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金銭恋愛マッチング07

「女子は男の理想通りではないんですよ。体育で体操着に着替えるとき、制服を脱いで見えるのはブラジャーではなくタンクトップがほとんど。タンクトップの上に体操着を着る。下もスカートの中で着替えるから同じ女子でも見えない。水泳の授業でスク水に着替える時も同じ。大きなタオルを巻いて女子同士でさえ見えないように着替えるのが当たり前。男子が更衣室の向こうに夢見て想像で鼻血出しても意味はない。着物や浴衣の下は下着を着ないという幻の噂を信じている男もいるらしいけど、普通に下着は履いているし見えないように肌着も着ている。便利な世の中には需要に沿って衣服も進化して売られている。女に幻想を抱かないでほしいの。生物としての女のことを男は一ミリも理解していないけど、こっちは男のことを手のひらで転がすように分かる。分かりやすい。考えも、行動も。性も欲望も。単純すぎる」


「なるほど。いい意見だ。少なくとも俺は女に幻想など抱いていないが、多くの男はそれに当てはまるかもしれないとつい最近考えたばかりだ。俺の知見を確信させる言葉だ。ありがとうな」



 肯定されて機嫌を良くした。焼酎を追加で注文した。まだ飲むのか。



 酔っぱらいの相手は誰だろうと大変である。魅惑的な美女であっても。もうコイツの恋人だけど。



 物事が落ち着いてから俺は山本とユイを向かい側に座って飲み会を開いていた。開いたのは友人のヤクザの幹部様。俺も一応招待客。しかし、どう考えても俺はお邪魔虫。俺をこの場に巻き込み、同席させた。悪い予感しかしない。タカの奢りだと聞いてやってきたのに、金を出すはずの本人がいない。これが全てを物語っている。結局騙されて全額俺が払うのではないかと心配していた。料理の値段を予想してピタリ賞を当てるしかない。他に客がいない隠れ家の中の隠れ家、敷居と値段が高い居酒屋。俺の小遣いでは足りない。



「創さん、請求は全部こっちで受けるそうなんで気にせずに楽しんでください」



 俺が心配そうな顔をしていたのを察したのか、山本は笑顔で言った。それが世界一恐ろしい言葉であることをたぶん知らないで。純粋にお世話になったからお礼をしますって、意味なんだろうけど。この場は支払いはツケて後日タカが払う、もしくは請求を組に回す。ますます箸が進まない情報だ。タカ個人のおごりなら友人だからなんとか目をつむれるが堂々とヤクザの金で奢ります! 遠慮せずに! と言われて遠慮なく食えるわけがない。目の前の気持ちよくお酒を楽しんでいる女の子の話し相手になるのが精々だ。最低限にしておこう。あとでどんな因縁をつけられるかもわからない。気軽にメニューに書かれているオススメを頼んだら一発アウトかもしれない。酒もどこで手に入れて入荷しているかわからない。明らかにここは普通の店ではない。やはり自分の飲食代は自分で払うべきか。目の前にしている団体は敵ではないが味方でもないのは確か。いつ敵と認識されて死より恐ろしい目に遭うかわからない。それなら今のうちにいっそのこと逃げようか。成哉の子供たちと街を駆け回っていたほうがどれだけ楽だろうかと思った。いろんなことを知りたくもないのによく知っているから余計に。こっちサイドに頻繁に関わりすぎた。少し距離を取った方がいい。



「創さん、のまないれふかぁ?」


「ああ、飲んでいるよ。大丈夫」



 彼女の本名は風嵐(かざらし)結だった。風嵐は全国に四〜五十人くらいしかいない名字で、その半数は北海道に住んでいるらしい。ダサくてカッコ悪いから使いたくないと彼女は言うが、俺はいい名前だと思う。



 それにしても本名をそのまま「ユイ」とハンドルネームにしていたとは思わなかった。昔と今のネットに対する見方、捉え方、使い方、価値観、全て変わったことが改めてわかる。



 事件が終わった翌日、二件の電話があった。番号を表示せず、非通知でもない電話。これは王子様から。直接電話がかかってくるなど、百年に一度の大災害に違いないので俺は緊迫した。



「創か。気になっているだろうから結果を話す。例の女、ラーメン屋に就職した。彼女は寸胴でスープを作るわけでも、麺の湯切りをするわけでもない。調理だ。今のラーメン屋はラーメン以外のメニューがたくさんある。中華屋に近い。昔の中華屋を懐かしいとかノスタルジックとか言って求めるんだろう。調理担当だと伝えると契約書にサインした。ガールズのルールについてはこれから教える」


