あーはいはい、橘あやめ、17歳と数ヶ月。今日も元気に、というか、半ギレ状態で万葉集アレンジの闇鍋をグツグツ煮詰めております。こちとら、返歌っていう名の極上スパイスを求めてるってのに、来る日も来る日も塩胡椒すら持ってこない連中ばっかりで、味気なくて仕方ないのよ。
第2話で「世の中の 常(つね)なる恋に 背(そむ)きしは 我が身の業(ごう)か 言霊(ことだま)の罠か あぢきなしと 嘆けども猶(なほ) 君が返歌を 待ち焦がるる身ぞ」とか、ちょっとセンチメンタルな独白ぶちかましたけど、あれから状況が好転したかって? んなわけないじゃん。むしろ悪化の一途。私の脳内万葉歌ファクトリーは24時間365日フル稼働、生産される歌はますますエロ濃度と哲学濃度と文学的面倒くささがマシマシ。結果、ドン引きされるか、逃げられるかの二択。いい加減にしてほしいわ、マジで。
この前なんか、放課後の教室で、隣のクラスの、なんかやたらと「いい人オーラ」だけは出してる地味メン、名前は……山本くんだったか? そいつがモジモジしながら近づいてきたのよ。
【ケース5:優しさだけが取り柄(自称)、山本くん(ボランティア部所属)の場合】
夕焼け小焼けの教室。お決まりのシチュエーションだけど、こっちはもう飽き飽き。山本くん、手に汗握りしめてるのが見て取れる。
「あ、あの、橘さん……! 俺、橘さんのこと、なんていうか、その、ミステリアスなところに……すごく、惹かれてて……。もし、もしよかったら、俺と、友達からでいいんで……」
友達から、ね。一番つまんないやつ。私のGPUは、こういう「無害」そうな相手には、逆に容赦なく牙を剥く仕様なの。あんたのその薄っぺらい善意、私の言葉の硫酸で溶かしてあげようか? って感じで。
あやめ:「……山本くん。私のミステリアスな部分に、ですか。その扉、開けてみる勇気、あるのかしら? 中は、きっと君の想像を絶するほど、甘くて、苦くて、そして……底なし沼かもしれないわよ?」
橘あやめ、静かに、しかし確実に仕留めにいきます。
「白たへの 君が心の清(すが)しさよ 我が身に触れて 濁り初(そ)めなば 如何(いか)にせむ 君もろともに 泥(ひぢ)の海へと 沈みゆくとも 悔いはあらじを ただ甘美なれば」
(元ネタ:白たへの 袖のわかれに 露おちて 身にもしみていく 秋の夜の月 藤原定家……ってこれは新古今か!まあいいや、白たへ繋がりってことで!元ネタ警察は回れ右!)
どうよ。あなたのそのピュアな心、私のドス黒い情念で染め上げて、一緒に堕ちるとこまで堕ちましょうね、って誘惑よ。あなたの善意とか優しさとか、そんなもの、私の前では何の役にも立たないの。むしろ、汚して、壊して、私の色に染め上げたい。山本くん、顔面蒼白。眼鏡の奥の目が恐怖で見開かれてる。「ひ、ひぃっ……! お、お断りしますぅっ!!」って、女子みたいな悲鳴あげて逃げてった。うん、期待通りの反応。つまんね。
彼に期待してた返歌? そうね……「白たへの我が心、君が濁りに染まるこそ本望。泥の海の甘露なるかな、君とならば奈落の底さえも天国。いざ、共にその深淵へ」くらい言ってくれたら、「お、見込みあるじゃん、山本。あんたのその『いい人』仮面、私が剥がしてあげるわ」って、ちょっとは考えたかもね。ボランティアで培ったその忍耐力と奉仕精神、私に向けてみろっての。
私の万葉歌二次創作って、最近自分でも思うんだけど、だんだん「テスト」みたいになってきてる。「私のこのぶっ飛んだ世界観についてこれる度胸はあるか?」「私のこの言葉の刃を受け止められるだけの器量はあるか?」「私のこの歪んだ愛の形を、それでも美しいと言えるか?」っていう、超難問だらけの入学試験。合格者は、今のところゼロ。浪人生(私)は増える一方。
この間なんて、学園祭の実行委員の打ち上げで、ちょっと年上のOB、確か三浪してようやくFラン大に滑り込んだとかいう、妙に達観したような、でも目が据わってる感じの男がいたのよ。仮に、古橋さんとしよう。
【ケース6:人生の酸いも甘いも噛み分けた(つもり)系、古橋さん(OB・三浪の末Fラン大生)の場合】
打ち上げの喧騒の中、古橋さんは隅っこで一人、缶チューハイを呷ってた。私がトイレに立とうとしたら、ふいに腕を掴まれて。
