〖元怪人——シルバ視点〗
「ЯλѷηЇЯ!……Яλ『ΞILVΛЯ』ѷ0,λ!!(決めたぞ!……この子の名は『シルバ』だ!!)」
へ?
訳も分からず『シルバ』と名付けられた自分にとって、転生して最初にぶつかった壁は
この世界の公用語『リヴェア語』は、前世の日本語とはまるで別物だ。
母音は9つと異様に多く、子音の組み合わせは複雑で、感情を乗せるアクセントがやたらと強い。
例えば、『ありがとう』は『サリア』と発音する。
語尾を軽く上げるのがコツだ。
文字で書くと、『 \ΞΛΓΙЯ 』——まるで記号のような文字だ。
生きていくのに最低限必要な単語を覚えるだけで、6年を費やした。
村の祭りで歌う森の精霊への感謝の唄『ラウィル』は、今でも苦い記憶しかない。
練習中、発音を少しでも間違えると、村の子供たちから「精霊に呪われるぞ!」と脅された。
まさか、と鼻で笑ったが、発音を間違えるどころか、2節目を先に歌ってしまったせいで、3週間も高熱と嘔吐に苦しんだ。
あの時、この世に精霊や魔法が確かに存在することを、身を
ミルフェン村は、森と共生する小さな集落だ。
狩猟や採集が生活の中心で、動物の命を無駄にしない。
皮や骨まで使い、感謝を捧げる。
そんな文化に、前世で孤独だった自分の心は強く揺さぶられた。
特に印象的だったのは『
家族や友人と糸を編み、絆を象徴する儀式らしい。
例に
不器用で
「シルの糸には心がこもってる」
「不格好でも、気持ちが籠ってりゃいいのさ」
母であるリナが優しくフォローし、父のガルドが笑いながら自分の肩を叩いた。
我が子の中身が、異世界から来た赤の他人だと知ったら…。
この人たちは、どんな顔をするのだろう。
2人の笑顔を見るたび、胸の奥で自責の念が付きまとう。
10歳の時、村の集会で初めて外の世界の話を耳にした。
冒険者たちが集うギルドの存在——。
怪人の存在や
怪人としての記憶は薄れつつも、
もし戦いに勝って怪人として生きていたら、また人を……。
許されるなら、今度は彼のように誰かを救える存在になりたい。
そんな思いがきっかけだったのか、女神の言っていた祝福『糸の支配』に目覚めた。
近くの山を散策していたとき、指先から一本の半透明な糸が伸び、木に絡みついたのだ。
「これが…祝福?」
意識を集中すると、その糸は自在に性質を変えられることが分かった。
ワイヤーのように硬く強靭になったかと思えば、狙ったところだけを正確に接着することもできたのだ。
試しに糸を編み込み、網状にして川に差し入れると、驚くほど簡単に魚を捕らえることができた。
他の生物にも色々試してみたが、どうやらこの糸。
「シルッ、その傷どうしたの!?血だらけじゃないっ!」
「え、えーと、木の枝で擦っただけだよ。母さん」
ただ、力の制御が難しく、誤って手を深く傷つけてしまうのが難点だった。
リナが手の傷に気づいて心配するが、誤魔化し続けた。
彼女の優しい視線に、秘密を抱える罪悪感が
女神の『使い方を誤れば鎖になる』という警告を思い出し、誰にも話さず、慎重に練習を重ねた。
12歳になり、もう一つの祝福『毒の刻印』が発現した。
森で蛇に噛まれた瞬間、傷口から霧が立ち上り、蛇が泡を吹きながら溶けた。
今までこんなことなかったのに、自分の血に毒が宿ったと知り、その危険性に戦慄した。
「こんな力、使い方を間違えたら…とんでもないことに…」
猟師の知り合いに解毒薬の作り方を学び、毒を抑える術を探った。
この力は、自己防衛のためにだけ使うと心に決めた。
2年後、華奢ながらも、体つきは少年とは思えないほど引き締まり、しなやかな筋肉がついた。
長く伸びた銀髪を後ろで一つに束ねる。
リヴェア語はもはや母語同然で、村の文化にもすっかり馴染んだ。
市場での軽口や祭りの踊り、夜の語らい——すべてが日常の一部になっていた。
村の暮らしは穏やかで温かかったが、心の奥では別の炎が燃えていた。
冒険者として自分の道を切り開きたい。
その決意は、どんな安らぎにも揺らぐことはなかった。
目指すは、冒険者の都『バクラダ』。
そこで、魔法と剣術を本格的に学び、冒険者として新たな人生を始める。
「シル、ほんとに旅立っちゃうの?」
家の前で、リナが少し潤んだ目で自分を見つめる。
「うん。荷物も準備できたし、そろそろ行くよ」
「ふん、この歳の男ならな! 自分探しの旅に出るってのが定番ってもんだろ?」
ガルドが肩を力強く叩いてきた。
「シル。どんな過去があっても、お前は俺たちの誇りだ。どこに行っても、誰かを幸せにしろ」
その言葉に胸が熱くなった。
結局。
この世界に転生したことは誰にも明かせなかった。
でもこの2人の眼差しは、どこかで自分の秘密を見透かしていたんじゃないかって。
「……うん、約束する」
その優しさに上手く言葉を返せなかった。
サリア。
母さん、父さん。
そうして、陽光が差し込む村の道を踏み出した。