霧鴉の酒場の薄暗い店内。
木のテーブルには使い込まれた傷跡が刻まれ、壁の燭台の炎がゆらめく中、二人の影が揺れている。
月光が差し込む『月灯りの席』で、シルバは黒いフードの人物——アランと向かい合っていた。
「ふむ、見た目は子どもだが………中身はいくつだ?」
「え、年齢ですか?……えっと、にじゅ————」
「待て待て、冗談だ! 俺より年上だったら気まずいから、答えなくていい!なんだ真面目かよ、お前」
「…………」
少しムッとするが、アランが軽い口調で続ける。
「冒険者になってどれくらいになる?こっちはマジの質問だ」
「……今日、冒険者登録したばかりです」
「今日!? ハハハハハ! それで、あの貼り紙見て俺のところに来るとはな! いや、感心したぜ、シルバ!ガッツあるじゃねえか!」
「ちがッ!そういうのじゃなくて!………同じ転生者に会ってみたくて……まさか、同じ境遇の人に会えるとは思わなかったから、つい……なんか、冷やかしみたいで………すみません」
「なんだ、そういうことか。まぁ、珍しいもんな、転生者。気にすんなよ。こっちからしたら、転生者に会えたらそれでいいわけだからよ」
「? 、それ…って、どういう————」
「オイ、オヤジ! エール二つ! 一つは軽めでな!」
アランはカラカラと笑い、カウンターに手を振った。
「酒!?あの、僕この世界でまだ飲んだことないんですけど」
「ハハ、この世界じゃ酒に年の決まりなんざねえ。冒険者の一歩目だ、試しに飲んでみろって。これも何かの縁ってことで、気楽に行こうぜ!」
アランはウインクし、気さくに笑う。
そうこう言ってるうちに、老店主が木製のジョッキを二つ運んできた。
一つは泡立つ濃い麦酒、もう一つは透明感のある軽い酒。
ジョッキを手に、恐る恐る匂いを嗅ぐ。
前世でも酒はあまり飲まなかったのだが………。
一口飲むと、ほろ苦い味が喉を通り、ほのかに温まる。
「…う、なんか、変な感じ」
「ハハハ! 最初はそんなもんだ! 慣れるさ、慣れる!」
アランはジョッキを一気に半分飲み干し、満足げに息を吐いた。
「せっかく転生者同士で会えたんだ。少し話そうぜ。…お前、前世の記憶ってどれくらい残ってる?」
心臓が跳ね、前世の怪人としての罪が脳裏を
「前世は………ろくでもない人生でしたよ」
「へェ?お前もか、俺もしがないサラリーマンでさ、毎日クソ忙しかったけど、よく漫画とアニメに逃げてたよ」
「漫画……」
前世にそういう娯楽があったことを思い出す。
洗脳される前は自分も漫画を読み漁っていたが、組織に縛られてからは、そういうこともなくなった。
なんだか懐かしさがこみ上げくる。
——————
——————————
「おい、噓だろ!?『こ○亀』が完結したって、マジで言ってんのかよ!?あれって、終わるもんなのかよ!!」
「どうだったかな。前の記憶は
「はぁッ!?進○も!?」
アランがジョッキをテーブルに叩きつけ、驚愕の声を上げる。
「うろ覚えでいいなら、最後どうなったか教えましょうか?」
「いや、それは………ちょっと、まだいい。ちなみに『ハン○ー×ハン○ー』は?」
「あー、あそこは休載が多くて、まだ終わりそうにないですね」
「お互い転生のタイミングに差はあれど、あそこの作者は相変わらずなんだな」
「ですね。まさかアランさんがこうも漫画好きだとは思いませんでしたよ」
「へへ、前世じゃ読んでない漫画はないってくらいだぜ」
「へぇ。でも、この世界ってそういう娯楽ないですよね。辛くないですか?」
「そうなんだよ、ファンタジーな冒険は楽しいけどよ、生活かかってくると純粋に楽しめねえんだよな。もう娯楽っつったら、こうやって飲むくらいしか……って、顔赤くなってんぞ、シルバ」
「え、へへ…この酒、結構イケますね………」
「……体はまだ子どもだからな。飲みすぎんなよ」
「そういえば、アランさん」
ふと思い出したように尋ねる。
「転生者を集めていたのは…何か理由があるんですか?」
「ん?ああ、それな」
アランはジョッキをテーブルに置き、ニヤリと笑う。
「この世界に、ダンジョンが存在することは知ってるか?」
「ダンジョン………ええ、村で聞きました。神が気まぐれで作りあげた遺物だと」
