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118 俺のやりたいこと

 米国では、すでにサブプライムローンが始まっているようだ。

 と言っても、そういうローンの商品名があるわけではない。


 返済能力が高い顧客を「プライム」とした場合、低い顧客を「サブプライム」と呼ぶようになる。

 つまりサブプライムローンとは、信用度の低い人たちのローンということだ。


「たしかにあれは、ハイリスクではありますが、ハイリターンですね」

「まあ、そういう部分を考えないでもなかったが、住宅を諦めざるを得ない者たちにも夢を与えたいと思うたのだ」


「なるほど……米国の話になりますが、彼らがローンを組めたカラクリは三つあります。一つが担保を設定すること。自動車ローンや住宅ローンだと、車や家が担保になりますね」

「当然のことじゃな」


「二つ目が、初期の支払いを遅らせるか少額にしたこと。もしくはしばらく利息だけの支払いにして、債務者が出世したり給与が上がった頃に本格的な支払いにしたこと。実質的にローンの返済猶予ですね」

「そもそもいま手元に現金がない者に現物を先に与えるのがローンじゃが、そのサブプライムローンはその先をゆくのじゃな」


 品物が先、お金があとのローンに加えて、それすら出世してからの支払いとなる。

 飛びつく人は多いだろう。


「三つ目は審査基準を緩く設定したことです。本来ならば信用スコアが足らずに落ちるところをその緩さのおかげで救われた形になります。以上の三つが、低所得者でもローンを組めたカラクリなのですが……」


「問題があるということじゃな?」

「俺からしたら、問題ありまくりのローンです。一つ目は、そもそも住宅価格の下落を想定していません。担保価値がなくなった場合、どうなるのか、だれも考えていないのでしょう」


「住宅価格が下がったら、元本割れをおこすか」

 菱前老人は、すぐに俺の言いたいことを理解した。


「二つ目も同じです。ずっと給与が上がる、出世するなんてだれにも分かりません。不確実な出世をローン返済に組み込んでいます。そして最後。審査の甘さが致命的です。このローンが流行れば、何もなくても返済が滞る者にまで貸し出すようになるでしょう」


「最初から焦げ付くことが目に見えているのか……じゃが、その点をもう少し注意すれば……そもそも米国と日本は違うのではないか?」

 老人の言葉に、俺は首を横に振った。


「そのうち日本でも、同じ事を考える人が必ずでてきます。そして痛い目を見ます」

 リーマンショックが大きすぎて日本ではほとんど話題にならなかったが、実は日本でも同じようなローンが存在していたのだ。


 その名も「ゆとりローン」。いかにも返済できそうにない名前だ。「ステップローン」ともいう。

 はじまりは1993年。つまり今から二年後。このローンは、米国のサブプライムローンと同じように返済が焦げ付く者が続出した。


 1993年といったらバブル崩壊が叫ばれるころだ。これまで信じられてきた土地神話が崩壊。

 年功序列制と終身雇用制だって崩壊する。そんな社会の中で、信用度の低い者がローンなど支払えるはずがない。


 担保価値がみるみる減っていき、給与は変わらないか減少する。

 なのに支払金額だけは、グングンと上がっていくわけだ。


『夢』の中でだが、俺の周囲にもローンの借り換えに奔走する社員を何人も見た。

 テレビでもよく特集を組んでいた。そう、「よく」特集を組むほど一般的な問題だったのだ。


「日本でも同じか……」

「はい。間違いありません。それでも東京やその近郊で家を買った人はまだマシですけどね」


「そうなのか?」

「担保となった住宅やマンションを売ることができます。ただし、それを売ってもローンの返済には足りませんが」


 とにかくテレビでよく聴いたフレーズ。『家を売ってローンだけが残った』

 それだけ住宅価格が下落したのだ。当時、このフレーズを聴いたことがない人はいないだろう。


 真面目に働いてせっせとローンを返していき、途中で支払えなくなって家を売る。

 そうしたら当初思っていた数分の一の価格でしか売れず、ローンだけが残ってしまったという残酷な話だ。


「そうか、無理か。ままならんものだな」

 老人は、夢が破れたような顔をした。




 家に帰った俺は、先ほどの話を思い出していた。

「菱前老人でも、日本経済の先が読めないか」


 信用スコアが足らない者でもローンが組めるとなれば、たしかに顧客の新規開拓になる。

 ただしそれにはリスクが伴う。


 銀行はリスクを取りたくないから、不動産担保ローンとして証券化することになる。

 これは国債や地方債、社債、外債などと同じだ。


 時代が進めばデジタル証券化の道もあるが、いまはまだそこまで行っていない。

 そして債券の価格変動リスクと、破綻する可能性を含んだ信用リスクのことを十分知らずに顧客は購入することになる。


「……行くか、東大」

 亜門清秋が入学する東大には絶対に近づくつもりはなかったが、ヤツが外国に逃亡して、その問題は解決した。


 当時、俺は東大の教授からこう言われた。

「常に論理的思考を優先するキミの場合、研究者が向いていると思う」


 俺は一生研究室で本を読んで暮らすなんてまっぴらだと思っていたので、教授の薦める大学院へは進まなかった。

 民間企業に入って、俺の力を見せつけるのだと考えていた。


 だがいまならどうだろうか。

「それも悪くないな」


 リーマンショックが起こるのは2008年。その頃俺は、32歳になっている。

 以前、趣味でこの先の経済の流れを発表しようと考えたことがあったが、それを本格的に……仕事にしてみたらどうだろうか。


 大学の教授となって、学生に経済を教えるのだ。

 同時に、これからの日本、世界における流れを論文や本にしてもいい。


 警鐘を鳴らし続ければ、『夢』とは違う方向へ舵が切れるかもしれない。

 それに俺の教え子たちが、違う未来を切り開いてくれるかもしれない。


 亜門清秋は一人だ。ヤツは天才過ぎるゆえに、同レベルの仲間がいなかった。

 俺は仲間を増やせばいい。


 学生一人一人の力は弱いかもしれない。

 だがそれが百人、千人と集まれば、清秋の野望を挫ける力となるのではないか?


 あの閉塞感のある大戦直前のような雰囲気の世界ではなく、もっと明るい未来へ導けるかもしれない。

「……よし、やるか」


 俺の将来の目標が決まったような気がした。


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