あーもう、マジで、マジで、どいつもこいつも使えねぇ! 橘あやめ、17歳と半年が過ぎようとしてんのに、私のこの魂のボルテージに見合うだけの電圧持ってるヤツが、半径100キロ圏内に存在しねーんじゃねえの? って、本気で疑い始めてる今日この頃。前回、「くれなゐの 夕陽(ゆうひ)の色に 我が心 重ねて焼かば 灰すら残らじ 君が言の葉の一雫(ひとしづく) 我が荒野(あれの)に注(そそ)ぎて花を咲かせよ とこしへに」とか、我ながら切実すぎる心の叫びを垂れ流したわけだけど、あの荒野に一滴の恵みの雨も降らねえっつーの。乾ききって、ひび割れて、砂漠化が深刻よ、私の心。
万葉集二次創作? ああ、やってるやってる。毎日毎日、懲りもせず。だって、それしか私にはできないし、それをしないと私が私でなくなっちまう。私の脳内GPUは相変わらずギンギンで、告白という名のガソリンが投下されるたびに、業火のごとく情念の歌を生産し続けてる。でもね、返ってくるのはいつも灰か、煙か、あるいは無言の逃亡。色即是空、空即是色……っていうけどさ、私のこのドロドロした「色」も、結局は「空」しいだけなのかしらね。「空蝉(うつせみ)」って言葉、最近よく頭に浮かぶのよ。この世の儚さ、とか、蝉の抜け殻、とか。私が吐き出す言葉も、相手にとってはただの抜け殻で、中身の詰まった生身の私に触れようとするヤツは、どこにもいない。
先週なんて、文化祭の共同企画で隣町の男子校と合同イベントやったんだけど、その打ち上げの席で、まあ絵に描いたようなチャラ男が寄ってきたわけ。
【ケース8:陽キャ・ウェイ系、他校のサッカー部(補欠)、高橋くん(仮)の場合】
ガヤガヤした居酒屋の隅。高橋くん(仮)、金髪メッシュに日焼け肌、手には当然のようにスマホ。
「あやめちゃん、だっけ? さっきから見てたけど、なんか、ミョーにエロくね? 俺、そーいうの、結構タイプなんだよねー。LINE交換しよーぜ、で、今度二人で抜け駆けしちゃおっか?」
うっすい。ペラッペラ。エロいのは外見だけじゃねーんだよ、中身だよ、魂だよ! とか説教する気にもなれん。私のGPUは、こういう頭空っぽ系には、あえて知性のかけらもない、本能直撃型の歌をぶつけることにしてる。
あやめ:「……私の、どこがそんなに気に入ったのかしら? 教えてくれたら、君の期待以上に『エロく』してあげるけど?」
橘あやめ、蠱惑的に、そして野蛮に詠みます。
「さを鹿(しか)の 発(お)き伏す野辺(のべ)に 君を待ち 骨の髄まで しゃぶり尽くさん 我が牙(きば)の跡(あと) 君が喉笛(のどぶえ) 甘き血の味に 共に酔い痴(し)れむや」
(元ネタ:さを鹿のいる野辺で愛しい人を待つ…みたいな歌、あったでしょ? あの純朴さを、肉食獣の捕食シーンに魔改造。もはや万葉集の原型どこ行った状態だけど、いいの、フィーリングだから! 「さを鹿」を「お前」に置き換えて、その身を貪り食らう、みたいな原始的な欲望をぶつけてみたの。どう、これぞアニマル・セックスって感じじゃない?)
