ダンジョンの中は依然として湿っぽい。
死骸と、その肉片が散らばっている。
血と硫黄の臭いが鼻にまとわりついて、不快ではあるが、今はそれどころじゃなかった。
「くそっ、出血がやべえ……… 」
目の前に横たわる冒険者の男を見下ろす。
布製の軽装は真っ赤に染まり、腹の傷から血が流れ続けている。
息は弱々しく、時折途切れる。
顔は青白く、目は半開きで虚ろだった。
医者じゃないが、下手に動かせば悪化する気がする。
膝をつき、男の腹部を止血するように抑える。
「どうすればいい……? くそ、ここゲームの世界だろ、なんか助ける方法ねぇのかよ」
頭の中でRPG知識をグルグル回す。
この状況に適した案が―――浮かばない。
焦りが頭を締め付ける中、視界の端で何か動いた。
鋼色のスライムだった。
ぷるぷると震えながら、ミノタウロスの死体のそばに転がり、男の革袋に近づく。
ゼリーみたいな体を伸ばして、器用に袋の紐を解いていた。
「お、おい、何してんだ?」
スライムは俺をチラッと見て、一瞬動きを止める。
俺の反応を確かめてるみたいだった。
すぐにまた動いて、革袋から緑色の小瓶を転がしてきた。
瓶は洞窟の薄暗い光に照らされて、中の液体物が光っていた。
あらゆるゲームで見たことのある、それは―――。
「……回復薬……ポーション? お前、俺の言葉分かってんのか? 適当に投げてきたんじゃねえよな…………」
スライムは跳ねながら、瓶を軽く押し出す。
顔、目はないが、「信じろよ!」と言ってるみたいだった。
草原でずっとついてきていたが、なんとなく意思疎通がとれている気がした。
さっきの戦闘も見ていたのだろう、状況を分かってる可能性がある。
「………分かった。飲ませ―――いや、塗る?注射? くそっ、わかんねえ、 ええい、ままよ!」
瓶の蓋をひねって、緑色の液体を男の腹の傷にぶっかける。
液体が傷口に染み込み、シロップみたいな甘い香りが広がった。
――たぶん、これでいいはず。アルコールみたいなもんだろ。患部に直接ぶっかける方が効く…………根拠ねえけど。
男の顔が一瞬「うっ」って歪む。
――やべ、殺ったか!?
心臓がバクバクする。
男の出血がだんだん止まり、青白かった顔に血色が戻ってくる。
「よし…よしッ!」
慌てて周りの荷物を漁ると、同じ緑の瓶が3本見つかった。
迷わず全部開けて、男の傷に次々とぶっかける。
息遣いも落ち着いてきた。
男の首に手をやって脈を確かめる。
弱いけど、安定してる。
「よ、よかった…! マジで助かった…!」
地面にへたり込む。
スライムはそばで満足そうに震えていた。
――ぜってえドヤ顔してる。
思わず笑った。
「お前、意外とやるじゃん。あんがとよ」
スライムは小さく跳ね返りながら、こっちにリアクションをとっていた。
―――やっぱり、こいつ。俺が何言ってんのか、分かるのか。
「なぁ、おまえ―――」
ザサッ―――。
その時、洞窟の奥から足音が響いてきた。
革靴、甲冑が幾重にも重なり、音を立てている。
男たちの声も聞こえる。
『 ωμα! Αίμ!? (この臭いッ!?血か!?』
『 πιζώντες! (生存者を探せッ!)』
叫び声が岩壁に反響して、どんどん近づいてくる。
「…………仲間か? おい、おっさん、助けが来たぞ!」
肩を叩いて呼びかけるが、意識がまだ戻らない。
が、このまま救助を待てば、なんとかなりそうだ。
「はぁ。マジで焦っ………た――」
――待てよ。
背筋に冷たいものが走る。
視界に散らばる冒険者の肉片、血だまりに転がるミノタウロスの死体。
そして、さっきこのおっさんが俺を「怪物」を見る目で見つめていたこと。
「俺、このままだと…………討伐対象になんじゃね?」
足音が近づく。
5人、いや、10人以上か?
音から察するに、武装した集団だろう。
襲ってきたら、ぶっ飛ばす選択肢も――いやいや、頭が悪すぎる。
「くそっ、せっかく人助けしたのに、なんで俺が逃げなきゃなんねえんだよ!」
咄嗟にスライムを脇に抱える。
『 ιζώντες—Τι είνα――ό!? (おい、こっちに生存者がい―――な、なんだ!?あれは―――!?)』
「あばよ、おっさん」
振り返らず、ダンジョンの奥を目指して走る。
背後で足音と叫び声が追いかけてくるが、気にする余裕はなかった―――。
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「……………結構、走ったな」
通路は薄暗く、松明の光が岩肌に揺らめく影を落とす。
足元には血の跡が点々と続き、ミノタウロスが暴れ回った痕跡がそこかしこに残っていた。
壁には爪痕が深く刻まれ、岩が抉られたように欠けている。
進むにつれ、目に入る光景はさらに凄惨になっていた。
通路の脇に、胴体が真っ二つに裂かれた冒険者の死体があった
革鎧は引きちぎられ、血だまりの中で濁った臓物が広がっていた。
少し先には、トラップに引っかかったらしい遺体が壁に串刺しになっていた。
鋭い鉄の槍が胸を貫き、腕が不自然に垂れ下がっている。
槍の周囲には乾いた血がこびりつき、見せしめのように体が固定されていた。
「趣味悪ぃ………」
それ以降も、頭部の原型を留めず、赤黒い塊になった死体が不揃いに転がっている。
近くには折れた剣と盾が散らばり、持ち主が抵抗した形跡もある。
死体は見慣れているが――ここまで、人の死の匂いで満ちているのは、初めてかもしれない。
道中、モンスターは一匹も現れなかった。
ダンジョンボス(?)のミノタウロスを倒したことで他の雑魚モンスターが消える仕様か、それとも俺を「化物」と見て恐れをなしたのか。
ゲームの仕様なら前者、ダンジョンの生態系なら後者だろう。
いずれにせよ、今はただ、前に進むしかない。
スライムを抱えながら、通路を抜け、急な下り坂を駆け下りる。
足元で小石が転がると、何かに反射し、カツンと音を立てた。
――ッ!、コイツは………いかにも―――。
巨大な石扉が現れた。
表面には獣の骨や牙が埋め込まれ、禍々しい彫刻が刻まれていた。
ミノタウロスが延々と守護していた扉と露知らず。
――RPGならここから出口へ続くルートがあるはずだ!
そう信じ、扉に手をかけ、力を込めた。