「かかってこいよ」
試しに挑発してみたが、血の滴るの音が洞窟内に響くだけで、ガーディアンはのってこなかった。
空気が重い。
岩壁から落ちる砂塵が、足元で舞い、かすかなざらつきが靴底に触れる。
洞窟内が、嵐の前の静けさのように張り詰めていた。
「すぅ―――、ふぅ――」
呼吸を整える。
湿った空気が肺にまとわりつき、息を吸うたびにわずかな土の匂いが鼻を刺した。
腰を少し低くし、構える。
―――警戒してんのか?……さっきの蹴りが効いてるようだな。
ガーディアンの手首は、複雑にひしゃげ、鋼、肉、骨が無惨にねじ曲がっていた。
血は流れず、代わりに黒い油のような液体が滴り、地面で小さな水たまりが出来ている。
だが――。
「……ノーリアクションかよ」
まるで痛みなど感じないかのように、ガーディアンは平然と砕けた腕を一瞥するだけだった。
白銀の鎧がギチギチと不気味な軋みを立て、冷たい空気を震わせる。
内心、舌を巻いた。
仮面の下で目を細め、密かに興奮する。
――こいつ、組織の怪人どもとは明らかに違げぇ。
心臓がドクドクと脈打ち、指先がわずかに震えた。
――とは、いっても…………。
情報が圧倒的に不足している。
相手の構造も動力も不明。
よくもまぁ、『かかってこいよ』と啖呵を切れたものだ。
組織の怪人なら、初手でバカの一つ覚えみたいに数でごり押しに来るのだが、コイツは違う。
無機質な眼光、それに壊れた腕への無反応さ、ひしゃげた手首から覗く
――鎧は本体じゃねぇな。中に何かいる。
幾度の戦闘を重ねてきた、それ故に。
下手には動けなかった。
対するガーディアンはというと、ダンジョンに侵入する冒険者たちを、羽虫としか見ていなかった。
剣も魔法も、すべて無意味な抵抗。
そう考えていた。
だが、眼前の対象が放つ異様な気配――軽薄な態度の裏に隠れた底知れぬ力を捉えた瞬間、ガーディアンは初めてその対象を『
―――!?
様子がおかしい、と真雲は身構える。
鎧の隙間から、熱を帯びた息が漏れ、地面に白い霧を這わせていた。
鎧が軋み、内側から筋肉が異常に膨らむ。
――次の瞬間、鎧が砕け散り、破片が岩壁に跳ねて甲高い音を立てた。
「………こっから、ガチってことかよ」
筋肉がうねり、岩石を削り出した彫像のような体躯が現れる。
黒く粗い毛に覆われた上半身が、人間の形を辛うじて保ちつつ、頭から突き出た大角が凶悪な輪郭を描いている。
牛の顔は、燃えるような赤い目と、唾液を滴らせる牙で満たされ、鼻から吐き出される熱い息が遠くからでも感じる。
――ゲームでみたことあるが間近でみると、すげェ……圧力……勝てっか………これ。
『
その一歩ごとに、洞窟の壁にひびが入り、砂塵がさらに舞い上がる。
真雲の1.7メートル程度の華奢な体格は、ミノタウロスの3メートルの巨体に比べると、子ども同然だった。
ミノタウロスが一歩踏み出し、地面を抉る。
「ぬおッ!?」
岩が砕ける音が響き、振動が足裏から伝わってきた。
巨体の動きには知性と野性が混在し、組織の怪人とは異なる本能的な危険が滲む。
緊張感が高まる中、冷静に次の一手を計算する。
――まずはリーチの確認。そのあと、弱点をさがッ……。
瞬く間に間合いを詰められ、ミノタウロスの巨腕が唸りを上げ、岩壁を砕く勢いで振り下ろされた。
辛うじてかわしたが、衝撃波で体がよろめく。
直後、ミノタウロスの拳が横から襲い、真雲の脇腹に直撃した。
ゴッ、という鈍い音と共に、体が洞窟の壁に叩きつけられ、岩壁に浅い亀裂が走る。
「グァッ―――」
猛撃は止まらない。
地を揺らし、ミノタウロスは再び拳を振り回す。
すかさず防御に徹するも、肩に、胸に、追撃をもらう。
――嘘だろ……このパワー、それにスピード……今まで戦った奴らと比べものに――。
壁に背を預け、攻撃を凌ぐ。
仮面の内側で汗が頬を伝う。
冒険者の男は、遠くで震えながらその光景を見つめていた。
(ダ、ダメだ……このダンジョンの化物には誰にも勝てない……)
震える唇から漏れる声は、絶望に染まっていた。
巨拳が何度も何度も真雲を殴りつけ、洞窟内に鈍い衝撃音が響き渡る。
だが、その内部――真雲の肉体がどれほどのダメージを受けているかは、誰にもわからなかった。
(あんな攻撃を何度も…………結局、あの魔物がなんだったのか分からんが、アイツもここで終わる……)
