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第5話『蹴撃一閃』

「かかってこいよ」


 試しに挑発してみたが、血の滴るの音が洞窟内に響くだけで、ガーディアンはのってこなかった。 


 空気が重い。


 岩壁から落ちる砂塵が、足元で舞い、かすかなざらつきが靴底に触れる。


 洞窟内が、嵐の前の静けさのように張り詰めていた。


「すぅ―――、ふぅ――」


 呼吸を整える。


 湿った空気が肺にまとわりつき、息を吸うたびにわずかな土の匂いが鼻を刺した。


 腰を少し低くし、構える。


 強化外骨格パワードスーツの関節が小さく唸り、わずかに発光するラインが暗闇で金色に光る。


―――警戒してんのか?……さっきの蹴りが効いてるようだな。


 ガーディアンの手首は、複雑にひしゃげ、鋼、肉、骨が無惨にねじ曲がっていた。


 血は流れず、代わりに黒い油のような液体が滴り、地面で小さな水たまりが出来ている。


 だが――。


「……ノーリアクションかよ」


 まるで痛みなど感じないかのように、ガーディアンは平然と砕けた腕を一瞥するだけだった。


 白銀の鎧がギチギチと不気味な軋みを立て、冷たい空気を震わせる。


 内心、舌を巻いた。


 仮面の下で目を細め、密かに興奮する。


――こいつ、組織の怪人どもとは明らかに違げぇ。


 心臓がドクドクと脈打ち、指先がわずかに震えた。


――とは、いっても…………。


 情報が圧倒的に不足している。


 相手の構造も動力も不明。


 よくもまぁ、『かかってこいよ』と啖呵を切れたものだ。


 組織の怪人なら、初手でバカの一つ覚えみたいに数でごり押しに来るのだが、コイツは違う。


 無機質な眼光、それに壊れた腕への無反応さ、ひしゃげた手首から覗くは、何か異質なものを感じさせた。


――鎧は本体じゃねぇな。中に何かいる。


 幾度の戦闘を重ねてきた、それ故に。

 下手には動けなかった。


 対するガーディアンはというと、ダンジョンに侵入する冒険者たちを、羽虫としか見ていなかった。


 剣も魔法も、すべて無意味な抵抗。


 そう考えていた。

 だが、眼前の対象が放つ異様な気配――軽薄な態度の裏に隠れた底知れぬ力を捉えた瞬間、ガーディアンは初めてその対象を『』と認識した。


―――!?


 様子がおかしい、と真雲は身構える。


 鎧の隙間から、熱を帯びた息が漏れ、地面に白い霧を這わせていた。


 鎧が軋み、内側から筋肉が異常に膨らむ。


――次の瞬間、鎧が砕け散り、破片が岩壁に跳ねて甲高い音を立てた。


「………こっから、ガチってことかよ」


 筋肉がうねり、岩石を削り出した彫像のような体躯が現れる。

 黒く粗い毛に覆われた上半身が、人間の形を辛うじて保ちつつ、頭から突き出た大角が凶悪な輪郭を描いている。

 牛の顔は、燃えるような赤い目と、唾液を滴らせる牙で満たされ、鼻から吐き出される熱い息が遠くからでも感じる。


――ゲームでみたことあるが間近でみると、すげェ……圧力……勝てっか………これ。


』――そう呼ばれる魔物は、巨体が動くたび、地面が震え、足元の岩が砕けるほどの圧倒的な存在感を放っていた。


 その一歩ごとに、洞窟の壁にひびが入り、砂塵がさらに舞い上がる。


 真雲の1.7メートル程度の華奢な体格は、ミノタウロスの3メートルの巨体に比べると、子ども同然だった。


 強化外骨格パワードスーツの強化回路が低く唸り、掌に汗が滲む。相手の出方を注視する。


 ミノタウロスが一歩踏み出し、地面を抉る。


「ぬおッ!?」


 岩が砕ける音が響き、振動が足裏から伝わってきた。


 巨体の動きには知性と野性が混在し、組織の怪人とは異なる本能的な危険が滲む。

 緊張感が高まる中、冷静に次の一手を計算する。


――まずはリーチの確認。そのあと、弱点をさがッ……。


 瞬く間に間合いを詰められ、ミノタウロスの巨腕が唸りを上げ、岩壁を砕く勢いで振り下ろされた。


 辛うじてかわしたが、衝撃波で体がよろめく。


 直後、ミノタウロスの拳が横から襲い、真雲の脇腹に直撃した。


 ゴッ、という鈍い音と共に、体が洞窟の壁に叩きつけられ、岩壁に浅い亀裂が走る。


「グァッ―――」


 猛撃は止まらない。


 地を揺らし、ミノタウロスは再び拳を振り回す。


 すかさず防御に徹するも、肩に、胸に、追撃をもらう。


――嘘だろ……このパワー、それにスピード……今まで戦った奴らと比べものに――。


 壁に背を預け、攻撃を凌ぐ。


 仮面の内側で汗が頬を伝う。


 冒険者の男は、遠くで震えながらその光景を見つめていた。


(ダ、ダメだ……このダンジョンの化物には誰にも勝てない……)


 震える唇から漏れる声は、絶望に染まっていた。


 巨拳が何度も何度も真雲を殴りつけ、洞窟内に鈍い衝撃音が響き渡る。


 強化外骨格パワードスーツは、依然として傷一つない。


 だが、その内部――真雲の肉体がどれほどのダメージを受けているかは、誰にもわからなかった。


(あんな攻撃を何度も…………結局、あの魔物がなんだったのか分からんが、アイツもここで終わる……)