高橋くん(仮)、さっきまでのヘラヘラした顔が凍りついて、「え……何、今の……キモ……つーか、ヤバ……」って、スマホ落っことしそうになりながら後ずさり。で、そのまま友達の輪の中に逃げ帰っていった。バーカ。だから言わんこっちゃない。
この場合の理想の返歌? 「おう、あやめ! 俺の骨の髄までしゃぶり尽くすだと? 面白いじゃねえか! やれるもんならやってみな。俺のこの若鹿のような肉体(ボディ)、お前の牙でどう料理されるか、逆に楽しみだぜ! 返り討ちにして、お前の喉笛に俺の牙を立ててやるかもしれねえけどな!」くらいの、同じレベルの野蛮さと生命力で返されたら、「あら、高橋くん(仮)。見かけによらず、面白い魂してんじゃないの。じゃあ、その勝負、受けてあげようじゃない」って、テーブルの下で蹴り飛ばし合いながら、お互いの本能を剥き出しにする展開だって、あったかもしれないのよ! スポーツマンなら、言葉の試合でも正々堂々かかってこいっつーの。
もうさ、私のこの万葉歌二次創作、一種のふるいよ、ふるい。底の抜けたふるいかもしれないけど。これで大抵の男はドン引いて消える。でも、ごく稀に、本当にごくごく稀にだけど、「お?」って思わせる返歌っぽいもの、あるいは、私の言葉の奥にある何かを感じ取ろうとするヤツも、いないわけじゃない。
でもね、そういうヤツに限って、今度は「言葉」と「現実」のギャップに耐えられないのよ。
最近、美術部の田中先輩のこと、また思い出すんだ。あの、「橘の想ひの色は茜色 我が絵筆にも写しとりたや その熱き想ひ我が身に受けて如何にせむや 絵筆も心も燃え尽きなん」って返歌。あの言葉自体は、今でも、ちょっと胸がキュンとするくらい、悪くなかった。だから、付き合った。3ヶ月だけ。
彼の言葉には確かに「熱」があった。でも、それはあくまで「写しとりたや」っていう、対象を外から眺めて、憧れて、理想化する熱だったの。私が求めていたのは、そんな観賞用の熱じゃなくて、もっと直接的に、生々しく、私の中に飛び込んできて、一緒に燃え盛るような熱だった。
彼は私の「言葉」を愛したけど、私の「魂」の奥にある、もっと混沌とした、泥臭い部分、それこそ「揉みしだく君が指先 想うだに 甘き疼きに 身も世もなしと」みたいな、そういう肉感的な情動からは、目をそらしてた。
ある日、アトリエで、私が彼の描く裸婦像を見て、「先輩、この肌の質感、もっとこう、血が通ってて、汗ばんでて、指で押したら弾力があって、噛みつきたくなるような、そんな『生』を感じさせてほしい」って言ったら、彼は筆を置いて、悲しそうに笑って、「あやめちゃんの世界は、僕にはやっぱり眩しすぎるし、少し……怖いんだ」って。
怖い? 何が? 私の欲望が? 私の渇きが? あんたのその「綺麗事」の世界こそ、私には退屈で窒息しそうなんだっつーの!
結局、「君は僕なんかじゃなくて、もっと君の激しさを受け止められる人と…」みたいな、ありきたりの綺麗事で終わった。空蝉の恋。中身、何もなかった。手を繋ぐのがやっとで、キスなんて、儀式みたいに一度だけ。私のあの万葉歌、どこ行ったんだよ! あんたの言った「絵筆も心も燃え尽きなん」はどこに消えたんだよ!