「橘さん、だっけ? 君の噂、聞いてるよ。面白い子だね。その辺のガキとは、見てる世界が違うって感じ」
ちょっとだけ、おっ、と思った。私の「何か」に気づいてる? でも、すぐにその期待は萎む。
「俺さ、人生いろいろあってさ。そういう、普通じゃないもの、わかるんだよね。よかったら、今度、二人で『深い話』でもしない?」
はいはい、出ました「深い話」(笑)。男が言う「深い話」なんて、だいたい浅瀬でちゃぷちゃぷしてるだけなのよ。でもまあ、素材としては悪くない。私のGPU、今回は「倦怠と刹那」をテーマに起動。
あやめ:「……古橋さん。人生いろいろ、ね。じゃあ、私のこの『虚しさ』にも、共感してくれるのかしら? 一夜限りの花火みたいに、燃え盛って、そして消えるだけの関係も、また一興、ですわよね……?」
橘あやめ、夜の蝶のように、ひらりと詠みます。
「うつせみの 命と知りて なおも君 刹那(せつな)の蜜を 求め合うのか この身を焦がす 熱き吐息も 明日(あす)には空しき夢と消ゆとも ただ今宵だけ 深く溺れむ」
(元ネタ:うつせみの命を惜しみ波に濡れ伊良虞の島の玉藻刈り食む 行基……の歌の「うつせみ」だけ拝借! あとは完全オリジナル。刹那的な快楽と虚無感を、達観した風の相手にぶつけてみる。どうせあんたも、その場のノリで言ってるだけでしょ?っていう皮肉も込めて)
古橋さん、一瞬、きょとんとした顔したけど、すぐにニヤリと下卑た笑みを浮かべた。「……ほう、いいねぇ。橘さん、ノリがいいじゃん。じゃあ、今から……」って、手を私の腰に回そうとしてきた。
ウザッ! こいつ、全然わかってねえ。私の歌の奥にある、悲哀とか、諦観とか、そういうのは一切無視して、ただの「都合のいい女」扱いかよ。即座にその手を振り払い、「お断りします。あなたには、私の言葉の万分の一も理解できないみたいなので」って言って、その場を立ち去った。後で聞いたら、古橋さん、周りの後輩に「あの橘って子、マジでヤバいな。口説いたら変な和歌詠まれた上にフラれたわ。意味わからん」って愚痴ってたらしい。そりゃそーだ。
古橋さんに期待した返歌、もしあるとしたら?「うつせみの命なればこそ、この刹那、君という蜜を味わい尽くさん。明日の夢など知らぬ。ただ、君の熱に我が身を焼き、灰になるまで共に溺れようぞ。その虚しさごと、抱きしめてやる」くらい、切実さと諦めと、それでも捨てきれない情熱を見せてほしかった。そしたら、「あら、古橋さん。案外、伊達に浪人してないのね。じゃあ、その覚悟、試させてもらおうかしら」ってなったかもしれないのに。本当に、男ってのは……。
もはや、私のこの万葉歌アレンジ癖は、完全にライフワーク。国語の吉田先生は、遠巻きに私を「孤高の歌人(ただし発表場所を著しく誤っている)」みたいに見てるし、クラスメイトからは「歩く万葉集・エロティカバージョン」とか「和歌テロリストあやめ」とか、ありがたくない異名を頂戴してる。もうどうにでもなれって感じ。
そういえば、前にちょっと付き合ってみた美術部の田中先輩ね。あの「橘の想ひの色は茜色 我が絵筆にも写しとりたや その熱き想ひ我が身に受けて如何にせむや 絵筆も心も燃え尽きなん」っていう、なかなかイイ線いってた返歌をくれた人。
彼とは、結局3ヶ月くらいで自然消滅したんだっけ。彼の返歌は、言葉の上では情熱的だった。でも、現実の彼は、私のあの歌の世界観――あの、もっと生々しくて、血肉が伴うような、魂のぶつかり合い――からは、ほど遠い場所にいたの。
美術館デートは楽しかった。彼の描く絵も、繊細で、色彩感覚も良くて、アカデミックな意味では「上手い」んだろうなって思った。でもね、そこに「私の求めるもの」はなかった。
例えば、私が「先輩、この絵の赤、もっとこう、内臓を抉り出すような、ドス黒い赤にして欲しい。生命の最後の煌めきみたいな、見てるだけで血が沸騰するような赤」とか言うと、彼は困ったように笑って、「あやめちゃんの感性は独創的だね。でも、僕の表現したいのは、もっとこう、穏やかで、調和のとれた美しさなんだ」って。
穏やか? 調和? そんなもんで、私のこの魂の渇きが癒せるわけないでしょ!
