親のいない家庭と聞いてどう思うだろうか。学校に行けない子どもと聞いてどう思うだろうか。引きこもりと聞いてどう思うだろうか。普通ではない家と聞いて普通とは何かを考えるだろうか。多様性の社会だから許されるのか。昭和だから仕方がないと言われるのか。失われた時代だからやむを得ないのか。誰が誰を決定することができて、誰が誰と生きていくことを決められるのだろうか。友人になるとは、恋人になるとは、家族ではない人間と家族になることは、果たして誰が誰を誰のことをどう思うのが正解で正しいのだろうか。そんなことを、俺は考えてもいいのだろうか。
俺は北海道根室市で健康に生まれた。生後3カ月で生みの父親の仕事の都合で札幌に移り、以降ずっと札幌に住んでいる。だから、札幌で生まれて育ったと思っている。
家庭は経済的に安定し、勉強も遊びも習い事も与えられた。何不自由なく育った。世の家庭と異なる点があるとすれば、それはこの家庭が生まれの親の家庭では無かったという、それだけの違いを抱えていた事だろう。当事者本人である俺ですら、今も昔もそのように思う。
きっと俺が思うに、これを聞いた誰かが〝何かが違う〟と思うかもしれない事が、周りと己の価値観を歪めているのだろう。俺がこの育ての親と生みの親が違う事が世の家庭とは違うのだと、他の人間とは違うのだということを知ったのは小学五年生の時だった。知るにはなかなかに遅かった。
俺にとって、この家族の形は当たり前だった。俺を産み、名前を付けてくれた「茨戸」姓の親は別の所に住んでいること。今一緒に住んでいる親もまた別に俺の家にいること。当たり前だった。そういう物だと理解していた。
育ての親の姓は「伏見」と言った。俺は生まれの親に「茨戸創」と名付けられたので、「伏見」は使わずに「茨戸創」を使ってきた。育ての親は、俺の家族である母親と父親は俺の前ではあまり「伏見」を使わなかった。子供である俺を守るために。気を使った、というのが世間的な言い訳だろうか。
バレたのは授業参観の時だった。電話が鳴り、「すいません」と廊下に出て母が電話をした。その時に「もしもし、伏見です」と言ったのを地獄耳の誰かが聞いていた。それを休み時間、俺に対して同級生が「お前さ、お前の母ちゃんと名字違うのかよ。ってことはよ、親が違うってことだろ?そうだろ?不倫して離婚して再婚なんじゃねぇの?きもいわー」みたいな余計なことを言った。小学生とは余計なことを知り、余計なことを学び、余計なことをする生き物であると、俺の常識には当てはまらない同級生の価値観と言葉に眉間に
俺はどう返答してよいか分からなかった。自分の事はどう言われても良い。しかし、俺の家族が悪く言われるのは納得できない。だが、まだ十代を始めた頃の俺では正しい言葉が見つからなかった。余計なことを言えば、感情に身を任せて言葉を言えば、それは相手にとって好都合だという事が分かっていたから反論出来なかった。ただ、下を向いて
このガキが言ったことは事実ではない。しかし、時として事実ではないことが事実であるように話が広まることを俺は既に知っていた。それを恐れた。だから、言い淀んだ。だから俺の反論、感情的な言葉はこのガキ共には好都合なのだ。相手の鼻水小僧はこの事を理解しているのかしていないのか分からないが、優位な立場にあることだけは理解しているようであった。私が黙って苦虫を噛み潰していること。それはガキ共には好都合だと、それぐらいは分かっているかもしれなかった。「おらおら〜どうしたんだよだんまりかぁ?」ヤクザの台詞かよと、思った。だから、二十年後にはヤクザと関係を深めてヤクザのセリフを毎日聞いているとは思わなかっただろう。トラブルばかりに顔を出してはそうなるのだということを、この時の俺に言って聞かせてやりたい。無意味だろうけど。
「不倫」というその言葉は他のクラスメイト、小学生には衝撃的であるようだった。次々にこちらを指差した……ことはなかったが口コミで伝播していった。この当時はまだスマホはなく、子供用ケータイをひとりかふたり持っているかどうかだった。小さな紙が俺以外のクラスメイトで回される。俺はそれを見て「ああ、噂そのものは何でも良かったんだな。きっと、俺は前から
イジメというのは些細なことで起こるものだろうと予感はしていた。しかし、現実はどちらかと言うと前々から抱えていた些細な「なんとなく気にいらない」の感情がふと形になった結果だという事を知った。教科書には書いていない、集団社会生活において学ぶことができたいい勉強。これで満足か。教育委員会は。
フィクションにおける物語の主人公はなんでいつも親がいないのばかりなんだよ、と云う意見を目にするが、俺の場合で言えば言わなかっただけで居なかったわけではない。家庭はあったし、親もいる。生みの親とは家族になれなかった。それだけなのだ。何がおかしいのだろうか。「茨戸」の親は俺に対して愛情はある。注いでくれている。俺はそれを受け止めている。「伏見」の親も愛情を注いでくれいる。ただ、一緒に住めなかった。「伏見」の親とも四六時中仲良く暮らすことはなかった。親切にしてくれる大人という、形式的には家族という存在だとしか思っていなかったからだ。俺は家と家以外を転々とし、寝る時は帰った。俺に居場所はどこにもない。
生みの親は必死に親になろうとした。でも、なれなかった。どうしても親である理想の姿を決めてしまい、世の中が思い描いたような親が親だと思ったから出来なかった。誰でも同じ様な親になれるわけではない。最初から育児をせずに放置する家庭もいる。生みの親の両親、おじいちゃんおばあちゃんに丸投げもいる。でも創の親はそうではなく、必死に頑張った(本人はそう言うであろう)が親になれなかった。思い悩み、心身を痛めた。
育児ノイローゼ。
子供のために家族になることを断念した。それが俺の家庭だ。生みも育てもどちらも俺の親だ。何がおかしい。なぜ謂れのない、根拠のない憶測で俺の居場所が無くなるのだ。小学生の子供がそう思うのは無理もなかった。言うて、まだ子供。幼い。どれだけ達観していても、洞察力があっても、この理不尽に耐えるのにはなかなか時間を要した。
育ての親は責任を感じてか、俺を案じてか違う学校へと転校させた。俺も同意した。もちろん、次の学校でもまた同じ事が繰り返される懸念を拭えず、不安ではあった。しかし一度リセットできる。人間関係は作れるから壊れるが、中々切れない。元同級生、同じクラスだったという履歴は消えない。人生の選択肢は、生きる道や環境は一つではないと言うが、それは未来の話だ。俺の場合、新たに用意された道は全部険しい山道だった事は言うまでもない。
歩いてきた足跡を消してリセットする事が非常に難しいのは良く分かっている。砂をかけて見えなくしても風が吹いて風化すればまた露わになる。だから、転校は機転。とりあえずだとしても、このような選択肢が用意されたのは幸運だと素直に思った。転校をした。前述の通り、小学五年生の時である。