〖真雲視点〗
シルバが日用品の買い足しに出かけると言い出した。
俺の分の、だ。
「スマンね、何から何まで」
申し訳なさに、自然と頭が下がる。
「いや、こればっかりは仕方ないですよ。真雲さんを連れて行って、またトラブルになっても怖いですし」
「好きでトラブル起こしてるわけじゃないんだぞ?」
「分かってますって」
とはいえ、シルバの言うことはもっともだ。
この顔——正確には、この
かといって、仮面を外すわけにもいかない。
なんでかというと、まあそれは………。
俺の事情を察してか、シルバは深く踏み込んでこない。
それがまた、かえって心苦しい。
やべぇな、どうやって借りを返せばいいんだ。
まさか、こんな形で他人に世話になる日が来るとは夢にも思わなかった。
しかも相手は、かつて敵対した蜘蛛怪人。
人の縁とは、本当にどこでどう繋がるか分からない。
俺が悪の組織で怪人をやっていた頃、シルバのことは『こんなやつもいたな』くらいの認識だった。
それが洗脳が解けたら、こんな気のいい奴だったなんて。
シルバの真面目な性格は素なのだろう。
「真雲さん?聞いてます?」
シルバの声に、思考の海から引き戻される。
「え、あ、ごめん。もう一回いい?」
「もう……。くれぐれも、外には出ないようにしてくださいね。ここに誰か来ても、居留守を使えばいいんで」
「おう」
「なるべく早く帰ってきますから。僕が戻るまで、いい子にしててくださいね」
「お袋かよ」
呆れたように返事すると、シルバはふっと笑みをこぼした。
俺の言葉に安堵したのだろうか。
シルバは革袋を肩にかけ、ドアを開けた。
軽く手を振って、見送る。
「………………」
うーん。
本音を言えば、露店とか見てみたかった。
この世界に来たばかりだし、市場がどんな感じか観光してみたかったんだけどな。
それにしても、暇だ。
殺風景な部屋を見渡す。
最低限の家具しかない。
本棚には前の入居者が置いていったであろう、分厚い魔術書っぽいのが何冊か並んでいるが、今の俺には読めない。
あれ?
そういえば、俺って魔力ってのが通ってないんだっけか?
アランが言ってた気がする。
ということは、読めたとしても……。
途端に気分が落ち込む。
え、これ、あれじゃん。
空とか飛べないってこと?
『パト〇ーナム』とか、『メラ〇ーマ』とか、『ザケ〇ガ』とか、そういう呪文も?
うわー、マジかよ。
気づくんじゃなかった。
ショックで立ち直れなくなりそうなんだけど。
この世界、魔法がバンバン飛び交うようなファンタジーな世界だろ。
なのに俺、ただの一般人枠ってこと?
試しにベットで熟睡するスライムに『サン〇ガ!』と叫んでみるが、当然何も起こらない。
「なにやってるんですか……」
ビクッとなる。
シルバがドアを半分開けてこっちを見ていた。
マスクで隠れているけど、顔が熱いのがわかる。
「お、おま、まだ、行ってなかったのか」
「伝え忘れたことがありまして」
「な、なんだよ」
「そこにあるメモ帳に、この世界の情報をまとめておきました。退屈なら目を通しておいてください。きっと役立つはずです」
そう付け加え、シルバはそっと扉を閉じた。
階段の音が遠ざかっていく。
「戻ってこないよな……」
ドアに聞き耳を立て、数分してから、やれやれとベッドに戻った。
ベッドに寝転がり、熟睡してスライムを枕代わりに乗せる。
水枕みたいな感触が心地いい。
テーブルの上に置かれていたメモ帳を手に取る。
バクラダの街の地図が簡単な線で描かれ、ギルドや市場、鍛冶屋の場所が丁寧にマーキングされていた。
地図の横に、シルバの几帳面な字がページを埋め尽くしている。
それだけではない、この世界の情報をわざわざ日本語で書き直してくれていた。
「ほんとマメだな…」
感心しつつ、地図をなぞるように眺める。
ページをパラパラとめくると、二重丸で「これ覚えてくださいね」と念押ししているページを見つけた。
この世界の金貨の価値について、か。
この世界の通貨は基本的に、金貨の『ゴウル』、銀貨の『シヴァ』、銅貨の『ロンド』の3つ。
読み進める。
とりあえず購買の基準として、金貨は防具や武器。
銀貨は、日常的な取引(食事、道具購入)に使われる。
銅貨は小額の買い物(パン、飲み物)や端数調整に用いられる、といった感じか。
そういえば、シルバが『馬小屋なら銅貨1枚、街外れの大部屋雑魚寝なら銀貨3枚で済むが、今のような宿は1泊に金貨1枚いる』と言っていたな。
ピンとこない。
……金貨1枚って、日本円に換算するといくらになるんだ?
