神宮司あやめはずっと昏睡状態だったが、サクラメントの病院で目を覚ました。
もう二度と目を覚まさないのかと、名出琴衣は安堵のあまり大粒の涙を流したほどだ。
そして、あやめから聞いた衝撃的な話。
エネルギー不足に端を発した第三次世界大戦を望んでいる勢力がいて、ミスターはそれを妨害しうる存在と思われて排除されたのではないかと。
まるで陰謀論のような話だが、今現在もミスターが落札した工場建設は遅れに遅れている。
あやめが退院したいまになっても、工事の着工には至っていなかった。
たしかにこのままでは、どれほど素晴らしいエネルギー構想でも机上の空論。
このままでは、戦争を望む者の思惑通りとなってしまうだろう。それゆえ琴衣は戦うことにした。
「……ふう~」
琴衣は緊張して、大きく息を吐き出した。
スマートフォンを見ると、長年の友人であり今回の戦友でもある吉兆院優馬から激励の言葉が届いていた。
もっともいつも通りの「がんばってね。応援しているよ」という軽いものだったが。
「今日が正念場よね!」
特別背任容疑で捕まったミスターはすでに起訴され、裁判がはじまっている。
公判はおよそ月に一度。平均的なペースだ。
月日が経つにしたがって、マスコミの関心が薄れてきた。
このままひっそりとミスターの有罪が決まってしまうのではないか。琴衣はそんな焦燥にかられた。
ゆえに直接動くことにしたのだ。証拠を集めた結果、ミスターは冤罪であることがほぼ確定した。
そうなるとなぜ、荘和コーポレーションはミスターに罪を着せたのか。そこが問題となる。
表だって調べると、証拠を消されるおそれがある。そう思った琴衣は、優馬と協力して一番怪しいと思われるミスターの上司を調べた。
今日はこれまでの結果を検察に話し、集めた証拠をすべて提出することにした。
「電話で予約しました、名出琴衣です。本日十四時から検事正の横田様との面会する予定になっております」
受付の「ただいま確認しますので、お待ちください」の声を聞いて、琴衣はもう一度大きく息を吐き出した。
「……というわけで、彼の冤罪は明らかです。私はこれらの証拠すべてを彼の弁護士に渡しました」
時間にしておよそ四十五分間。琴衣は理論整然と話した。練習した甲斐があったというものだ。
もしこれで検察側が納得してくれなければ、裁判の判決を待つ必要がある。
有罪か無罪。どちらに決まっても、控訴が行われれば高裁の判決が出るまで数年はかかる。
琴衣としては、裁判で白黒つけるのではなく、検察側が冤罪だったことを認め、真犯人を逮捕してほしいと思っている。
相手を変えて裁判を継続するなりなんなりすればいいだろうと。
「…………」
検事正は腕を組み、無言で資料を眺めている。
これを認めればミスターは釈放されるし、認めないならば、最低でも高裁の判決まではいくだろう。
つまりここは正念場なのだ。
「……分かった。たしかにこのまま行けば、公判を維持するのは難しいかもしれない。もう一度、事件について調べ直そう」
「……っ」
琴衣はホッとして、ひじかけに体重をあずけた。
「そういえばあなたは、何度も彼の無実をマスコミに訴えかけていますね」
「はい。彼と戦ったからこそ分かります。彼は世間に言われているような悪事に手を染める人物ではないと」
「……そうですか。我々も公判を維持していくために証拠や証人を精査してきました。証拠はまあ……おかしいところがいくつかありましたね。それと証人ですが……はなから彼を犯罪者と決めつけているような感じが見て取れました。企業犯罪を捜査していると分かるんですが、証人はだいたい、罪におののき、罪を憎むんですよ」
「……はあ」
「今回の事件は特殊でして、証人すべてが彼一人に焦点を当てているというか、彼が憎いために証言している。そんな印象を受けました。ですが、彼は証人との接点などほとんどないんですよね。なんとも不思議な事件だと思っていたところに、奥津利明ですか。話を聞いてなるほどと思った次第ですよ」
琴衣はあやめの介護を優先したため、優馬がミスターの上司を徹底的に調べた。
上司とつながりのある人物を追っていくと、いくつかのねつ造された証拠と深く関わりのある人物と会っていることが分かった。
裏でこっそり、証拠のねつ造元と会っていることが判明したのだ。これが切り札となった。
これらをマスコミに向けて発表しても、裁判でどう転ぶか分からない。
ならば証拠で検察官を説得し、ミスターを釈放させようと考えたのだ。
「では彼は、釈放されるのですね」
「そうですね。こちらで裏取りが終了しているのもありますし、二、三追加で裏取りができれば、彼に対しての起訴は取り下げられるでしょう」
「……よかった」
裁判の判決を待たずして、彼は釈放される。
琴衣は安堵の息を吐いた。
琴衣が証拠を検察側に提出してから一ヶ月も経たないうちに、起訴は取り下げられることが決まった。
「よかった。ミスターが出てくるわ」
琴衣たちの完全勝利である。
「このあと、ミスターと接触するんだっけ?」
優馬の言葉に琴衣は頷く。
「ええ、エネルギー不足による第三次世界大戦……リミットはもうあまりないわ。ミスターの力を借りるつもり」
いまは夏。
エネルギー戦争とあまり関係のない日本ですら、人々は電力不足にアップアップしている現状だ。
途上国のふるまいと、それを助長させる共産国。
資本主義国の我慢はもう、限界に来ていた。
「エネルギー消費需要が上がる冬がリミットだよね」
「そうだと思う。だからこそ、ミスターに知恵を借りるのよ」
自分を嵌めた者たちが何を考え、なぜこんなことをしたのか知ったら、彼は激昂して、自分が持つ力のすべてを使って復讐するだろう。
彼らの目的を打ち砕くために、全力を尽くすはずだ。
だからこそ、琴衣はミスターと会って話す必要があった。
「じゃ、行ってくるわ」
今日はミスターが釈放される日。
それゆえ、琴衣は多少浮かれていた。
(会ったら何を話そうかしら。いえ、まずは、「はじめまして」からよね)
タクシーで立川の拘置所へ向かう途中、琴衣は外の景色を眺めながら、彼との会話のシミュレーションを欠かさなかった。
(絶対に「なんだね、キミは」って言うわ。そして「余計なことをしてくれたな」って不機嫌になるかもしれない……ふふっ)
ミスターの言いそうなことがいくつも頭に浮かび、琴衣は笑みを浮かべた。
「……ええっ!? もう出てしまったんですか?」
タクシーを降り、拘置所の守衛に確認したところ、ミスターは数分前に出ていってしまったという。
「迎えはいなかったから、あっちに向かって一人で歩いていったよ。まだ二、三分前だ。すぐに追いつけるだろう」
「そうですか。ありがとうございます。追いかけてみます」
(今年はローヒールが流行っていてよかったわ)
琴衣は足どり軽く、ミスターが歩いた方角へ駆け出した。
(それにしても暑いわ。早く見つけて、涼しいところに避難したいわね)
ミスターに会ったら、何を話そう。話したいことはいっぱいある。
(早く会えないかな……)
日差しがとても眩しかった。