「っ!」
「ほう、それはいかように?」
唖然としている宰相の隣でニヤリと笑う皇帝に、レクシャは恭しく頭を下げた。
「現在、ノルベルトの改竄魔法のお陰で、ありがたいことに我が家の存在は今の王国には知れ渡っておりません」
「それって……」
「つまり、サザランス侯爵家から代々伝わる『無効化魔法』も広まっていないということですね?」
「「っ!?」」
今まで大人しく聞いていたマーザスの言葉に、皇帝と宰相が揃って目を見開くと、マーザスからレクシャに視線を移した。
「……レクシャ、それは本当なのか?」
「そっ、そうですよ。いくら愚か者でも、さすがにそこまでしますか?」
『帝国の悪魔』と恐れられているサザランス侯爵家に伝わる魔法を、当然知っていた皇帝と宰相は、ありえないものを見るような目でレクシャに問い質した。
すると、レクシャは小さく頷いた。
「はい。先程も申し上げましたが、ノルベルトは魔法陣を使って国民に改竄魔法をかけた際、サザランス公爵家の記憶を全てインベック公爵家の記憶に改竄すると同時に、私たちが持つ魔法の記憶を全て消したのです」
「……なんと愚かでバカなことを」
(どうして、サザランス侯爵家が『帝国の悪魔』なんて物騒な2つ名を持っているのか分かっているのか? そのバカは)
「いや、分かっていないから消したのだろう」
深く溜息をついた皇帝は、額を片手で覆いながら天を仰いだ。
その様子を一瞥したレクシャは、静かに俯くと膝に乗っていた手を自分の方に向けた。
古の時代、今の帝国や王国がある大陸から遥か東にある島国で、大きな戦乱が起きた。
王族や貴族達から虐げられていた平民達が起こしたその戦乱は、国の統治者であった王族ですら止めることが不可能なほど大規模なものだった。
日に日に苛烈を極める戦乱に、国を捨てることを決めた王族達は、自分の身を守るためだけに多数の国民を犠牲にした特別な魔法を作った。
それが、古くからサザランス侯爵家に伝わる、属性魔法・非属性魔法関係なく、あらゆる魔法を無効化する魔法……無効化魔法だった。
そして、それはサザランス侯爵家から分家したサザランス公爵家の人間にも受け継がれていた。
「あの魔法の存在を国民の記憶から消すなんて……そのバカは、どうしてそんな愚かな真似をしたんだ?」
天を仰ぐのを止めた皇帝は、呆れ顔のまま沈痛な表情のレクシャに目を向けた。
「恐らく、我が家が無効化魔法以外の魔法が使えないことから、一部の貴族から『平民貴族』と呼ばれていることを知っていたのでしょう」
「なんだ、その馬鹿馬鹿しい2つ名は?」
「ただの揶揄ですよ。陛下」
心底疲れた顔をしている皇帝に、レクシャは苦笑を浮かべた。
「それで改竄する際、その二つ名をほかの貴族達に呼ばれたくなかったノルベルトは、無効化魔法の存在自体を国民の記憶から消したのではないでしょうか」
「そんな下らないことで消したのか」
(だとしたら、本当に愚かすぎる。レクシャはそいつを『狡猾な男』だというが、俺にはそいつが目の前にいるこの男ほど狡猾なやつだと思えん)
再び深く溜息をついた皇帝は、心底不機嫌そうな顔で頬杖をした。
「それで、その下らない理由で国民の記憶から消した魔法を使い、愚か者が好き勝手やっている魔法陣を消そうというのか?」
「はい。正確には、魔法陣の中に流れている
レクシャの言葉に、皇帝の眉が一瞬上がった。
「ほう、そんな繊細なことが無効化魔法で出来るのか? この国の皇帝に就いてから随分と経つが、そのようなことが出来るなんて聞いたことが無いぞ? 宰相やマーザスはどうだ?」
(無効化魔法は、魔法陣自体も無効化出来るとは聞いたことがあるが、魔法陣を消さずに魔法陣の中に流れている魔力だけを無効化することが出来るなんて話は聞いたことがない)
皇帝から視線を向けられた宰相とマーザスは、揃って首を横に振った。
「私も、フィアンツ帝国の宰相として長らく陛下の傍に仕えておりますが、無効化魔法が使えるサザランス侯爵家の者達から、そのような話を聞いたことがございません」
「私も、弟弟子の口からそんな話が出たことは一度もありません」