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105 老人の独白

 菱前老人は写真の中の親子だけでなく、それと関わりのあるリトル東京に住む人たちも調べたらしい。

 俺が頼んだ手前、手を抜けなかったのかもしれない。


 そこで九星会の信者を見つけ、かつてヒシマエ重工で働いていた者の子孫がいたことまで突き止めたことになる。


 老人は、彼らが『復讐者』かもしれないと言った。

 復讐されるようなことをヒシマエ重工はしたのだろう。老人は語り出した。


「昔、米国でタンカーを製造していたが、途中で米国との戦が始まってのう……完成したはいいか、日本軍に使われるという理由で、接収されてしまったのだ」

 菱前老人は、当時を思い出すように、ゆっくりと語った。


「米国は個人や会社の所有についてキチッとしているイメージがありますが、勝手に持って行ったのですか?」


 当時、日本国内では、戦時体制ということで大小の輸送船やタンカーなどが軍に接収された。

 工業力に勝る米国も同じことをしていたとは思わなかった。


「正確には、一時預かりじゃな。だが、結局は帰ってこんかったよ。現地におった者たちは、すでに帰国できない状況になっておった。あとで知ったが、みな強制収容所に入れられていた」


 戦後になって何人かが帰国し、当時の様子を知ることができたらしい。


 日本人の海外渡航自由化が行われたのは1960年代前半のことだ。

 それより前は、役人や政治家などのごく限られた人しか、海外に出ることはできなかった。


 一部、ビジネスなどは例外もあったようだが、米国に残された日本人が容易に帰国できたとも思えない。


 老人が「あとで知った」というのも、戦後二十年くらい経ってからだろう。

 それだけ当時の一般国民は、海外で出ること、海外から来ることは難しかったはずだ。


「重工業をするには石油は必須ですし、自前のタンカーがないのは痛手だったのではないですか?」

 鉄を溶かす大規模な炉は、常に火を入れていなければならない。


 よそから石油を買うより、自前で調達して持ち込んだ方が安く済んだはずだ。

 だが、完成したタンカーは米国に接収された。


「なんとかやりくりしたな。何もない時代であったし、仕方ないと諦めもあった。そしてワシらが苦労している間、米国に残した社員やその家族たちもまた、苦労していたのだな」


「それがリトル東京に住んでいる人たちですか?」

 老人は重々しく頷いた。


 老人は眉間のシワを深くよせ、「今回の調査の途中で、GTM社の社員も出入りしておったわ」と言った。

 投資会社の社員がなぜ、リトル東京に出入りしたのか。


『夢』の中では、巨額銀行詐欺事件の黒幕が最後まで不明だった。

 詐欺で得た金がどこに流れたのか、だれも追うことができなかった。


 今回の動きを考えると、ひとつの仮説が成り立つ。

「九星会が、ヒシマエ重工の元社員たちを煽ったのではないでしょうか」


 菱前老人は、「復讐者」と言った。


 彼らの親や祖父母世代が元社員ならば、たしかにその可能性はある。

 だが、動機があっても一般人が大それた計画を立てられるだろうか。


 俺はそうは思わない。

 相当に優秀な者がいなければ、実現可能な計画など出てこないだろう。


 そして常人なら思いつかない作戦でも、亜門清秋ならば鼻歌交じりで思いつきそうな気がする。


「今回の黒幕は、奴らだと思っている。じゃが、お主の言う通り、計画は九星会であろう。あそこには、それができる人材がおり、世界中にコネを持っておる」

 老人も俺と同じ意見のようだ。


「とすると、金は九星会にも流れますね」

 詐欺に関わった人間は何百人もいるが、口止め料を含んだ額を渡しても、相当な金額が残るはずだ。


 双子の占い料だけで九星会が運営できているとも思えない。

 つまりこの詐欺事件は、九星会の資金調達手段の一つとして使われた可能性がある。


「リトル東京に住んでいる九星会の者はただの信者で、本部は関知していないかもしれんがな」

 その辺は想像でしかないし、ここで考えたとしても真実が分かるはずもない。


 俺は「そうですね」と同意する姿勢を見せたあとで、「ところで」と話題を変えた。

 もはや、この巨額銀行詐欺事件は終わった話だ。


 老人はこれまでの証拠をすべて保存しており、関わった人間の調査もしている。

 国を超え、ペーパーカンパニーの所在まで確かめたのだ。一気に逮捕まで持って行けることができると思う。


 つまりこのあとはもう、俺が何かしなくても、解決に向かう。

 契約時、警察に踏み込んでもらえばいいはずだ。


 俺はロサンゼルスにあるリトル東京について考えた。

 バブル崩壊後、そこの住人の多くが去り、空いた店舗に中国系や韓国系の移民が入ったという。


 どれくらいの人間が詐欺に加担したのか分からないが、去っていった彼らはすでに大金を手にし、だれも知らない場所で悠々自適の生活を送ったのかもしれない。


 それを知っている俺の上司は、数十年後、九星会と組んで同じようなことをたくらんだのではないか?

 いや、あの受注を白紙に戻すため、上司の復讐心を利用した可能性もあるか。


「そういえば、お主も話があると言っておったな」

「はい。俺の話も、実は九星会にまつわることです」


「ふむ?」


「九星会が悪事をしているようなので、本拠地へ赴いて調べようと思うのです」

「宗教団体の本部だぞ、聖域だ。調べようと思っても、簡単にできる場所ではないぞ」


「九星会の本部は聖域。たしかに俺もそう思います。ですので……」

 俺は計画を説明した。


 十年後、当時の首相が『聖域なき改革』をスローガンにする。

 この時代だと、警察組織すら踏み込めないような場所として『聖域』という言葉が使われていた。


 何しろ、この時代はアンタッチャブルな組織はいくつもあった。

 暴力団組織や宗教団体は、聖域の塊と言っていい。


 だからこそ俺は、向かう必要があるのだと老人を説得した。

「危険過ぎる」


 俺の話を聞いた老人がそんな懸念を示した。

「ええ、ですから……」


 俺は計画の続きを話した。

「できるのか?」


「できると思います。つきましては、九星会の息がかかっていない組織に声をかけたいのですが」

「ふむ。そういうことならば紹介できるが……危険だぞ」


「この夏休みのうちに、やっておくべきだと思ったのです」

 俺の言葉に老人はなかなか首肯しない。


 だが、最後は「やってみるがよい。できるだけ支援しよう」と言ってくれた。

「ありがとうございます」


 これで安心して九星会の本拠地に突撃できる。

 問題は、亜門清秋が帰郷しているかどうかだが、そうならないことを俺は祈るしかないのである。


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