「なんだよ、ずいぶんとおしゃべりじゃないか。寂しかった?」


「切るぞ」


「悪かった、悪かった。お前も大きなおっぱい美少女の近況報告がしたかっただけじゃないだろ?」


「ああ。お前の策略のせいで不覚にも直接顔を出すことになった。人手を確保できたのはいいが、わざわざ俺様が出ていく必要があったとは思えない。おかげで女の契約にも同席するハメになった。これまでずっと若者を受け入れてきたが、ここまで手取り足取り俺様が世話をしたことはない。お前は俺様のことをなにか便利なひみつ道具と勘違いしてないか。頼めば最後は何とかしてくれる。逆転の切り札みたいに」



 俺様を強調するな。俺にお灸を据えたかったのか。



「そんなことないよ。俺はいつだって成哉のことを尊敬しているし、大切な友人だし、信頼してる。また今度飯でも行こうぜ」


「考えておく」



 電話が切れた。やれやれ。



 それからすぐに電話が鳴った。こっちは電話番号と登録の名前が表示される。



「おい、組への風当たりが強くなったじゃねぇか」


「元気そうだな、イーグルス・タカ。お前らのお家の風当たりが強いのはいつものことじゃない。ちょっとネットニュースで話題になったくらいじゃ何も変わらないだろ? 風当たりが強くなったんなら、そうだな、屋根が飛ばないように強風対策はしておけ。ほらでも、逆によかったろ。これで世の中の人に忘れられないで済む。裏社会に君臨する脅威の氷永会。軽んじられることも、気軽に手を出せそうだと軽視されることも減る。威厳を取り戻せたんだから、よかったじゃないか」


「よくねえ! 俺が使っていいと言ったのは山本を人手として使っていいって意味だ! 俺たちの名前を勝手に使いやがって!」



 そういう話か。



「なんだよ、抗議の電話か? これで二本目だな。切るよ?」


「待て。今度食事会を開く。奢るから来い。山本カップルも一緒だ。意味、わかるな?」


「……ああ。わかったよ。場所と日時が決まったらメールしてくれ。予定を空けておく」



 それでのこのこやってきて食事と酒が出てきたのはいいけど、主催のゴールデンイーグルスがいない。あの鷹は何をしているんだと思って少し待ったがこれは初めから来るつもりなかったのだと店の雰囲気ですぐにわかった。怯んでしまった俺はお通しと一杯目のビールに口をつけて凌ぎ、あとはふたりに合わせてごまかした。既に囲まれているようなものだったので、あっという間に囲まれて拉致されてもおかしくない。「好きに使ってくれ」の承諾の言葉を広く捉えたことがこんなに良くなかったとは。文字通り言葉も高価な食事も喉を通らなかったが、笑ってやり過ごそうとした。笑えなかったが。



 そんな時のその次。カラカラと音がした。



 本命。暴れん坊将軍のテーマが流れた。俺の頭の中で。


 店の扉を自分で開け、あとからぞろぞろ入ってくる黒服についてくるなと言いながらやってきたその方は、山本が所属する組織のてっぺん。支配者。氷永会のボス、氷永正(ただし)。夜風を味方につけて、威厳と極道の文字をバックに降臨。知らない人が見たら、白髪をアクセントにした若さをいつまでも忘れないイケてるおじ様かもしれないが、俺は焦るばかりだった。嫌な予感が丸々的中した。いつだったか屋敷の奥で対面した時は戦国武将さながらの静かな圧力を纏う和服姿だった。今は厳つさを感じさせない温和な笑顔。正月に孫に会ったときのようである。無論、俺は孫ではない。こへはタカの陰謀か、それとも正さんのご意思か。どちらにしてもまさかの事態である。なんてこった。



 さすがの山本も慌てて頭を下げる。そのまま上げることができない。俺も直接会うのは数年ぶり。コロナの時に、いや、その前だから少なくとも五年は会ってないか。ユイは何のことだかわからないという顔をしていた。



「ああ、お食事中申し訳ない。実は今日ここに来るはずだった弟のタカが来れなくなったんで代わりにお邪魔しても構わないかなと。いや……タカで合っていたっけ。おい、アイツの普段の名前はタカだったか。ヒダカか、ハヤブサか?」


「はぁい。表名がヒダカ、裏名がハヤブサ、通り名がタカさんでぇす。通り名がタカさんなのでそこからタカのつく航空母艦、隼鷹型航空母艦一番艦隼鷹と二番艦飛鷹二隻の頭二文字を取って表名ヒダカ裏名ハヤブサ通り名タカさんでぇす。隼鷹はジュンヨウと読みますが、隼はハヤブサとも読みまぁす。ちなみに隼鷹は猛禽類のハヤブサとタカが名前の由来でぇす。一部の資料では飛鷹型航空母艦一番艦飛鷹、二番艦隼鷹でぇす。建造番号からタカさんの使用コードネームは10011002をランダムで使用しまぁす」