「そう!罠だらけの通路、牙むく魔物、んで、運が良けりゃお宝…まあ、死にかけることもザラだがな、冒険者の飯の種ってやつだ。潜る価値は大いにあるってもんよ」
「で、転生者の募集がそのダンジョンと関係あるってこと?」
「その通り!」
アランは声を上げ、続ける。
「実は、今狙ってるダンジョンがな。ちょっとばかし厄介なことになってんだよ」
「厄介?」
「んー、奥にでっかい扉があってな。そこを守ってるガーディアンって獣がいるんだけど、他の魔物は片付けたのに、そいつだけが…まぁ、ぶっちゃけバケモノ級にタフでさ。手こずってるってわけ」
「へぇ。そいつって。どれくらい強いんですか?」
「そうだな……生身の人間なんか一捻りで潰すし、剣も魔法もまるで効かねぇ鉄の要塞みたいなもんだな」
「……マジですか、それ」
「マジだ。俺のパーティーも、あっという間に返り討ちにあってな。そこに潜るには、普通の冒険者じゃ心もとねえって結論になったんだよ。そこで目をつけたのが転生者だ。ほら、俺らってその辺の奴らとは比べもんにならない『力』を持ってんだろ」
アランは片眉を吊り上げ、こちらを値踏みするようにじろりと見る。
「シルバ、お前も、何か
アラクネの
だが、言葉が喉に引っかかり、口から出てこない。
「ハハッ! 図星か? ま、いいって。転生者なら誰だって一つや二つ、秘密抱えてるもんだろ。無理に聞き出したりしねえよ。信頼ってのはさ、時間をかけて築くもんだ。」
「……………」
アランはジョッキを傾け、ふっと笑みを浮かべる。
「俺さ、いつか前世の世界に戻りてえんだよ。クソ忙しかったけど好きに生きれたあの日常にさ」
「前世に戻る? そんなこと、できるんですか?」
「わかんねえ」
アランは肩をすくめ、苦笑する。
「でもよ、ダンジョンには、なんでも願いを叶えるって噂の『神』がいるらしい。もしそれが本当なら、俺は試してみてえ……バカみたいな夢だって、笑うか?」
首を振る。
「………笑いませんよ」
この世界じゃ、生きるってだけで命懸けだ。
モンスターと対峙して、命を落とす冒険者なんて珍しくないはず。
それに比べれば、前世の日本は……なんて平和だっただろうか。
「アランさんの気持ち、わかる気がします。僕も時々、思い出すんです。前の世界のこと。友達とか、家族とか…なんか、恋しくなるんですよね」
「へえ、お前もか。やっぱ転生者同士、話が合うな!」
ジョッキを軽く掲げ、アランは続けた。
「なぁ、シルバ。これも何かの縁だ、パーティに加入してみねえか? 必要なときに力を貸してくれたらそれでいい、あとは俺に任せとけよ」
「え、そんな急に————」
いきなりダンジョンって——新米冒険者の自分には流石に荷が重すぎる。
どうする。
この世界に来てから、ずっと自分の存在意義を探してきた。
誰かの役に立ちたい、って。
そう思っていたはずだ。
初めてできた仲間。
アランが前世に戻りたいと願うなら、その夢に手を貸すべきじゃないか?
「どうだ…シルバ?」
ゆっくりと顔を上げる。
期待の眼差しと気さくな人柄が心を動かす。
「僕みたいな新米でも、本当に役に立てますか?」
「新米だろうが、関係ねえよ」
そう言ってアランは少し照れた笑みを浮かべながら、右手を差し出す。
「大事なのは、挑まんとする『覚悟』だよ」
「……僕でよければ、よろしくお願いします、アランさん」
目の前の手を力強く握り返した。
「よっしゃ!!これでお前も正式にパーティメンバーだ! 難攻不落のダンジョン!ぶちかましてやろうぜ!」
アランの勢いに押されつつ、思わず笑う。
握手の温もりに、緊張と期待が混じった不思議な高揚感が胸に広がった。
窓から差し込む月光が二人の影を長く伸ばす。
「そういえば、他のメンバーは?」
「メンバー?ああ、今もダンジョンに潜らせてるぞ、ガーディアンの体力を少しでも削りたくてな。でも、まぁ……結構、時間経ったし……もう死んでるかもな」
「は?」
「大丈夫、大丈夫。俺ら転生者と違って、あの連中は代えが利くんだ。仲間ってほどじゃねえしさ。減った分はちゃんと
「ちょ、ちょっと」
アランの目に底知れぬ何かを感じる。
「なんだよ、安心しろって。
背筋に冷たいものが走った。