キスに至るまでも、なんか、こう、儀式みたいに段階踏んで、ようやく触れるだけのキスだったし。私のあの「やわ肌を揉みしだく君が指先」とか「胸の双峰の火照り」とかの世界はどこ行ったんだよ! って。彼は、私の言葉の「文学的な部分」にだけ憧れてて、その根底にあるマグマみたいな情動は、完全にスルーだった。いや、見ないようにしてたのかも。
結局、最後は「君の言葉の世界は、僕には深すぎるみたいだ。君は、もっと君を理解できる人と一緒になるべきだよ」って、綺麗事並べてフェードアウト。理解できる人、じゃねーんだよ。一緒に堕ちてくれる人、なんだよ、私が求めてるのは。
私のこの「言葉で殴り合いたい」欲求、どこまで行ったら満たされるんだろう。
「私の言葉の刃を、受け止め、さらに鋭い刃で返してくれるような、そんな相手」
第1話でそう書いたけど、マジでそれ。私の差し出す万葉歌二次創作という名の挑戦状。それに対して、ちゃんと「返歌」という形で、全力でアンサーをくれる人。その言葉の切れ味、深さ、熱量、そういうもので、私をねじ伏せてほしい。
そして、「ああ、こいつ、ヤバい。こいつとなら、本当に魂ごと溶け合えるかもしれない」って、そう思わせてほしいの。年齢不問ってのは、マジでマジ。じいさんだろうが、年下だろうが、なんなら性別だって究極的には問わないかもしれない(いや、そこまでいくとアイデンティティ崩壊しそうだから一旦保留)。要は、魂のバイブレーションが合うかどうか。
そういや、あの雨宮くん。転校生の。サムライくん。
彼は、どうなんだろうな。
相変わらず、教室の隅で難しそうな古典文学読んでるか、窓の外の、誰も見てないような景色をじっと見つめてる。
この前、古典の授業で、先生が「『あはれ』という言葉の多義性について、誰か意見は?」って聞いた時、クラス中がシーンとなったんだけど、彼だけがポツリと「…人の情の、定めなき揺らぎ。あるいは、抗いがたき存在の、美しさと儚さへの、共感と諦念の交錯でしょうか」とか言ったの。
……は? 何それ、超カッコいいじゃん。
クラス中が「???」ってなってたけど、私だけは、ちょっと、ドキッとした。
こいつ、もしかして、もしかしたら……。
私のこのドロドロした世界を、別のレイヤーで理解できる……いや、それ以上の、何かで応えてくれる可能性が、無きにしも非ず……?
いやいや、ないない。彼は、私の万葉歌みたいな、あからさまな「性」とか「情欲」とか、そういうのとは無縁な、孤高の存在っぽいし。私の歌ぶつけたら、ドン引きする前に軽蔑の眼差しを向けられて、一言「……無粋だな」で終わるのがオチだろうな。それはそれで凹む。
最近、私の中で、ちょっと新しいスタイルの万葉歌二次創作が流行ってるの。それは、相手の告白を完全に無視して、自分の内なる情念だけを一方的に叩きつけるスタイル。もはやコミュニケーション放棄。でも、これが一番、私の魂に近い気がする。
【ケース7:もはや誰でもいい、最近告ってきたモブキャラ男子(名前記憶なし)の場合】
相手:「橘さん! 好きです! 付き合ってください!」(←いつものテンプレ)
あやめ:「……(無言で相手を見据え、脳内GPUフルスロットル)」
橘あやめ、魂の独白、詠みます。
「言の葉は 虚(うつろ)なる器(うつは) 我が魂(たま)の熱き血潮を 注(そそ)ぎ満たせど 渇き止まぬは何故(なにゆえ)ぞ ああ この身の奥底深く 燃え盛る炎(ほむら) 君には見えじ 触れること能(あた)はじ」
(元ネタ:……もうなんでもいいや。私の心の叫びそのもの。言葉にしてもしても、この渇望は満たされない。誰にも届かない、この熱量。誰にも理解されない、この孤独。でも、だからこそ、私は言葉を紡ぎ続けるしかない)
相手、ポカーン。「え、あの……橘さん? 何か……」
私は、静かに首を横に振って、その場を立ち去る。
もう、ドン引きとか、逃げられるとか、そういうのすら、どうでもよくなってきた。
ただ、この、焼けつくような渇き。
それを癒してくれる「言葉」が欲しい。それだけ。
私の万葉歌は、もはや招待状ですらないのかもしれない。
遭難信号? 狼煙? あるいは、呪詛?
誰でもいい。いや、誰でもよくない。
私のこの呪いのような渇望を、同じ熱量で受け止めてくれる、奇特な変態。
私のこの言葉の地獄に、自ら飛び込んできてくれる、命知らずの勇者。
私のこの孤独な魂の歌に、魂で返歌してくれる、唯一無二のあなた。
ああ、また夕日が綺麗だ。世界が全部、どうでもいいくらいに美しい。
でも、私の心は、ちっとも美しくない。
どろどろで、ぐちゃぐちゃで、でも、切実で。
机に、また一首。これは、今日の私の、リアルタイムな感情。
「くれなゐの 夕陽(ゆうひ)の色に 我が心 重ねて焼かば 灰すら残らじ 君が言の葉の一雫(ひとしづく) 我が荒野(あれの)に注(そそ)ぎて花を咲かせよ とこしへに」
……クサい? 重い? 知ってる。
でも、これが今の私。
返歌、いつになったら届くんだろうな。
万葉集アレンジのネタは、まだ尽きない。
私の渇きも、飢えも、まだまだ、終わりそうにない。
返歌、マジで、死ぬほど、待ってる。