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第9話『祝福を背に』

〖元怪人——シルバ視点〗


 「ЯλѷηЇЯ!……Яλ『ΞILVΛЯ』ѷ0,λ!!(決めたぞ!……この子の名は『シルバ』だ!!)」


 へ?


 訳も分からず『シルバ』と名付けられた自分にとって、転生して最初にぶつかった壁はだった。


 この世界の公用語『リヴェア語』は、前世の日本語とはまるで別物だ。

 母音は9つと異様に多く、子音の組み合わせは複雑で、感情を乗せるアクセントがやたらと強い。


 例えば、『ありがとう』は『サリア』と発音する。

 語尾を軽く上げるのがコツだ。


 文字で書くと、『 \ΞΛΓΙЯ 』——まるで記号のような文字だ。


 生きていくのに最低限必要な単語を覚えるだけで、6年を費やした。


 村の祭りで歌う森の精霊への感謝の唄『ラウィル』は、今でも苦い記憶しかない。

 練習中、発音を少しでも間違えると、村の子供たちから「精霊に呪われるぞ!」と脅された。


 まさか、と鼻で笑ったが、発音を間違えるどころか、2節目を先に歌ってしまったせいで、3週間も高熱と嘔吐に苦しんだ。


 あの時、この世に精霊や魔法が確かに存在することを、身をもって知った。


 ミルフェン村は、森と共生する小さな集落だ。


 狩猟や採集が生活の中心で、動物の命を無駄にしない。

 皮や骨まで使い、感謝を捧げる。


 そんな文化に、前世で孤独だった自分の心は強く揺さぶられた。


 特に印象的だったのは『むすびの儀』。

 家族や友人と糸を編み、絆を象徴する儀式らしい。


 例にれず、自分も両親と糸を編む。

 不器用でいびつな形になってしまったが……。


「シルの糸には心がこもってる」


「不格好でも、気持ちが籠ってりゃいいのさ」


 母であるリナが優しくフォローし、父のガルドが笑いながら自分の肩を叩いた。


 我が子の中身が、異世界から来た赤の他人だと知ったら…。

 この人たちは、どんな顔をするのだろう。


 2人の笑顔を見るたび、胸の奥で自責の念が付きまとう。


 10歳の時、村の集会で初めて外の世界の話を耳にした。


 冒険者たちが集うギルドの存在——。


 怪人の存在や強化外骨格パワードスーツは科学の産物だったが、この世界では『魔力』が息づいている。


 怪人としての記憶は薄れつつも、時折ときおり夢に見る——仮面の襲撃者マスクドレイダーとの戦い。


 もし戦いに勝って怪人として生きていたら、また人を……。


 許されるなら、今度は彼のように誰かを救える存在になりたい。


 そんな思いがきっかけだったのか、女神の言っていた祝福『糸の支配』に目覚めた。


 近くの山を散策していたとき、指先から一本の半透明な糸が伸び、木に絡みついたのだ。


「これが…祝福?」


  意識を集中すると、その糸は自在に性質を変えられることが分かった。


 ワイヤーのように硬く強靭になったかと思えば、狙ったところだけを正確に接着することもできたのだ。


 試しに糸を編み込み、網状にして川に差し入れると、驚くほど簡単に魚を捕らえることができた。


 他の生物にも色々試してみたが、どうやらこの糸。

 見えないらしい。


「シルッ、その傷どうしたの!?血だらけじゃないっ!」


「え、えーと、木の枝で擦っただけだよ。母さん」


 ただ、力の制御が難しく、誤って手を深く傷つけてしまうのが難点だった。

 リナが手の傷に気づいて心配するが、誤魔化し続けた。


 彼女の優しい視線に、秘密を抱える罪悪感がうずいた。


 女神の『使い方を誤れば鎖になる』という警告を思い出し、誰にも話さず、慎重に練習を重ねた。


 12歳になり、もう一つの祝福『毒の刻印』が発現した。


 森で蛇に噛まれた瞬間、傷口から霧が立ち上り、蛇が泡を吹きながら溶けた。


 今までこんなことなかったのに、自分の血に毒が宿ったと知り、その危険性に戦慄した。


「こんな力、使い方を間違えたら…とんでもないことに…」


 猟師の知り合いに解毒薬の作り方を学び、毒を抑える術を探った。


 この力は、自己防衛のためにだけ使うと心に決めた。


 2年後、華奢ながらも、体つきは少年とは思えないほど引き締まり、しなやかな筋肉がついた。


 長く伸びた銀髪を後ろで一つに束ねる。


 リヴェア語はもはや母語同然で、村の文化にもすっかり馴染んだ。

 市場での軽口や祭りの踊り、夜の語らい——すべてが日常の一部になっていた。


 村の暮らしは穏やかで温かかったが、心の奥では別の炎が燃えていた。

 冒険者として自分の道を切り開きたい。

 その決意は、どんな安らぎにも揺らぐことはなかった。


 目指すは、冒険者の都『バクラダ』。


 そこで、魔法と剣術を本格的に学び、冒険者として新たな人生を始める。


「シル、ほんとに旅立っちゃうの?」


 家の前で、リナが少し潤んだ目で自分を見つめる。


「うん。荷物も準備できたし、そろそろ行くよ」


「ふん、この歳の男ならな! 自分探しの旅に出るってのが定番ってもんだろ?」


  ガルドが肩を力強く叩いてきた。


 「シル。どんな過去があっても、お前は俺たちの誇りだ。どこに行っても、誰かを幸せにしろ」


 その言葉に胸が熱くなった。


 結局。

 この世界に転生したことは誰にも明かせなかった。


 でもこの2人の眼差しは、どこかで自分の秘密を見透かしていたんじゃないかって。


 「……うん、約束する」


 その優しさに上手く言葉を返せなかった。


 サリア。

 母さん、父さん。


 そうして、陽光が差し込む村の道を踏み出した。


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