 冒険者の男は、恐怖で顔が歪んでいた。


――ズザッ。


 ミノタウロスが一歩後退し、距離をとった。


 四つん這いの体制をとり、赤い目で威嚇する。


 見え見えの突進がくる――真雲の強化外骨格パワードスーツごと、壊しにいくつもりなのだろう。


「……………………」


 真雲は無言で立ち上がる。


 装甲の表面は未だ無傷だが、動きにわずかな軋みがあった。


 仮面の下の表情は見えないが、肩がわずかに上下し、荒い息遣いが聞こえる。


 次の瞬間、ミノタウロスが地響きを立てて突進する。


 角が空気を切り裂き、真雲を貫く勢いで迫ってきた。


 真雲は、その様をぼーっと見て、ふと呟く。


「ああ、この展開、見覚えがあるな――」


 かつての……怪人と戦ってきた記憶を思い返す。


――燃える街。熊怪人の爪が地面を裂き、咆哮が響いていた。あのときどうしたっけ?………ああ、爪をはいだら泣きながら土下座されたんだった。情けなくてちょっと悪い気すらした。


――組織の地下。サイ怪人の角が、派手に突っ込んできたけど、向かってくる方向に指を立てたら目がえぐれて悶絶してた。勝手に自滅して拍子抜けだった。


――テーマパーク跡地。象怪人が見境なく鼻を振り回し、遊具を破壊する。でかい図体でド派手だったけど、鼻をもいで食わせたら、せて、そのまま窒息した。


――廃墟ビル。猛狒ゴリラ怪人の巨腕。鉄骨を握り潰す力は強烈だったけど、握り返したら逆に腕がグシャッと潰れて、うずくまって動かなくなった。


 真雲の意識が現実に引き戻される。


 巨大なツノが、目と鼻の先にあった。


 今まで戦った奴らと比べものにならないコイツは。

 そう……比べものにならないほど………。


 真雲はその場で膝を軽く曲げる。


 そして―――。


「よええええええええええええええええええええええッ!!!!!」


 右脚が閃光を放ち、ミノタウロスの頭部に正確無比な蹴りを叩き込んだ。


 強化外骨格パワードスーツの強化回路が一瞬だけ高出力で唸り、蹴りの衝撃が空気を震わせ―――衝撃音と共に。


 ミノタウロスの頭部が破裂した。


 血液が飛び散り、3メートルの巨体が勢いを失って地面に倒れ伏す。


 ベチャッ。


 肉片が地面に叩きつけられた衝撃で、洞窟の天井から小さな岩がパラパラと落ちた。


(………は?……)


 冒険者は口をあんぐり開け、その光景を呆然と見つめていた。


 その間、真雲はゆっくりと右脚を下ろし、軽く腕を回して肩の調子を確かめていた。


 メンテナンスをサボったせいでスーツの軋む音はするが、潤滑油をさせばいいし、動き自体はまだ滑らかだ。


 肘を軽く曲げ伸ばしした後、上半身のダメージを確認する。


 、いい感じにほぐれていた。


 骨折、打撲もない。

 戦う前よりも良好な気がする。


 真雲は倒れたミノタウロスの死体を見下ろす。

 血液が所々から吹き出し、黒い水たまりができていた。


――なんか………雑魚戦闘員以上、怪人以下だったな。


 それ以外の感想は、特になかった。


 今は、ただの牛肉の塊にしか見えない。


「ん……ちょっと待て…………」


 次第に仮面の下の顔が深刻さを帯びていく。


「勢いで、殺しちまったけど……これ、殺してよかったんだよな?人襲ってたし……モンスターだし。RPGみたいな世界なら……問題ないよな?」


 自問するが、すぐに不安がよぎる。


 頭の中で、過去に戦った怪人たちの記憶がちらつく。


 あいつらは明確な敵だった。

 殺しても、別に罪悪感はない。


 だが、この牛は?

 本当に敵だったのか?


 「よくよく考えたら、コイツ。単にココのダンジョン、守ってただけなんじゃ……あれ?部外者の俺、余計なことしてない……?」


 せめて、暴走したモンスターが村人を襲ってるとか、そんなありがちな設定ならまだしも。


 生半可にゲーム知識がある分、この牛に対して『なんか悪いことした感』が漂う。


――いや、でも、結果、人助けしたわけだし。


 自分を納得させようと、心の中で必死に殺しの正当性を示す。


 冒険者の方を見ると、男もこちらを凝視していた。


 震える視線が、まるで真雲を「次の怪物」かのように見つめている。


 目が血走り、口は半開きのまま動いていない。


「……え、なにその顔……待って、めっちゃ怖がってない?……… っていうより、敵扱いされてね!?」


―――ドサッ。


 不安が渦巻く中、冒険者は大量の出血でふらりと気を失い、その場に崩れ落ちた。


「……お、おい!マジかよ!せっかく助けたのに、死ぬなよ!俺の戦闘が無駄になるだろうがよぉおおおおおお!!」


 ダンジョンに静寂が戻ったかと思いきや、真雲は一人、ミノタウロスの死体と気絶した冒険者の間に立ち尽くし、頭を抱えるのだった。




―――後に、この出来事が思わぬ波紋を広げる。


『蹴りでガーディアンをぶちのめした化物がいる』


 その噂は、酒場から王都へ飛び火した。


 剣豪は刃を研ぎ、秘術の使い手は古の巻物を探し、裏街の密偵は闇に囁いた。


 真雲の知らぬところで、名だたる者たちがその影を追うべく動き出したのだ。

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