冒険者の男は、恐怖で顔が歪んでいた。
――ズザッ。
ミノタウロスが一歩後退し、距離をとった。
四つん這いの体制をとり、赤い目で威嚇する。
見え見えの突進がくる――真雲の
「……………………」
真雲は無言で立ち上がる。
装甲の表面は未だ無傷だが、動きにわずかな軋みがあった。
仮面の下の表情は見えないが、肩がわずかに上下し、荒い息遣いが聞こえる。
次の瞬間、ミノタウロスが地響きを立てて突進する。
角が空気を切り裂き、真雲を貫く勢いで迫ってきた。
真雲は、その様をぼーっと見て、ふと呟く。
「ああ、この展開、見覚えがあるな――」
かつての……怪人と戦ってきた記憶を思い返す。
――燃える街。熊怪人の爪が地面を裂き、咆哮が響いていた。あのときどうしたっけ?………ああ、爪をはいだら泣きながら土下座されたんだった。情けなくてちょっと悪い気すらした。
――組織の地下。
――テーマパーク跡地。象怪人が見境なく鼻を振り回し、遊具を破壊する。でかい図体でド派手だったけど、鼻をもいで食わせたら、
――廃墟ビル。
真雲の意識が現実に引き戻される。
巨大なツノが、目と鼻の先にあった。
今まで戦った奴らと比べものにならないコイツは。
そう……比べものにならないほど………。
真雲はその場で膝を軽く曲げる。
そして―――。
「よええええええええええええええええええええええッ!!!!!」
右脚が閃光を放ち、ミノタウロスの頭部に正確無比な蹴りを叩き込んだ。
ミノタウロスの頭部が破裂した。
血液が飛び散り、3メートルの巨体が勢いを失って地面に倒れ伏す。
ベチャッ。
肉片が地面に叩きつけられた衝撃で、洞窟の天井から小さな岩がパラパラと落ちた。
(………は?……)
冒険者は口をあんぐり開け、その光景を呆然と見つめていた。
その間、真雲はゆっくりと右脚を下ろし、軽く腕を回して肩の調子を確かめていた。
メンテナンスをサボったせいでスーツの軋む音はするが、潤滑油をさせばいいし、動き自体はまだ滑らかだ。
肘を軽く曲げ伸ばしした後、上半身のダメージを確認する。
骨折、打撲もない。
戦う前よりも良好な気がする。
真雲は倒れたミノタウロスの死体を見下ろす。
血液が所々から吹き出し、黒い水たまりができていた。
――なんか………雑魚戦闘員以上、怪人以下だったな。
それ以外の感想は、特になかった。
今は、ただの牛肉の塊にしか見えない。
「ん……ちょっと待て…………」
次第に仮面の下の顔が深刻さを帯びていく。
「勢いで、殺しちまったけど……これ、殺してよかったんだよな?人襲ってたし……モンスターだし。RPGみたいな世界なら……問題ないよな?」
自問するが、すぐに不安がよぎる。
頭の中で、過去に戦った怪人たちの記憶がちらつく。
あいつらは明確な敵だった。
殺しても、別に罪悪感はない。
だが、この牛は?
本当に敵だったのか?
「よくよく考えたら、コイツ。単にココのダンジョン、守ってただけなんじゃ……あれ?部外者の俺、余計なことしてない……?」
せめて、暴走したモンスターが村人を襲ってるとか、そんなありがちな設定ならまだしも。
生半可にゲーム知識がある分、この牛に対して『なんか悪いことした感』が漂う。
――いや、でも、結果、人助けしたわけだし。
自分を納得させようと、心の中で必死に殺しの正当性を示す。
冒険者の方を見ると、男もこちらを凝視していた。
震える視線が、まるで真雲を「次の怪物」かのように見つめている。
目が血走り、口は半開きのまま動いていない。
「……え、なにその顔……待って、めっちゃ怖がってない?……… っていうより、敵扱いされてね!?」
―――ドサッ。
不安が渦巻く中、冒険者は大量の出血でふらりと気を失い、その場に崩れ落ちた。
「……お、おい!マジかよ!せっかく助けたのに、死ぬなよ!俺の戦闘が無駄になるだろうがよぉおおおおおお!!」
ダンジョンに静寂が戻ったかと思いきや、真雲は一人、ミノタウロスの死体と気絶した冒険者の間に立ち尽くし、頭を抱えるのだった。
―――後に、この出来事が思わぬ波紋を広げる。
『蹴りでガーディアンをぶちのめした化物がいる』
その噂は、酒場から王都へ飛び火した。
剣豪は刃を研ぎ、秘術の使い手は古の巻物を探し、裏街の密偵は闇に囁いた。
真雲の知らぬところで、名だたる者たちがその影を追うべく動き出したのだ。