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100 伝達依頼

「すみません、ちょっといいですか」

 俺は商品を並べている店員に声をかけた。


「はい、なんでしょう?」

 振り向いた店員は思ったより若い。二十歳くらいだろうか。


「個人的におたずねしたいことがあるんですが、お時間は大丈夫ですか?」

「はい? 商品のことではなくてですか?」


 俺は頷いた。

「ですが、それほどお時間は取らせないと思います」


 これは営業時代に培った話術で、とにかく『話は短く済む』ということを先に伝える。

 それでも難色を示す場合、「ほんの二、三分ですから」とつけ加えれば、相手も「まあ、二、三分ならば」と了承してくれる事が多い。


 店員は「少しでしたらいいですけど」と言ってくれた。成功だ。

 そうしたらなぜか、名出さんが「ふしゅーっ!」と店員を威嚇していた。ちょっと待て。


「知り合いにその文様の服を着た人がいまして、もしかしたらその人と連絡が取れるかなと思ったものですから」

「そういうことなら、難しいかもですね。なにしろ、人数が多いものですから」


「そうですか。同じ山梨に住んでいる双子の少女なのですけど、ご存じないですか?」

「……それって、ソウ様とカイ様のことですか?」


 いきなり当たりか? たしかに、双子と最初に出会ったとき、二人はそのように名乗っていた。

 だが俺はあえて、別の名前を告げることにした。


蒼空そら蒼海うみという名前だったと思います。方言に慣れていないもので、もしかすると完全に聞き取れていなかったかも知れませんが」

 双子の名乗りとは違って、亜門清秋はそう呼んでいた。


 案の定というか、店員の顔から警戒の色が消えた。

「そちらのお名前をご存じなのですね」


「そうですね。特別に視ていただいたこともあります。客ではなくて……」

 すると店員は「まあ、おうらやましい」と両手で口を押さえていた。


「ちょっと、あの二人に会うの?」

 名出さんが口を挟んできた。そういえば、彼女もあの双子と会っている……というか、彼女が見つけたのか。


「ああ、渡したいものがあってね。どうやって連絡を取ろうか考えていたんだ」

「そういうことでしたら、実家の父に聞いてみます。連絡は取れるでしょうけど、お忙しい方ですからご希望に添えるか分かりませんけど」


「それは大変助かります。そうですね、でしたら『二重写し』の者が渡したいものがあると言っていたとお伝えください。それで分からなければ諦めますので」


「分かりました。二重写しですか……それで、連絡はどうすればいいですか?」

「今日はここに泊まりますので、明日帰る前に、また寄らせていただきます。それでどうでしょうか」


「わかりました。それで大丈夫だと思います。父には後ほど連絡しておきます」

「ありがとうございます。それではまた明日」


 俺は彼女に礼を言って別れた……かったのだが、名出さんが先ほどから「ふしゅー、ふしゅー」と威嚇しているので、口を押さえて店から引きずり出した。


 店員が「それではまた明日。彼女さんもまたね」と言うまで、名出さんはずっと爪を研ぐ仕草をしていた。




 九星会の本部地下に、エーイェン人の住み処があると考えている。

 大事な場所だから、別の場所にあるとは思えない。


 双子と会ったとき、その辺の情報がうまく手に入れられればいいのだが。

「ねえ、やっぱり年上が好きなの?」


「ん? 何の話だ?」

「さっきの店員さん、ちょっと美人だったよね」


「何の話だ?」

 名出さんが頬を膨らませている。本当に何の話だ?


「店員さんが美人だって話! というかここって、キラー通りと見間違えるほどキレイな女性多くない?」

 後半はやや声をひそめているが、言いたいことは分かる。


 キラー通りとは、東京の青山にある何の変哲もない道路のことだ。

 そこに高級ブティックが並んでいることから、若く綺麗な女性たちが通りを歩いている。


 キラー通りは、時代の最先端をゆくとして1970年から80年代にかけて持てはやされていた。

 名前の由来は、ファッションデザイナーであるコシノジュンコだが、青山霊園が近いことから、「killer」という名前を使用したらしい。


 キラーはスラングとして、「すごい、素晴らしい、衝撃的な」の意味で使われるため、俺は最初、そっちが語源だと思っていた。

まさか墓場から連想した言葉とは、思わなかった。


「たしかに綺麗な女性は多いな。『アンノン族』の影響だろう」

 アンノン族というのは、俺たちより少し上の世代の女性なら、だれでも一度は目にしたことのある二つの女性誌を合わせた造語だ。


 さまざまな形で女性の新しい生き方を提示したことから、雑誌を神聖視する女性があとを絶たなかった。

「そういえば、雑誌を持って歩いている人がいたわ」


「女性が外に出るのはいいことだが、踊らされ過ぎだな」

「そうなの?」


「……いずれわかる」

 アンノン族という言葉が生まれる前、つまり1960年代以前は、未婚女性が一人で旅行するなど、まずありえなかった。


 女性の一人旅など、よほどの変わり者くらいしかいなかった。

 そういう意味では、気軽に女性を外に出したことは評価できるが、新しいライフスタイルを提唱するのは、旅行だけではなかった。


 結婚する必要はない。独身でもこれだけスタイリッシュに生活できるのだと、結婚しない女性の生き方をことさらかっこ良く見せ、それに感化された女性が大勢誕生してしまった。


 雑誌の中で独身を貫くカリスマ的な女性が登場し、みなそれに憧れたのだ。

 結婚適齢期を過ぎた女性を大量に生み出した頃、歌手の安室奈美恵が二十歳ハタチそこそこで妊娠と結婚を発表する。


 それが1997年のことだ。そこから『若いお母さん』に憧れる女性が大勢誕生する。

 一時期、女性の結婚年齢が一気に下がったのである。


 残されたのは、35歳を過ぎた当時のアンノン族のなれの果て。独身を謳歌した彼女らは、不況のただ中で結婚することもできず、若い女性が次々と結婚していくのを眺めることになる。


 そしてダメ押しとばかり、独身女性の先頭を歩いていた当の雑誌が、方針転換する。結婚した女性をターゲットにしはじめたのだ。

 このまさかの方針転換で、多くの女性が「ぐぎぎぎ」とハンカチを噛みしめたのである。


 子供のいるママ向けのライフスタイルやファッションを提唱し出したのと同時に、仕事や家庭に忙しい、子育て時期の女性たちを応援する雑誌が次々と創刊されるようになった。

 時代は、ミセスのためのクオリティライフを提唱しだしたのだ。


 さらに時代は流れると、男性を含めた親子のためのライフ、衣食住をテーマにした総合的な雑誌が出てくるようになった。

 この頃になるともう、二階に上がってはしごを外された独身女性のための雑誌はほとんど存在しなくなってきた。


 そういった流れを知っているからだろうか。

 いま通りを歩いている女性たちの姿が、もの悲しく見えてしまった。


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