ある日の早朝。
吉兆院優馬は、自宅のリビングでテレビの情報番組を眺めていた。
世間は、政界と芸能界のスキャンダルに関心があるようだが、優馬の関心をひくものではなかった。
チャンネルを変えてみるが、他局も同じ話題か、ショッピングやグルメの特集が映し出されるばかりだった。
「どうしてこうなっちゃったんだろうな……おっと?」
スマートフォンが震えた。表示された名前は名出琴衣。
彼女は株式会社リミスの社長にして、優馬の高校時代の同級生だ。
先日、友人の神宮司あやめが米国のサクラメントで銃撃事件に巻き込まれて病院に担ぎ込まれた。
琴衣はそれを知るやいなや、すべてをなげうって現地へ飛んだのである。
その後、現地に向かった彼女と二度ほど連絡を取り合い、一応の事情が確認できた。
『吉兆院くん? あたしだけど』
「やあ、名出さん。おはよう……って、そっちは夕方頃かな?」
『こっち? こっちはまだ、おやつの時間よ。それより、あやめのことなんだけど』
「うん。この前はショックで目を醒まさないって話だったけど、進展あった?」
あやめの身体を貫通した銃弾は、運良く重要な臓器を避けたものの、そのときのショックで、いまだ昏睡が続いていた。
『まだだめ。お医者さまは、しばらくこのままかもって……それでさっき、地元の警察に行ってきたわ。あやめを撃った奴についての情報は得られなかったの』
「あっちは事件が多いから、あまり期待できないだろうね」
優馬も、現地にいる吉兆院建設のスタッフに確認してもらったが、銃で撃たれたにもかかわらず、ニュースにもなっていなかった。
それだけ頻繁に事件がおきていると現地のスタッフは語っていた。
防犯カメラで犯人の特徴が分かっても、警察が捜査しなければ、犯人確保は難しいだろう。
なにしろ、もっと凶悪な犯罪が日々発生しているのだ。
ただの発砲事件程度では、本気で動いてくれない可能性があるのだ。
「犯人のことは警察に任せようよ。僕らじゃどうしようもないし。それより、神宮司さんの無事を祈ろう」
『そうね。それで、今日電話したのは、あやめが最後に送ったメッセージについてなのよ』
「ミスターに冤罪がかけられた理由が分かっただっけ?」
時間的に考えると、その報告をした直後、あやめが銃撃されたことになる。
『あやめのスマホって指認証で開くからさ』
「おまえ……寝てる神宮司さんの指を使ったな」
『だって、そうでもしないと分からないじゃないの。いいのよ、あとで謝るから』
悪びれない琴衣だが、あやめが何を考えて、何をメッセージとして残そうとしたのか、優馬も知りたかった。
「まあ、それはいいや。それで、何が分かったんだい?」
『うん。履歴とか検索ワードとか残ってたし、ページがいくつかスクショしてあったの。それでだいたい、あやめが調べていたことが分かったわ』
「神宮司さんは、そんなことをしていたのか。それで、冤罪について何を調べていたんだい?」
『ねえ、ソルガムって植物知ってる? あれを燃料としたバイオエタノールの精製とか、そういう工場の建設にミスターが関わっていたんだけど、バイオ燃料ってイメージ悪いでしょ?』
「ソルガム……? ちょっと分からないな。バイオ燃料については……あまりいい話は聞かないよ。変換効率が悪いとか食糧生産とバッティングするとか……あとは、バイオ燃料を精製するために必要なエネルギーがもったいないってのもあったな」
太陽光発電、風力発電、地熱発電のような自然エネルギーは、変換効率が悪すぎて実用的とは言いがたい。
主エネルギーの補助的な位置づけならば問題ないが、火力発電を押しのけて、主エネルギーに取って代わるには、安定性に欠け、効率も悪い。
『ミスターが請け負った工場建築なんだけど、バイオエネルギーでありながら、それらの悪材料を無視できるらしいの』
「ほう。それはすごいことだと思う。世界のエネルギー事情を一変させることも可能なんじゃないか?」
『かもしれない。まだマスコミに発表していない情報もありそうだけど、あやめが調べた部分だけでも、すごいのよ』
「話を聞くだけで、僕もそう思うけど、それがミスターの冤罪に何の関係があるんだい?」
『あやめが調べたところだと、エネルギー問題を解決させたくない人たちがいるみたい』
「まるで第三次世界大戦を望んでいるような言い方だな……」
先進国と途上国で、エネルギー問題の温度差が激しくなって久しい。
また、旧来の西側諸国と東側諸国のエネルギー対立も深刻だ。
米国や日本がどれほどエネルギー対策をしても、中国やロシアの大国が無制限に火力エネルギーを使うものだから、地球温暖化は一向に収まる気配がない。
途上国も、自国の発展のために、エネルギー規制とは無縁の政策を採り続けている。
逆に日本は、政府が打ち出したエネルギー制限案のみならず、大都市では独自のエネルギー制限条令を打ち出している。
東京都もその例外に漏れず、『DSファイブ』なるオフィスや工場から協力を取り付け、街中の自動販売機も激減した。
結果、国民は過度のストレスに晒され、余裕のない生活を強いられている。
世界に目を向けると、一向にエネルギー対策を推進しない東側諸国に対して、西側諸国が強固な態度を示し、東側諸国がそれに反発。
現在、一触即発な状況になっている。まさに戦争前夜。
