話だが、『カリフォルニア』の方が正しい発音とされているぞ」
「ん? あたし、そう言ったよね?」
「大した違いではないが、さっきはカルフォルニアと言っていた」
「へ~、カルフォルニア……カリフォルニア。な、なるほど、ち、違うんだ?」
名出さんは首を傾げている。
カタカナ英語なので、あまり気にする必要はないのだが、ここは英語クラブだ。
知識として覚えておいた方がいい。
「ねえねえ、大賀くん。ネイティブの発音だと、いまのはどうなるの?」
部長がそう聞いてきた。
「向こうの発音ですか? 大分違いますよ。CaliforniaのCaは『キャ』が近いでしょう。liは『ラァ』でしょうか。『学ぶ』を意味するlearn(ラァーン)と同じで、舌を丸めて上歯茎につけてください。そしてforですが、ここにアクセントがきます。読み方は『フォー』。niaはそのままですね」
「ということは、キャラァ
「それがかなり近いです。逆に、日本語のようにハッキリ区別つけてカ、リ、フォ、ル、ニ、アと発音したら通じるか分かりません」
「そうなのよねえ……傘をパラソル、鉛筆をペンシルって言っても通じないし」
経験があるのか、部長がしみじみと呟いている。
「まったく通じないか、似ている別の単語と勘違いされることは、あると思いますよ。ちなみに雨傘はアンブレラで、日傘がパラソルです。語源はともに日傘らしいですけど」
「へえ……日傘が語源? 雨傘は昔なかったの?」
「雨傘については知りませんが、傘はもともと、外に出る国王のために差していたようです。つまり富の象徴。アンブレラは傘ではなく『影』を意味していたようですから日傘で間違いないですね」
富の象徴から広がった傘が、いつしか雨傘と日傘に分かれて、雨傘にアンブレラが使われはじめた。
そして、「太陽 (sole)」と「守る(parare)」を語源として、日傘をパラソルと言うようになったらしい。どうでもいい話だが。
夏休みに入って数日が過ぎた頃、吉兆院が家にやって来た。
「はい、これ
封筒に入った現金を差し出してくる。
「ありがたく受け取っておく。土産は何がいい?」
この時代、海外旅行は一般的になったが、いまだ餞別を贈り合う習慣は残っていた。
だいたい貰った金額の半分くらいを土産として返す。
「お土産かぁ……よく父ちゃんが、仕事の付き合いで行ってるし……あっ、向こうのお菓子とか食べたいかな。父ちゃんとか、絶対に買ってきてくれないし」
「おまえはいつもそうだな」
身体に悪そうなものをなぜ好むのか。
「だってほら、近所じゃ売ってないじゃん」
たしかにこの時代だと、外国の菓子を気軽に買うことはできない。
2000年も大分過ぎれば、ネット通販で普通に手に入るのだが、いまは輸入雑貨の店を一軒一軒回らないと現物すら見ることはできないだろう。
「分かった。シーズキャンディのチョコでも買ってこよう」
「おっ、期待して待ってるよ」
「カリフォルニア発祥だから、俺が行くところでも売っているはずだ」
この時代でも西海岸ならば、どこでも手に入ると思う。
「いや~、またあのチョコが食べられるのか。そういえばこの前、財閥のパーティに出席したけど、高級すぎてオレには合わなかったな」
ジャンクフードとコンビニ菓子ばかり食べている吉兆院ならばそうだろう。
「夏休みだからといって適当な食事ばかりだと、身体壊すぞ」
「学校の先生みたいなことを言うなよ……夏休みくらい、好きなもの食べてもいいじゃん」
「おまえは普段から好きなもの、食べているだろ」
「そんなことないよ。ポテトは野菜だし、ケチャップもトマトが原料だから野菜でいいよな」
「駄目に決まってるだろ」
相変わらず吉兆院は、何も分かっていない。