「くわしいな、おい」


「はぁい。ありがとうございまぁす」



 詳らかに全部話して良かったのか。絶対に聞いてはいけなかった情報が含まれていた気がするのは気のせいか。



「隣、失礼してもいいかな」と、正さんは俺の隣に座った。向かいの二席は既にカップルが座って空いていない。必然だった。俺は当然のように生きている心地がしなかった。正さんは焼酎を頼み、楽しそうに笑いながら刺身とかを勧めてきた。もちろん勧められた食べ物は残さず全部食べた。偉い。俺が支払う心配はもう完全になくなったとも言える。なんでも好きなものが食べ放題だが、その前にストレスで胃が潰れないか心配である。



「一杯、どうだ」



 これがこの日一番の山場、峠であった。三匹の中から好きなのを選ぶのじゃの選択肢が、憂虞(ゆうぐ)、憂悚(ゆうしょう)、憂惕(ゆうてき)じゃ。どれもいいぞ。最初の一匹となる。って、どれも同じじゃねえか。



「いや、それは、すみません。不敬とか、無礼とか、飲めないとか、そういうのではなくて、さすがに。いくらオフレコとはいえ、やっぱり」


「交わすわけじゃない。私が君に勧めるだけだ」


「そうなるとそのあと俺がお酌しないわけにはいかないじゃないですか。自分のは自分で飲みます。本当にありがとうございます。ごちそうさまでございます(?)」



 変な敬語になってしまってしまったと思ったが、笑い飛ばしてくれた。自分のペースで飲む時代だ。強要は良くなかったなと、乾杯ならいいだろ? と言われて乾杯した。俺はあくまで招待客扱いか。



「創くんからなら酒を貰えると思ったが、やはりこの立場はたまに邪魔をする。寂しいかな。ここのところ私の相手をしてくれるのがめっきりいなくなっちゃって。なんとなく寂しいんだ」


「えー、おじ様寂しいんですか〜? かんぱーい!」


「おい、おまえ、バカ」


「かんぱーい!」



 ……それは素ですか、作ってますか。読めない人だ。



「良い娘(こ)じゃないか。それでいい。何も知らなければ、何も知ろうとしなければそこに意味は生まれない。誰も求めなければそこに意味はない。一緒に酒を飲むくらい私は咎めたりしないし、許してほしいとも思う。こんなにステキで綺麗なお嬢さんと食事を共にできるのは久しい。山本はいい恋人を迎えたな」


「はい。ありがとうございます。ありがたい限りで」



 山本は頑張って受け答えしたり、唯一酒を貰ったり献上したりしているできるから自然と回数も多くなる。心の焦りは俺よりヤバそう。見えない汗がアニメのように流れている。飯もあまり手につかずお通しの漬け物しか食べてないのでは。せっかくなので俺はもっと食べておこう。この人たちの間だと食事も何か契約とか、意義とか、契りとか、何か意味があったりルールがあるのかもしれないが、全てを支配してコントロールしているおじ様が無礼講だ、楽しみたまえとおっしゃるのだ。組長様に奢ってもらえるなんて人生を三回繰り返しても機会が巡ってくることはないだろう。つまり俺は四周目ということか。前世の記憶はない。



「創くん、悪かったな」 


「えっ?」



 俺は素っ頓狂な声だし、口を押さえた。



「タカが山本の問題を持ち込んだことが始まりだと聞いた。面倒をかけた。タカの奴はお前のことをいつも頼りにして泣きついている姿をよく見る。ハハハ、まったくバカ者だ、あの野郎は。君はどう思っている。やはり面倒か。我々に関わることは重責か」



 このときばかりは本当のことを素直に言おうと思った。正さんだからじゃない。きっと相手が誰であってもこの類いの質問には同じように答えただろう。



「いえ、それは関係ありません。彼は大切な友人です。俺は友人が多くないのでなおさら。友人が困っていたら助けたいし、悩みがあるなら一緒に悩んでやりたい。たとえどんな境遇でも、どんな場所にいて、どんなことをしていても、俺の友人であることに変わりはありません。心の底から信頼できるのは数少ない友人だけですから」



 正さんはしっかりと聞いてくれた。そして返事をしてくれた。



「そのとおりだな。仲間を、友を大切にするのは大事なことだ。我々のような者でもそれはとても大切にしている。一番大事なことだ。悲しいことにたまに裏切る奴がいる。それはこれまでの関係を無かったことにし、それまで信頼して信用してきた者たちを騙して逆なでることだ。自ら願い出て辞めるのでえればそれは悪いことではない。自分の判断と決意、覚悟だろうから。一度誓ったことに背くことは許されないのは、どの世界でも同じだ。夫婦でも、友との小さな約束でも。うむ、君と話ができて良かった。つい長居してしまったな。私はそろそろ、ここらで」



 正さんが立ち上がると黒服の道ができ、店の人たちが皆頭を下げた。



「夜はいつも長い。有意義に。それでは」



 以上、今回の結末。



 生きた心地がしなかったので、最後は娘の話で締めようと思う。






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