「色即是空蝉」、ほんと、その通り。どんなに言葉を飾り立てても、どんなに情熱的に見えても、その実体が伴わなければ、すべては虚しい抜け殻。私が求めているのは、言葉という美しい羽衣だけじゃない。その羽衣の下にある、熱くて、生々しくて、不格好かもしれないけど、確かな「魂」と「肉体」の存在。
吉田先生、あの国語の。最近じゃ、私が職員室の前を通るたびに、遠い目をして「橘くん、君の歌の新たな犠牲者……いや、読者は増えているかね…」とか、諦観と好奇の入り混じった声で尋ねてくるようになった。
この前、ついカッとなって、先生にこう言ったの。
「先生、万葉集だって、もっと生々しい歌、ありますよね?『たらちねの 母が飼ふ蚕(こ)の繭ごもり いぶせくもあるか いもに逢はずて』なんて、恋人に逢えないもどかしさを、蚕が繭にこもる息苦しさに喩えてる。これって、現代で言えば、好きな人に会えなくて、SNSも既読スルーで、部屋に引きこもってモンモンとしてるのと一緒じゃないですか! その『いぶせさ』こそが、人間のリアルな情念でしょ! 私がやってることは、その延長線上なんですよ!」って。
吉田先生、眼鏡を指で押し上げて、しばし黙考。そして、「…橘くん。君の言う通り、万葉集の魅力の一つは、その赤裸々な人間感情の表出にある。しかし、君の『表出』は、時として…いや、常に、現代社会の許容範囲を大きく逸脱しているように思われる。それは、芸術的探究心なのか、それとも単なる…うーん…」
「性癖ですか?」って聞いたら、先生、咳払いして誤魔化した。図星でしょ。
でも、先生がもし、「橘くん、君のその溢れる情念、私も教師という立場を忘れ、一人の男として、この歌で応えよう。『君が言の葉のいぶせさに、我が魂の蚕もまた繭を破り、あらはなる身を君が前にて曝(さら)さん。この身いかに成り果てようとも、君の熱に触れずにはおれぬ』…とかね」って、ちょっと震える声で返歌くれたら、私、本気で「先生…!」ってなったかもしれない。いや、確実に放課後、古文準備室で二人きり、万葉問答から始まる禁断の…って、妄想が暴走しすぎか。でも、それくらいの気概を見せてほしいわけよ、こっちとしては。
この前、また一人、挑戦者(笑)がいたわ。今度は、学年でも有名なガリ勉くん。将来は官僚にでもなるつもりなのかしらね。
【ケース9:インテリ・プライド高め、学級委員長の木下くん】
放課後の生徒会室。誰もいないのをいいことに、木下くん、分厚い六法全書(何故?)を小脇に抱えて、私に切り出した。
「橘さん。君のその…常軌を逸した言動は、多くの生徒に誤解を与えている。しかし、僕は、その奥に潜む、ある種の…純粋なまでの探究心、あるいは既存の価値観へのアンチテーゼのようなものを感じる。僕は君を、理解したい。そして、その特異な才能を、建設的な方向に導いてあげたいんだ。だから、僕と…交際して、君の世界を僕に見せてくれないか」
上から目線、キター! 「導いてあげたい」だと? お前に私の何がわかるっつーのよ。私のGPU、こういう選民意識丸出しのエリートもどきには、あえて、もっとも泥臭く、下世話な歌でカウンターを食らわせる。
あやめ:「……木下くん。私の世界、見たいの? それは、君のその綺麗な理想論じゃ、到底太刀打ちできないような、混沌とした欲望の渦巻く場所かもしれないけど…それでもいいのかしら?」
橘あやめ、見下すように、嘲るように、詠みます。
「あをによし 奈良の都の 八重桜(やへざくら) 汝(な)が言う理想 鼻で笑ひて 泥濘(ぬかるみ)に 咲く蓮(はちす)こそ 我が生き様よ 共に汚(けが)れて この蜜を吸ふか?」
(元ネタ:あをによし 奈良の都は咲く花のにほふがごとく 今盛りなり 小野老……の雅びな雰囲気をブチ壊し。「八重桜」みたいな上っ面の美しさ(あんたの理想論)なんて鼻で笑ってやるわ。それより、泥の中から咲く蓮のような、私のこのドロドロした生き様の方がよっぽどリアルでしょ? 一緒に汚れて、このヤバい蜜、吸ってみる? っていう、挑発と侮蔑を込めてみた。プライド高そうなヤツほど、こういうのに弱いからね)
