狭く丸い視界に、街の様子が見えた。
高所から見下ろした朝の市街は、すでに活気に満ちている。開店準備をする店員、荷車で何かを運ぶ男性、はしゃぐ子供を叱る母親。そこには、生活があった。
次に見えたのは街の周囲の城壁と、大きな門だ。城壁の上には見張り台と、兵士たち。門は開かれ、旅人らしき人々や馬車がひっきりなしに出入りする。検問が敷かれているようには見えない。
道沿いに、丸太を組んだバリケードらしきものもいくつか確認できる。猛獣対策だろうか。
偵察を終えたマナは、双眼鏡を下ろした。そこは大樹の枝の上。五百メートルほど先に街を見下ろす高台の、林の中にマナはいた。
双眼鏡を消し、マナは枝から飛び降りる。ふわりと着地すると、街へ向かって歩き出した。
番兵に見咎められることもなく、堂々と門をくぐる。道行く人の視線は時折感じるものの、それだけだ。
「――。――――?」
「――! ――――」
周囲から聞こえる言葉は、未知のもの。マナは目を閉じ、謎の言語に耳を澄ます。そして小さく舌を打ち、右手の指を動かした。マナの頭と首の周りに、かすかに青い粒子が渦を巻く。だがそれに気づいた者はいない。
「今日――。あそこで――」
「――、あんた。もし――」
マナの耳から入った言葉。先ほどまではただの音だったはずのそれは、断片的な意味を持ってマナの脳へと届いていた。
広場に着き、マナは辺りを見渡す。学校のグラウンドほどもある広場だ。壁沿いには店が軒を連ね、出店も多い。
行き交う人々は簡素な服を着た街の住民と、荷物を持った旅人がほとんど。そこに時折軽装鎧の兵士と、やたらと奇抜な格好をした人が混じる。
マナは、その奇抜な人々が長い杖をついていると気付いた。さらに、街の人々が奇抜な格好に向ける奇異の目が、自分にも向けられているとも。
自身の容姿を省みる。迷彩服など、当然他のどこにも見当たらない。手足のラインが出る服装も見当たらない。いるとすれば、奇抜な人たちの一部、ほぼ半裸の人々だけだ。
目立つのは良くない、とマナは思った。ポンチョは出せるが、出すこと自体ここでは目立つ。
マナは人目につかない場所を探した。広場の隅から、路地へと入る。
その路地は薄暗く、誰もいなかった。石畳は剥がれかけ、壊れた木箱や樽の残骸が道の脇に散乱している。
マナは建物の影で迷彩柄のポンチョを出し、裏地の深緑で体を覆う。これならば、マントを羽織っているように見えるだろう。
その時、誰かが路地へと入ってきた。複数だ。思わず身を潜め、様子をうかがう。
「――だろ! 嬢ちゃん――!」
「ちょっと――! ――てよ!」
粗末な服の男性が三人。
杖を持ち、リュックを背負った金髪の若い女性が一人。杖持ちだが、奇抜な格好ではない。淡い緑のワンピースに赤い帯を締め、白いボレロを羽織った姿は、むしろその顔と同様に整った服装だ。
ナンパか何か知らないが、巻き込まれるのは遠慮したい。そう思い立ち去ろうとしたマナの耳に、声が聞こえた。確かな意味を持った、女性の声が。
「いや! 離して! 誰か助けてっ!」
次の瞬間。
女性に掴みかかる男の手首を、マナの手が捻り上げていた。
「いててててっ!」
「な、なんだてめぇ! 何しやがる!」
男の言葉を聞き流し、マナは女性に声をかけた。
「大丈夫ですか? 下がっていて下さい」
「は、はい……」
マナが言葉を理解できるようになったのと同様、マナの言葉も女性に通じていた。
女性を庇いながら、マナが男性たちの前に立つ。
「事情は知りませんが、一方的に暴力を振るうのは見過ごせません。それも一人に、複数人で」
「はあ……!? 何なんだてめぇ、邪魔しやがって……」
「こいつ、小娘じゃないか。こいつもやっちまおう」
男たちが身構える。
マナは目線を正面に向けたまま、女性に問うた。
「確認します。この人達はご友人ですか?」
「ち、違う」
「もう一つ、自分が反撃したら罪に問われますか?」
「えっ? け、ケンカは、捕まると思うけど……」
なら素早く、手早くだ。
「……分かりました。ありがとうございます」
「何をごちゃごちゃ言ってやがる!」
男の一人が掴みかかってきた。マナの両肩を掴んだはずのその手は、ポンチョと空気だけを握りつぶした。
直後、屈んだマナの脚が地を薙いで、男の脚を払った。
「うお!?」
転倒する男の顎を、マナの掌底が下から打ち抜く。ぱんっ、という破裂音とともに男は崩れ落ちた。
ポンチョがふぁさりと地に落ちる。男たちだけでなく、杖を持った女性までもがあっけにとられる中、マナが立ち上がる。そして倒れた男を見下ろして、こう言った。
「……気絶しているだけです。どこかで寝かせてあげて下さい」
その言葉を挑発と捉えたのか、狼狽えていた男たちの眉がつり上がった。
「んだてめぇ!」
「なっ、舐めやがって!」
一人は木製の棍棒を、もう一人はナイフを抜いた。それを見たマナの顔が険しくなる。舌の音と共に左手に青い粒子が渦巻き、棒状の何かが現れた。
棍棒男が襲いかかってくる。
「うおおっ!」
かっ。
振り下ろされた棍棒を、マナは左手の棒……トンファーで受け流した。勢い余った男の側頭部に、回し蹴りを叩き込む。
「ごげっ!?」
土壁にめり込んだ男は、そのまま動かなくなった。
「ぶっ殺してやる!」
最後に残ったナイフ男が突っ込んできた。マナはトンファーを回旋させてその手首を打った。
「いでえっ!?」
ナイフを落とし、怯んだ男。トンファーを消したマナはその懐へ瞬時に踏み込み、男の服を固く掴んだ。
「せいっ!」
掛け声とともに体を返し、男の体が浮いた。マナの右足と肩、そしてテコの原理が完璧なタイミングで重心を跳ね上げる。必然、七〇キロはあるだろう男の体は宙を舞った。男を地面に叩きつけたその技は、柔道においてこう称される。
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