メモの端に、1ゴウル=10シヴァ=100ロンドって文字がある。
日本にいた頃の経験則と、割り切りやすいという理由で、大部屋雑魚寝は1泊3千円と勝手に予想する。
そうなると、馬小屋は1銅貨=百円?
たぶんそんくらいだろう。
ってことは。
金貨1枚は……1万円!
え、嘘だろ。
この宿、1泊1万もするのか。
日本のビジネスホテルなら、ネット無料で朝食付きでも6000円くらいで泊まれるってのに。
どうりでシルバが苦い顔をしていたわけだ。
なんでこんな高——。
いや、待てよ。
なんとなく、分かったかも……。
部屋のドアは、分厚い木に鉄の補強が厳重に施され、ドアノブにも鍵ががっちりと据え付けられている。
窓の外からガヤガヤ聞こえてくる音。
耳すませば、なんかケンカっぽい叫び声も混ざってる。
この街って、意外と物騒だったりするのかも。
セキュリティロックも防犯カメラもない世界だ。
馬小屋や雑魚寝の宿だったら、荷物の盗難や夜中の襲撃の危険があるのかもしれない。
「なるほど…ボッタクリに思える宿代も、部屋の豪華さじゃなくて命守るための値段ってわけだ」
命あっての物種だもんな、と渋々納得する。
払ってもらっている身でこんなこと言うのもあれだが、日本の安いビジネスホテルとは違い、異世界で安全が買えるなら悪くないのかもしれない。
いや、俺だって払える。
あの報酬金があるじゃないか。
シルバも、俺が受け取るべきものだって言ってたし。
さっき隠してた場所は……確か。
部屋の隅にある古びた木製の
服や雑貨が適当に詰まってるけど、シルバのことだ、そんな分かりやすい場所に置くとは思えない。
試しに一番下の引き出しを全部引き抜く。
……お、これは。
引き出しを外した箪笥の底に、ちょうど革袋が収まるくらいの浅い隠しスペースが現れた。
どうやらこの古い箪笥に、元からこっそり作られてたスペースらしい。
金貨の入った革袋がきっちり収まっている。
こんな隠し場所をよく見つけたな。
さすがだ。
そいつを取り出し、テーブルに移動して金貨を一つずつ並べてみる。
「1………8………12………19………」
数え終わった。
「200万…」
その数字を口にした途端、喉がひりついた。
やばい。
やばすぎる。
こんな大金、生まれてこの方、一度たりともこの目で見たことがない。
まさか自分のものになる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
手が震える。
一枚一枚、丁寧に数えた金貨がテーブルの上で鈍い光を放っている。
ずっしりとした重みが、その価値を物語っていた。
日本にいた頃、宝くじが当たった人が『実感が湧かない』とか『怖くて眠れない』とか言ってたのをテレビで見たことがあるが、まさに今、その気持ちが痛いほどわかる。
この金塊が、そのまま俺の自由な生活に直結するのか。
そう思うと、途端に現実味が押し寄せてきて、心臓がバクバクと音を立てる。
ぎ、銀行に預けたい!
あれ、銀行なんてもの、この世界にもあるのか!?
もし盗まれたりでもしたら………。
そんな不安が、脳裏をよぎる。
「く、くつろげねぇぇぇぇぇええ」
なぜそんな大金を手に入れたのか。
えっと、アランって詐欺とか脅迫とか悪いことしまくってたんだよな。
冒険者失踪事件とか、大層な事件の主犯になってたっぽいし。
あれだろ。
交番に貼ってあるような指名手配犯を捕まえたわけだろ。
ギルドが設定した高額な懸賞金がかかっていたとか?
そうだ、あの場にいたじいさんたちも、共犯者ってことになってるわけだし、この多額の報酬に繋がっているに違いない。
シルバが相当強いやつだって言ってた気がする。
冒険者の格付けについて何か情報がないかとページをめくる。
案の定、次のページに、『冒険者ランクについて』と書かれた見出しがあった。
「え、俺の考えてること読まれてる?」
そう呟きながらも、俺はメモの詳細を読み始めた。