年内には、どこかで『前哨戦』という名の侵略戦争がはじまるのではとさえ、言われている。
もしバイオ燃料などの優良な代替エネルギーが登場したら、大戦の可能性は一気に低くなる。
『というわけで、資料だけはまとめたから送るわね。まずは目を通してちょうだい』
そう言って電話が切れた。
同時に、添付ファイル付きのメールが届いていることに気づく。
「どれどれ……見てみるかな」
優馬はさっそく、添付ファイルを開いた。
「……なるほど、こりゃ、すごいな」
優馬は一通り資料に目を通して嘆息した。よくぞここまで調べたものだと感心する。
ヒントは少なかっただろう。
優馬はあらためて、彼女の優秀さに敬意を表した。
送られてきた資料には、まずエネルギーとしてのバイオエタノールの優秀さについて書かれていた。
ソルガムが、荒れ地や栄養の少ない土地、ときには砂が多い土地でも十分育つことに優馬は驚いた。
これまでのバイオ燃料はトウモロコシやサトウキビなどの穀物を精製することから、食糧をエネルギーにするなと批判され続けてきた。
とくに耕作面積の少ない日本では、食糧になりえるものをエネルギーにするという考えは、罪悪とさえ思われていた。
もちろん、家畜の糞尿や廃油を精製する技術はある。
ただ、安定供給できるかといえば、首を傾けざるを得ない。
ところがこのソルガムは違う。
精製効率が格段によいだけでなく、精製段階で発生する二酸化炭素もかなり少ないと、いいことだらけだ。
食糧生産と競合しない、安定性も十分、エネルギー効率もいいのだ。
「それも最近開発された新技術の効果か……米国には荒れ地はいくらでもあるし、この技術を途上国で使えば、エネルギー問題はかなり改善されるんじゃないかな」
優馬は二つ目の資料に目を通した。
荘和コーポレーションが入札で勝ち取った工場建設の資料が入っていた。
「コピーにすかしが出ているし、これは向こうの役所で公開されている資料か。……うわっ、さすがミスター。えげつないほどの数字で攻めてるわ」
開発にあたり、役所に提出された資料は、だれでも閲覧できる。
このガラス張りのシステムがあるため、不正はなかなかしづらい。
工場建設の入札で争った企業は、全部で五社。
荘和コーポレーションを含めた上位二社の入札金額にほぼ差はなかった。
この二社は、入札金額の正確さで、残りの三社を大きく引き離している。
惜しくも受注を逃してしまったが、その企業にもミスター並みに優秀な者がいるのだろう。
「それでこれが、最後の資料か。……どれどれ」
最後の資料はこれまでと違い、神宮司あやめが作成した資料も含まれていた。
ミスターが逮捕されてから現在までの工場建設の流れが記されていた。
優馬は時間をかけて、資料に目を通していく。
「……マジか」
思わず言葉が出た。
ミスターが逮捕されたあと、荘和コーポレーションが受注した案件は白紙に戻されたようだ。
入札金額で次点となっていた企業が、スライド受注したと書いてある。
すでにミスターが逮捕されて半年あまり。
日本ではすでに、裁判が始まっている。
この半年の間に、工場建築の方はというと……何も始まっていなかった。
入札時にはあれほどやる気をみせていた企業だったが、現在はまったくもってやる気がないように見える。
「まるでインドネシアの高速鉄道のような流れだな」
工場の着工どころか、設計図すらまだ完成していなかった。まともな書類が一切、役所に提出されていない。
ソルガムを使ったバイオ燃料工場は、稼働すればすぐに、多くの人がその効果を目にするだろう。
いかに研究結果が発表されたところで、実物がなければ人は効果を実感しない。
ゆえに工場建設が急がれるわけだが、どうしたことか受注した企業にまったくやる気がない。
「ミスターの案だと年内完成、年内稼働も可能になっているな。なのにこの企業はひどいな。年内着工どころか、年内に書類すら提出されないんじゃないか? 工場だぜ? 難しい要素がどこにあるんだよ」
建築業界に身を置いている優馬からすれば、これはあからさまなサボタージュ。
工場を完成させたくない人がどこかにいて、その指示が飛んでいるのではと疑いたくなってくる。
そして神宮司あやめも、それに気づいたのだろう。
工場が完成しなければ、エネルギー問題はこのままだ。待っているのは第三次世界大戦。
逆に、大戦を引き起こしたい連中からすれば、工場は早期に完成してほしくない。
「……あっ、ミスターが入札に参加したからか!」
日本でも数百円の桁まで揃えてくるミスターが入札に参加してしまったため、連中の予定が狂ってしまったのかもしれない。
本当は、この資料にある企業が受注し、のらりくらりとしながら二年でも三年でも完成を遅らせるつもりだったのではなかろうか。
荘和コーポレーションに受注されてしまったことは誤算。
まさか、そこまで細かく刻んで数字を揃えてくるとは思っていなかったのだ。だから、入札金額に少し余裕を持たせていた。
それで受注を逃してしまったわけだが、『誰か』は考えた。
企業を脅して契約を破棄させるのは得策ではない。
あの受注した企業の中心人物はだれなのか。だれを排除すれば白紙に戻るのか調べたのだ。
神宮司あやめは、「冤罪の理由が分かったかもしれない」と連絡してきた理由も、それに気づいたからだろう。
「……ヤバいんじゃないか、コレ」
軍靴の足音が近づいてきた気がした。