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099 いざ、清里へ

 旅行代理店の人に、「いつでもいいから、清里で泊まれる宿を紹介してください」と伝えたら、変な顔をされた。

「あの、日程のご希望は……「いつでもいいです」」


 何この人? という顔をされている。とにかく、「直近で空いている宿を探してください」とお願いした。

 そして、当然の顔をして隣に座る名出さんに目をやったあと、「お二人ですか?」と聞いてきた。


 もちろん一人だ。「隣は空気と同じなので、気にしないでほしい」と伝えた。

 代理店の人は、「ちょっと何言ってるか分からない」という顔をした。


 なんというか、表情が読みやすい。

 将来、ラスベガスに行ってポーカーをするなら、止めておくよう忠告すべきだろうか。


 代理店の人がどこかに電話をかけたあと、三日後に空きがあるペンションを見つけてくれた。

 情報誌の影響だろう。女性の一人旅が多いことを受けて、一人部屋はそれなりに用意されているらしい。


 すぐにそこを予約すると、隣の空気が「えー、あたしはぁ?」とうるさい。

 空気のくせにうるさい。


 予約票を記入していると、空気が「あたしもそこに泊まる!」と、勝手に予約をはじめた。

 代理店の人は、困ったように俺と名出さんを見るが、空気相手に俺が何かを言うこともない。


 結局、同日、同じペンションに俺と名出さんが別々に予約することになった。

 俺と会うまで、旅行するつもりはなかっただろうに。


 名出さんの直情的な行動は、いつ収まるのだろうか。

 会社を継いだらなりを潜めるのだと思うが、不安だ。


「うっにゅにゅ~」

 予約が終わると、名出さんは上機嫌だ。


「向こうでは相手しないぞ」

 俺にはやることがあるのだ。


「いいもん。それで、何時に待ち合わせする?」

「何の話だ?」


「一緒に行くでしょ。だから、何時に待ち合わせする?」

「俺一人で行く」


「え~そんなぁ、一緒に行こうよ」

「遊びに行くんじゃないんだ」


「じゃあ、何しに行くのよ」

「説明する必要はない」


「じゃあ、あたしも勝手に付いていく」

 観光地だから心配はないと思うが、向こうで九星会の人間と接触することになる。


 できるだけ一人で行きたいのだが、この分では難しそうだ。

 新宿駅で見つかるとは運が無かった。本当にそう思う。


 あとで家に押しかけられても困るので、結局、名出さんと一緒に出かけることにした。




 三日後。

 麦わら帽子に白いワンピース、大きな旅行鞄と、バカンスを満喫する気満々の名出さんがそこにいた。


 清里駅へ行くには、中央線の最寄り駅からだと、小淵沢こぶちざわ駅を経由して二時間半程度らしい。

 接続に余裕を見ても三時間はかからないだろう。


「ねえ、早く行こっ!」

 名出さんは、俺の腕を掴んで電車に乗り込んだ。


「他の乗客の邪魔にならないようにしろよ」

 下り方面とはいえ、乗客はそれなりにいる。


「トランプ持ってきたんだよ……それと、どこで駅弁買うの?」

「買わん。立川たちかわ駅で特急に乗り換えるが、乗車時間は一時間半程度だ。昼にはまだ早い」


「へえ、そうなんだ」

 初めて知ったという顔をしているが、もしかして彼女は清里への行き方を知らないのではないか?


 なんというか、こういう向こう見ずなところを見ると、本気で将来が心配になってくる。

 ちゃんと会社を継いで、従業員を食わせていけるのだろうか。


 俺がそんな心配をしている横で、名出さんは「田んぼが見えてきた」とご満悦だ。

 結局、清里駅に着くまで、名出さんは終始話しかけてきた。


「ついた~!」

 清里駅に着くと、名出さんは旅行鞄を置いて駆け出してしまった。フリーダムすぎる。


 駅前は若い女性でそれなりに混雑しており、景色は雑誌に掲載されているそのままだった。

「ねえ、どこに行く?」


 行ったと思った名出さんが戻ってきた。ブーメランか。

「まず、邪魔な荷物をコインロッカーに預けて、そのあと観光案内所でパンフレットをもらう」


「そっか! パンフレットは大事だね」

 何をするにも、名出さんのテンションが高い。


 ちなみに「テンションが高い」や「ハイテンション」という言葉は完全な和製英語。英語圏では通用しない。

 そもそもテンションとは「張力」を表す言葉なので、高低では表さない。しいて言えば強弱だろうが、「テンションが強い」と言っても意味が通じないだろう。


 観光案内所にあった『駅前まっぷ』と『清里観光まっぷ』を一部ずつ手に取る。

 目的の『ちくたく』という土産物屋も載っていた。


「ねえねえ、どこに行くの?」

「あそこにソフトクリームを売っている店があるだろ?」


「うん。あそこに行くのね」

「ひとつ買ってあげよう」


「わーい!」

 その店のソフトクリームは人気なのか、行列ができていた。


 最後尾に並び、順番を待つ。なぜこんなどこにでも売っているようなソフトクリームを皆がありがたがるのか。

 特別な場所でしか食べられない特別なものという認識なのだろうか。


「これをあげるから、あそこのベンチで食べていろ」

「うん!」


 素直にベンチでソフトクリームを舐めはじめた名出さんをおいて、俺は『ちくたく』に向かった。

 歩いて五分ほどで店の前に着いた。


「……さて」

 大丈夫だとは思うが、念のため周辺の店や中で働いている人を観察する。


 こちらに注目している人はいない。観光客は大勢歩いていて、俺の姿も目立たない。

『ちくたく』は、どこからどう見ても普通の土産物屋だ。やはり罠や仕込みだとは思えない。


「よし、行くか」

「うん!」


 なぜかベンチでソフトクリームを食べていた名出さんが隣にいた。

「もう食べたのか?」


「あたしを置いて行っちゃうから、食べながら追いかけたんだよ」

「…………」


 これから九星会の信者に接触するつもりなのだが、この名出さんをどうすればいいだろうか。

 ぬいぐるみを買って遠くに放ったら、とってこいフェッチしてくれるだろうか。


 名出さんならやりそうな気もするが、あまり現実的ではない。


「ねえ、中に入るんでしょ? 行こうよ」

「なぜお前が、仕切る?」


「えっ、よく分からないけど、早くお店に入ろっ!」

 名出さんに腕を取られて、俺は店の中に入ってしまった。


「あれ、牛のぬいぐるみだよ。なんで牛?」

「ソフトクリームが観光の目玉なのだから、どこかで牛を飼っているのだろう。さすがに俺もそこまでは知らん」


 土産物一つ一つの由来などに興味はない。

 そもそも「それっぽい」ものなら、観光地と直接関係なくても売っているのがこの時代だ。


「このキーホルダー可愛い! ねえ、一緒の買おっ!」

 名出さんがキーホルダーを二個、俺に見せつけてくる。


「いらっしゃいませ。それは今年の新商品ですよ」

 空いた棚の補充に来た店員が、そんな声をかけてきた。


「そうなんですか。……ほらぁ、一緒に買った方がいいって」

「お前なぁ……」


 棚に商品を並べている店員のTシャツに目がいった。

 紺色のTシャツだ。背中の襟元に『九星』と白くプリントされている。


 華さんが言っていた店員はこの人だろう。間違いない。

 ここまで来ては、仕方ない。名出さんは無視しよう。


「すみません、ちょっといいですか」

 俺は店員に声をかけた。


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