その晩、わたしはいつものように佑樹と軽い食事をしてアパートに帰った。今日ばかりは佑樹に泊まっていって欲しかった。
でもいつ沢村さんから連絡が来るかわからない。佑樹はわたしの頬に軽く口づけをして自分の住むマンションに戻っていった。もしもの時にはマイカーで駆けつけるつもりだと言った。
わたしは薄暗い部屋の中でぼんやりとテレビを観ていた。沈黙が怖かったのだ。テレビの中ではお笑いコンビが何かを一生懸命やっていたが、内容までは頭に入ってこなかった。
軽快にユニットバスのお湯張りチャイムが鳴る。今日は疲れていた。ゆっくりと湯船に浸かりたい。
わたしは浴槽で身体を温めた。そして湯船から上がる。シャワーを出してお湯で髪を濯ぐ。両手の指でシャンプーを髪と地肌にすり込む。良い気持ちだ。
そのとき、ふと背後にひとの気配を感じた。うそ。誰もいないよ。いるわけないじゃん。だって、だって佑樹はマンションに帰ったはずだし・・・・・・でもすぐうしろに誰かいる。いるみたい。見たくない。怖くて見れないよ!
わたしは急いでシャンプーをシャワーで洗い流そうとした。きっと恐怖で指が震えていたのだろう。シャワーのお湯が上下左右に小刻みに揺れた。髪から滴がしたたり落ちる。気のせい。そうよ。気のせいだったら!
怖い、怖い、怖い。わたしは恐る恐る背後の床だけに視線を動かした。そこにわたしが見たものは・・・・・・見たものは・・・・・・二本の白い女の素足だった!
「ぎゃああああああ!」わたしは自分の頭を抱えこんで大声で叫んだ。「やだやだやだ!あっち行って!あっち行って!来ないでお願い!来ないで!」
そのとき玄関のドアを強く叩く音がした。そしてガチャガチャとドアノブを回す音がする。そして足音が近づいてくる。
「なっちゃん。どうした!だいじょうぶ?」
佑樹の声だった。勇気を振り絞って振り向いてみる。背後には誰もいなかった。いやいるはずのない誰かが。絶対にいたはずなのに・・・・・・誰もいなかった。ちょっとわたしどうかしてるの?
バスルームのドアを開ける。そこには佑樹が立っていた。わたしは一糸まとわぬ濡れた身体で抱きついた。「怖かった。佑樹、怖かったよぉ」
あまりの恐怖で前歯がガチガチと音を立てて鳴った。膝がガクガクと震える。そして涙がとめどなく流れ落ちた。
「何があったんだ?」
佑樹がわたしの顔をのぞき込んだ。
信じてもらえるだろうか。わたしは言葉を飲み込んだ。幻覚を見たのか。ううん違う。
「お・・・・・・女。わたしの後ろに、立ってた」
わたしは佑樹の胸に顔を埋める。心臓が止まりそう。信じてくれる?
佑樹はわたしの裸の体を抱きしめて、バスルームに目を落とした。
「・・・・・・信じるよ」
排水溝にいく筋もの長い黒髪が流れていた。それはわたしの髪の長さではなかったのだ。
「すぐあの村に行こう」
「え、今から?」
佑樹は頷いた。
「県警から電話があったんだ。車が谷底でみつかったんだって。すぐにきみに連絡を入れたんだけど繋がらなくてさ」
「うん。すぐに支度する」
お風呂に入っていたから着信音が聞こえなかったのだ。
わたしはあてて身支度をするためにクローゼットに走った。もちろんその間、佑樹の腕を決して離そうとは思わなかった。
何も身につけていない恥ずかしさよりも、すさまじい恐怖の方が勝っていたから。