木下くん、顔を真っ赤にして、六法全書をバタン!と机に叩きつけた。「な…! 君は、なんて…なんて下品なんだ! 僕の善意を、そうやって踏みにじるのか! 君のような人間とは、やはり分かり合えないようだ!」って、捨て台リフ残してプンスカ出て行った。だから、中途半端な善意とか同情とか、一番ムカつくんだっての。
木下くんへの期待返歌?「あをによし、君が泥濘(ぬかるみ)にこそ、真(まこと)の蓮華(れんげ)は咲き誇るなれ。我が理想、今はまだ青き蕾(つぼみ)なれど、君が熱き土壌を得てこそ、大輪の花と開かん。共に汚れ、共に咲こうぞ、この混沌の世に。我が知識もプライドも、君の前には無力なり」とか言って、六法全書で私を叩いてきたら、逆に「あら、木下くん、意外とMっ気あるのね? いいじゃない、その屈辱に歪んだ顔、ゾクゾクするわ。あなたのそのカッチカチの頭、私がぐちゃぐちゃにしてあげる」って、新たな扉を開いてあげたかもしれないのに。
本当に、どこにもいない。私のこの、言葉という名の刃を、正面から受け止め、さらに鋭利な刃で切り返してくるような、そんな男。
私の万葉歌二次創作は、もはやコミュニケーションツールですらない。それは、私の魂の排泄物。誰にも理解されなくても、誰にも受け止められなくても、出さずにはいられない、業みたいなもの。
でもね、心のどこかで、まだ期待してる自分もいるのよ。馬鹿みたいに。
この前、ふと、図書室で雨宮くんを見かけた。あの、転校生のサムライくん。
彼が読んでたのは、上田秋成の『雨月物語』だった。しかも、原文の古いやつ。
私が通りかかった時、彼がふと顔を上げて、私と目が合ったの。一瞬だけ。でも、その瞳の奥に、何か、ものすごく深くて、静かで、そしてどこか悲しいような色を見た気がした。
彼はすぐに目を逸らして、また本の世界に戻ってしまったけど。
もし、もしも彼が、私のこの狂ったような歌を聞いたら、どう反応するんだろう。
「…無粋だな」って切り捨てられるか、「…品位に欠ける」と眉をひそめられるか。
それとも、万が一、億が一、兆が一の確率で。
彼の中から、想像もつかないような、静かで、しかし魂を貫くような「返歌」が紡ぎ出されたり…しないだろうか。
「色即是空蝉(うつせみ)」――この世の万物はすべて空であり、はかない存在。私の恋も、言葉も、所詮は蝉の抜け殻のようなものなのか。
でも、それでも、その抜け殻に、ほんの少しでもいいから、「実(じつ)」を感じさせてくれる何かが欲しい。
私が探し求めているのは、完璧な理解者じゃない。
ただ、私のこの「業(ごう)」ごと、面白がってくれるか、あるいは、同じくらいの「業」をぶつけてくれるか、そんな奇特な変態。
はぁ……。また夕焼け。今日も何もなかった。
また一つ、脳内に歌が生まれる。
これは、私自身の、今の虚しさと、それでも捨てきれない何かの記録。
「空蝉(うつせみ)の 世とは知りつつ 恋ひ焦がる 我が言の葉の 届け先いづこ 君が声(こわね)の 一片(ひとひら)だにも 風の便りに 聞かば生きなむ」
(元ネタ? もういい加減にして。私のオリジナル。この世が虚しいものだってわかってても、やっぱり恋焦がれてしまう。私の言葉はどこに届くんだろう。あなたの声のほんの欠片でもいいから、風の噂でもいいから聞けたら、もう少し生きていけるのに……っていう、柄にもない弱音と、わずかな希望)
この歌に、誰か、答えて。
「空蝉の世なればこそ、君が言の葉、我が魂(たま)に深く染み入る。風の便りなど待たずとも、我が声は常に君が傍らにあり。さあ、手を取りて、この虚無(うつろ)なる現(うつつ)を、共に寿(ことほ)ぎ、遊び尽くさん」
…みたいな?
ああ、ダメだ。自分で理想の返歌考え始めたら、もう末期症状だわ。
でも、それくらい、渇いてるの。飢えてるの。
返歌、今度こそ、マジで。
この虚しさを、誰か、打ち破って。
怒涛のごとく、私を言葉で陵辱して。
そして、その先に、ほんの少しの救いがあれば、なんて。
甘いかな。
でも、待ってる。ずっと。
万葉集は、まだ私を離してくれない。
この、色即是空蝉の地獄で、私は今日も、歌を詠む。
返歌、くれなきゃ、祟るぞ、マジで。